きょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画:ムラサメ モンガラ




2001.10.2(
)

 社員教育で小田原の施設に行っていました。天気が良くて、5階の部屋からは南に相模湾、北に箱根連山が一望でした。伊豆大島がはっきり見えて、その向うには、位置と大きさから言って三宅島ではないかと思う島影も見えました。講習は外でやろうかという案も出ましたが、もちろん駄目でした。
 私の立場は、講義をするインストラクターに対するアドバイザーです。ですから実際に私が講義することはありません。アドバイスもほとんどしていません。困ったら相談に乗るというスタンスでいます。その方がインストラクターの勉強になる、という思いがあります。
 1ヶ月ほどの間に1泊2日が一回と、日帰りが2回の計4日間のコースです。12名の受講生に対して、インストラクター4名、アドバイザー1名、事務スタッフ2名という大掛かりなコースで、けっこう気楽なんですけど、今日はちょっと働きました。夕食も用意されていましたが、それまでに1時間ほど空いてしまうことが判りました。初めて講義をしているインストラクターにその時間を埋めさせるのは無理なので、私がやることにしたんです。何年振りかで教壇≠ノ立ってみました。
 このコースは工場で起きるトラブルの、解決能力を高めようというものです。トラブルは家庭でも起きます。私の家で実際に起きた「テレビの映りが悪くなった」というトラブルの原因究明をやってもらいました。受講生の質問に私が答えて、その答を組合せて解決するというもので、結構おもしろいんです。どういう聞き方をすれば相手の知識を引き出せるかがポイントになります。よく「あの人は鋭い質問をする」なんて言い方をしますが、実はちゃんと理論化されているのです。著作権の問題もあってHPでは書けませんけど、茶飲み話はできます。興味のある方はお知らせください。



沼津の文化を語る会会報『沼声』256号
shyosei 256
2001.10.1 静岡県沼津市 望月良夫氏発行 年間購読料5000円

 巻頭言で石本龍一さんという方が「上善如水」という文章を書いています。石本さんは酒造家で、ご存知「越乃寒梅」の三代目蔵元です。市場ではプレミアがつき過ぎて、なかなか気楽に呑めないのが残念ですが、蔵元を出るときは普通の値段だそうです。この会報にも注文書が入っていて、別撰ではありますが720mlの3本入りで5000円。税、箱代、送料込みでこの値段ですから高くはないですね。もちろん注文しました。
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 味の決め手は、水に次いで米と醸造技術です。山田錦などの酒造好適米を厳選し、精白度を高めてから仕込みますが、天候によって米の出来が毎年違いますから、造りもそれに合わせて変えなければなりません。旨い酒を造るにはそれにかかわる人達の人生経験の豊富さが必要だと思います。味は人なりとすると、究極の味はまだ先のことになりましよう。
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 石本さんの文章の一部ですが「旨い酒を造るにはそれにかかわる人達の人生経験の豊富さが必要だと思います。」という部分に感動しました。これはどこの分野にも言えることですね。いいものを作ろうとすると、どうしても「人生経験の豊富さ」に突き当たります。それも単に熟練したとか、年齢を重ねたというだけでないもの、どういう生き方をしたか、しているかということに関わっているように思えてなりません。そんな酒のひとつが「越乃寒梅」だろうと思います。早くこないかなあ^_^;



個人誌『むくげ通信』4号
mikuge tsushin 4
2001.10.1 千葉県香取郡大栄町
飯嶋武太郎氏発行 非売品

 『むくげ通信』の趣旨について飯嶋さんは「本誌に掲載する詩は、有名・無名を問わず私が頂いた詩集や雑誌から私の好きなものだけを訳したものです。」と述べています。外国語を翻訳できるということは素晴らしいことですし、それを訳して世の知らしめるということは大変なことだろうなと想像しています。その具体例として巻頭にあった作品が次の詩です。

 
キムクアムリム
 金 光 林 詩集「病んでいる男」

 
病んでいる男

S中学入学式の時
ひと際はっきりと紹介された
呉之湖画伯は
背がずんぐりして
首を若干かしげたお方だが
気骨だけは強い先生だった

毎日正午になると
ながいサイレンが鳴り響き
遂行せる<太平洋戦争>の勝利に
黙祷を捧げていた
(しなければ非国民にされ処罰される状況)

一度順序の変わった美術の時間に
サイレンの鳴る音がすると
しばらく立って形だけ構えていたが
すぐに目を開き
< 心に無いことは止めよう >
と、おっしやられたその言葉
いまでも耳に残っている

黒白はっきりすると言うのは
どうしても
出来るとか出来ないという事ではなく
その場を 誤魔化すという事でもなく
ファシズムの黒白の論理さえぶちこわす
真っ直ぐな それであるらしい

 「心に無いことは止めよう」という画家の言葉に、芸術家の真髄を見る思いです。そういう言葉を発っせさせたのは、他ならぬ私たちの父親の世代だったということにも思いが至ります。自分の心に対して「黒白はっきりする」決意がなければ、芸術に関わる資格がない、とも言われているように感じます。決して50年前のことではなく、現在につながる重要な指摘だと思います。



PR誌『湖』139号
mizuumi 139
2001.10 滋賀県大津市
滋賀銀行営業統括部編集 非売品

 『山脈』同人の西本梛枝さんが連載している「近江の文学風景」は、白州正子の随筆『近江山河抄』でした。浅学にしてまだ読んでいませんが、西本さんの次のような文章に出会いました。
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 昔、この地を通りかかられた天智天皇が元気な老大婦から「長寿のモト」だという実を見せられた。天皇は感心して「宜なるかな」と言われたとか。以後、その実を「ムベ」というようになり、大嶋奥津嶋神社を氏神とする北津田町では昭和五十七年まで「不老長寿」の果実としてムベを皇室へ献上していたという。今は天智天皇ゆかりの近江神宮に奉納する一方、町は「むべの郷づくり」にも着手。
 不老長寿とはつまりはそういうことではないか。大切なものを子孫に伝え継いでいこうとする <意志> と言うのではなかろうか。
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 「不老長寿」と言うとき、確かに私たちは個人の不老長寿のみを考えてしまいますね。そのために現代医学が進歩してきたと言っても過言ではないでしょう。この視点は重要だと思います。しかし、翻って考えてみると、わが国では家長制度≠ナそれをやってきたように思います。家≠ニいう概念が強すぎ、個人が抹殺された反省も含めて解体させられましたが、一方の「大切なものを子孫に伝え継いでいこうとする <意志> 」も殺がれたと言えましょう。もちろん戦前の家長制度の復権を叫ぶつもりはなく、現代と相容れないものと考えています。違った形で「<意志>」を伝える必要をこの文章から感じました。



詩誌『花』22号
hana 22
2001.9.25 埼玉県八潮市
花社・呉美代氏発行 700円

 人も机も飛行機も/狩野敏也

広東・広州巾は五歩一楼十歩一閣、食在広州の都
街は食堂だらけで、どこも朝の六時から開く
一説に、人口比で飲食店の数が世界一とか
表通りにも路地裏にも犬猫の姿は、一切見られない
郊外にもいない、鳥の姿も鳴き声も全くない
どこに行ったのか、答えは街を歩いて、市場を覗けばすぐわかる
みんな食われてしまうのだ
二本足の動物つまり人間も、両脚羊の名で売られ
 解放前は、比較的かんたんに、手に入ったとか

その目抜通りの とある一軒に入って、くつろぐ
「でもね、なんでも食う中国人も、苦手があるんだっ
 てね」と、懇意のガイドのLさんをからかうと
「うーん、四つ足は机以外、空飛ぶものは飛行機以
 外なんでも食う。二本足も両親以外は危うかった、
 の…以外というやつね。それさえどうも怪しくなっ
 て、わたしは自信なくなりました」
…で、以下は、彼の話の忠実な受け売りである

「香港タィムズ」紙の報ずるところによれば、l9
81年l0月29日、九竜市在住の六人の若者が、
この、机以外は…の難問に挑戦、たて二・二米、横
一・五米、高さ七十センチ、板厚三・五センチの木
製の机に一切道具は使わず、おのれの歯だけでかぶ
りついた。悪戦苦闘、6時間と58分後、木の織維
を見事に食いちぎり、頑丈な机も割り箸状の木片の
山と化した。彼らの口許は、木の棘と切り傷で石榴
のごとくなった…と同紙は報道している。

「木の机ならともかく、飛行機なら、てんで歯が立
たぬだろ」と言うと
「さにあらず、実はこんな小話がはやっている。ちょっ
 と戯曲風にやってみるよ」
と、Lさんは、ト書き付きで語りはじめる

 …とある山道。空腹でふらふらになった母子がさ
 まよっている。もう何日も、食いものを口にして
 いないらしい。トこの辺りでは滅多にお目にかか
 れない飛行機が低空で飛んでくる。

子 かあちゃん! あの鳥食べられる?
             …母親は悲しげに首を振って
母 あれはお前 海老とおんなじで、中身だけ食べる
  もんだよ。

 ト言っているうちに飛行機は、どんどん近づいてき
 て首を竦める親子の頭上をかすめて近くの谷間に
 墜落する。呆然と立ちすくんでいた母親の表情が
 急に生き生きとなり、ついに笑みがこぼれる


母 どうやら、お前
 ト母親は子供をせきたて、谷に向かって歩きはじ
 めながら歌うように言う。

母 どうやら、私たちは助かったようだよ。

…酒を呑んでいるのにLさんの熱演には背筋が寒く
 なった。
それに先刻から気になっていたのだが、向うの席の
 紳士の眼差しが尋常ではない
広東の名果、茘枝
(れいし)に食らいつきながら、こちらの顔
から眼を離さないのだ
そう言えば、茘枝は人の肉の味に、いちばん似てい
 る果物であるそうな
「あれは、うまそうだなという目つきです。あの人
 は、茘枝ではもの足りないのです。酒呑みの肉は、
 粕漬のようで広東人の好物だったそうだから、あ
 なた気を付けたほうがいいよ」
ぼくは、Lさんの忠告を素直に受けて頷き、それか
 ら、おもむろに紹興酒の追加を頼んだ

 ちょっと長くなりましたが、おもしろいので全文を紹介しました。「背筋が寒くな」る話ですね。それにしても、人間は何でも食うんだなと思います。いわゆる悪食というのでしょうか、食の文化の裏にあるものを感じます。作品としても、こういう視線、書き方をしているものを他では見たことがありません。狩野さんはひとつのジャンルを開拓したと言ってもいいでしょうね。



坂本登美氏詩集『聖獣墓地』
seijyu bochi
2001.10.20 東京都東村山市
書肆青樹社刊 2600円+税

 ままごと

誰もがみんなお母さんになりたがった
何故って
お母さんがひとこと呪文のように
「嘘っこに……」と唱えさえすれば
展げられた茣蓙の上では
すべてがそのことば通りになったから

嘘っこにあなたはお父さん
嘘っこにこれは大きな立派なおうち
嘘っこにここは何でも売ってるお店屋さん
嘘っこに嘘っこに嘘っこに……
際限もなく続く だまし絵
そして
みそっかすのわたしはいつも赤ちゃん

この上なく残酷に優しく
母はわたしから言葉を奪った
赤ちゃんは何も喋れないものなのよ
ただ泣いていればいいのと

父と母とにはさまれて眠る嘘っこの夜
わたしはいつも怯えて泣いた
夢のなかでは
父でも母でもない見知らぬ男と女が
抱擁の炎の中で
死者のような姿で横たわっていたから

ままごと遊びの真昼闇の底で
一度でいいからわたしも
「嘘っこに」と言ってみたかったものだが
いまはさて
空しくさえある日常を喰い破って
何に変身したものか
誰も居なくなった茣蓙の上を
雲の影がゆっくりと横切ってゆく

 子供は残酷なものだと言われていますが「赤ちゃんは何も喋れないものなのよ/ただ泣いていればいいのと」というフレーズにそれを感じます。「誰もがみんなお母さんになりたがった」望みとその落差に、どんなに嘆いたものかと思います。そして私たちも何度「嘘っこに」と言ってみたかったことか、現実の前に。それができないと知りつつも「ままごと」を行う子供の姿が一番残酷≠ネのかもしれません。
 著者2冊目の詩集とのことですが、第一詩集から20年近くが過ぎたとのこと。詩集は、できればあまり間を空けずに出版したいものですけど、やはり内容が問題でしょう。その意味でも、第一詩集は拝見していませんが、筆が荒れているというようなことは感じられませんでした。不断に詩を書き続けた賜だと思います。



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