きょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画:ムラサメ モンガラ




2001.10.5(
)

 日本ペンクラブ電子メディア研究委員会が赤坂の事務所で開催されました。委員会に先立って、電子文藝館の運営を担当してもらう会社の部長さんに来てもらって、打合せをしました。11月26日の「ペンの日」に開館される電子文藝館は、私たち電メ研委員が立ち上げますが、運営は事務局と委託会社にお願いすることにしています。秦委員長を始め、私たち委員には任期があります。いつまでも個人的な力で運営するのは間違いだと思っています。委員が交代しても存続していけるシステムを作ることが、立上げとともに私たちに与えられた任務です。
 技術的な詰めは、新しく会員になってもらい、かつ委員にもなってもらった加藤弘一さんが主としてまとめてくれました。HP「ほら貝」も運営し、インターネットと日本語についての著作もあるうってつけの人材です。技術的に難しい問題が出てくるかなと心配していましたが、それもなく無事に引渡しできそうでした。まずは一安心といったところです。
 その後は通常の委員会。会員への出稿依頼文書、出稿要領の文案を検討しました。自分でHPを運営している会員から、原稿用紙しか使わないという会員まで、様々な会員を対象にインターネット上の電子文藝館に出稿してもらおうというのですから、かなり大変な作業です。もっとも、一番大変なのは秦委員長で、原案を作って委員会に提出してくれています。我々は、それをあーでもない、こーでもないと言っているだけのようなものですから、シンドイなんて言ったら秦委員長に申し訳ないことになりますね。
 会員の皆さまに申し上げておきます。そういうわけで、10月の会報と一緒に電子文藝館への出稿依頼が同封されます。もちろん出稿は自由で、掲載料を取らないかわりに原稿料もありません。日本ペンクラブ会員の証として、インターネット上で玉稿を発表してください。初代会長・島崎藤村以下の、物故会員を含めるとおそらく3000名を越える会員の、壮大なライブラリーを世に提供しようと思っています。海外の日本文学研究者も参考にするでしょう。イベントだけでなく、文筆家の集団である日本ペンの、ペンクラブらしい試みだと自負しています。玉稿をお待ちしています。

 その後は日本詩人クラブの理事会でした。こちらは大きな問題もなく、ルーチンの議題をこなしました。私の担当である、雑誌「詩界」239号と「詩界通信」6号も無事に出て、やれやれです。すぐに7号の準備もしなければなりません。会員・会友の皆さんから届けられる情報は、漏れなく記載するようにしています。詩誌、詩集発行、イベントなどの情報をお寄せください。7号分は、一応9月30日で締切っていますが、まだ間に合います。発行は11月末を予定しています。



中原道夫氏詩集『ぶら下がり』
burasagari
2001.9.20 東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊

 

神に近づきたいと思うのは
神が確かなものでなく、遠く離れた
けして手にすることのできないものであるからだ
もし、神が石のように確かに存在するものであるのなら
ぼくらはきっと神に背中を向けることだろう

人が空に憧れ
宇宙に思いを馳せるのも
そこに、遠い時間と
果てしない距離があるからだ

遠いゆえに
茫漠たるゆえに
空の上に神が住むという
ぼくらの伝説

けれど、驚かないか
この満満と雪解けの水を湛える湖に
いま、あの遠い空が映っているのだ
空の上に住む神が微笑んでいるのだ
ぼくらの住む森や街と一緒に

だから、人は言うのだ
----湖は芙しい
----湖には神が宿ると

ぼくは石を投げる
計り知れない時間の奥深くに
そして、神に向かって

一瞬、神はたゆたうが
何事もなかったかのように
再び、静寂さを取り戻す

みなも
水面に大きな波紋を残して----

 著者8冊目の詩集だそうです。紹介した作品からも判りますように、巧みな表現、卓越した視線でその円熟を知ることができますね。湖に「遠い空が映ってい」て、そこに「空の上に住む神が微笑んでいる」という発想に斬新さを感じ、しかも「ぼくらの住む森や街と一緒」だという視線に、著者のふところの深さを感じています。神のたゆたいが「水面に大きな波紋を残」すことだという表現には、「神に近づきたいと思う」気持にさせられます。
 ここで言うところの神とは、何々宗というものではなく、むしろ詩神なのではないかと思います。だからこそ、この作品を敬虔な気持で拝見できるのではないでしょうか。そんなことを感じさせられた作品、詩集です。



いちぢ・よしあき氏詩集
『達磨サンガ転ンダ』
darumasan ga koronda
2001.10.10 千葉県山武郡成東町
工房わんおくろっく刊 1200円

 TDI
    
−軟質ウレタン原料−

例えばメタンCH
4の様に  炭素は多数の
水素と結合する
TDI 9622は鬼子だ
から 窒素の檻に繋がれ 脱出を夢見る 濕
分それが在ればと容器を弄る 経時は魔物だ
 密栓不全の隙間からふと 大気が触れる
彼は細かく震え反応する 水だエナジー 容
器が跳んだ 一気上空 三十米 まだ工場上
屋 眉間の辺り くっきり 蹴り痕

 この詩集の中では決して代表的な作品とはいえず、もっと詩集に即して考えれば紹介したい作品があるのですが、おそらくこういう詩にコメントをつける人は少ないだろうと思い、あえて紹介します。私も仕事柄、多少、化学を齧っていますので、まっさきに「TDI」というタイトルに惹かれました。手持ちの「岩波 理化学辞典 第4版」で調べてみますと、次のようになっています。

 トリレンジイソシアナート[tolylenediisocyanate]トルイレンジイソシアナート
 (toluylenediisocyanate)ともいう。TDIと略称される。ポリウレタンの原料として、イソシアナート基の位置が2,4のものと2,6のものとの混合物のまま用いられる。2,4体の融点22℃、沸点124〜128℃(18Torr)、2,6体の沸点129〜133℃(18Torr)。商品化されているものに3種の混合比があり、それぞれ相当するトリレンジアミンとホスゲンから合成される。ホスフィンにより2量化し、鎖式第3アミンにより3量化する。求核試薬と反応することを利用して、ポリウレタンホーム、繊維、ゴム、塗料、接着剤の製造に用いる。2,4体は有毒。

 少し判ってきました。作品からは湿気によって「容器」が「三十米」も「跳」ぶ事態なるようです。それが判ったところで詩としてはどうかと考えると、「窒素の檻に繋がれ 脱出を夢見る」などのように擬人化している点がまずあげられると思います。そして「眉間の辺り くっきり 蹴り痕」というユーモアが詩として成立させていると言えるでしょう。全体にダイナミックな動きがあり、なかなか他では見られない作品です。副題である程度の知識は得られますが、専門の辞典にあたる必要があるのは難点かもしれません。しかし、それを越えても私には魅力が感じられる作品です。
 私は化学反応も物理作用も美しいと思っています。それらに人間を超越したものを感じ、詩を感じています。そんな詩らしきものも書いてきましたが、なかなか認めてもらえず中断している形になっています。同じようなことを考えている詩人に出会い、心強い思いをしました。もう少しその路線も続けてもよさそうだと考え始めました。



詩誌『波』12号
nami 12
2001.9.15 埼玉県志木市
水島美津江氏発行 非売品

 前線の蟻/水島美津江

せめぎあう電車の後に
蟻のような行列は
勇み足で白いビルディングに吸い込まれていく
確かに甘い香りは漂っていたのだが‥‥‥

  こく こく と
刻まれていく時の途上
一はけの不安がビルを吹きぬけて
透明な窓から
白い壁の亀裂へと
赤く燃える黄昏が水流のようにさしこんでくる

薄っぺらなワイシャツごと体を流されないように
  飛ばされないように
残り一つのデスクに
深夜までしがみつく

もはや香などは何処かに消えていた
一滴の蜜のために
他者の首さえさしだす前線であった

  寄せてくる水の音
  踊り場の狭いスペース

群は ちり
  ぢり となって
死臭漂うビルの闇
デスクの下 ズボンの膝まで
ひた
  ひた と満ちてくる黄昏の水位

このフィナーレをどう飾ればいいのか
個の時代に向って
  群を放たれて

 本当にサラリーマン受難の時代だなと思います。群れていれば何とかなっていた時代は終って「個の時代に向って」いるのに、個性的な思考は拒否され群れることを求められた世代が今、リストラの憂き目に遭っています。だから「甘い香り」にだまされるなと言ったろう≠ニ今さら言っても後の祭です。考えようによっては「一滴の蜜のために/他者の首さえさしだす前線」を作ったのは、私たち自身であったかもしれません。
 考えさせられる作品です。それと同時に作者の距離が好ましく感じられます。単なる批評に終らず、自分自身が身をもって浸っているように受け止められます。
 なお、原文では「スボンの膝まで」となっていましたが、誤植と判断し訂正したことをお断りしておきます。



詩誌『よこはま野火』41号
yokohama nobi 41
2001.10.1 東京都中野区
よこはま野火の会・唐澤瑞穂氏発行 500円

 弟/飯田美世

私が十歳の時 弟が生れた

それまでの母の苦労を初めて知る
りんごのように頬っぺたの赤い
可愛らしい四、五歳までを育て上げる大変さを
----
私も船場小学校から帰ってからはおんぶしたりして
御霊神杜や北御堂さんへ
----
その頃は公園がなかった
御堂筋もせまい道

この頃 その子が私を見舞にきてくれる
六人兄姉が皆亡くなって姉弟二人が残った

百歳を見舞う九十歳
まじまじと 見つめあう

 作者は満百歳におなりになったそうです。編集後記では、自筆の原稿に「百歳の詩を沢山書きたいと思います」との手紙も添えられていた、と記されていました。すごいことだと思います。百歳の詩人というのは、おそらく日本では初めて、世界でも類がないのではなかろうかと思いますね。まず、そのことに感心しています。
 弟さんへの慈愛もにじみ出て、いい作品です。「まじまじと 見つめあう」という最終行にそれを感じます。お互いによくここまで生きてきたねえ、というような言外の言葉を想起して、いい人生を過していらっしゃるなと、胸の熱くなるなるものを覚えます。「六人兄姉」のことも決して忘れず、人間の素晴らしさを改めて思い知らされます。人間の設計寿命は
125年と言われていますが、あと50年でも100年でも、いつまでも詩人としてのご活躍を願っています。



   back(10月の部屋へ戻る)

   
home