きょうはこんな日でした【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画:ムラサメ モンガラ |
2001.10.7(日)
『山脈』109号の発送を代表宅で行いました。予想より多くの同人が集ってくれて、3時間の予定作業時間が半分で終ってしまいました。夕食まで間があったので、皆なで海岸まで散歩に行きました。
横須賀・馬堀海岸にて |
ちょっと風が強かったんですが、往復1時間半、ちょうどいい散歩でしたね。防波堤に描かれた絵を見ながら、沖の猿島を見ながらで、リフレッシュしました。朝、出掛けに、今日は横須賀に行くんだから海が見たいな、と思っていたところでしたから、いいタイミングでした。
○の会会報『』26号 |
2001.10.20
神奈川県横須賀市 筧槇二氏発行 300円 |
筧槇二さんの「つづきの見たい夢」というエッセイの中に、なつかしい人たちの名前が出てきました。赤石信久さんと藤本義一さんです。赤石さんは詩人で、10年ほど前に亡くなっています。藤本さんは大阪の作家と同姓同名ですが、別人のサントリーの宣伝部長をやっていた人です。2年ほど前に亡くなっています。お二人とも、私が『山脈』のメンバーだということでかわいがってくれました。
エッセイは、そのご夫婦連れの赤石さんと夢の中で会ったというものです。これも亡くなった東野英治郎の芝居を一緒に観て、チケットを譲った人品骨柄のいい§V夫婦と芝居のハネた後で一緒に呑もうということになったとたん目が覚めた、というものです。呑みそこねた、つづきが見たい、というエッセイです。
亡くなった詩人で私の夢の中に出てきた人は、伴勇さんだけです。数年前の話です。いつものようにコンコンとお説教を聞かされていたと記憶しています。伴さんは私を『山脈』に紹介した恩人ですから、それだけ私の思い入れが強いのかもしれません。しかし、筧さんのように同年代の呑み友達ではありません。私の呑み友達はみんな生きていますから、夢に出てこないのは当り前かもしれませんが、いずれ筧さんと同じ立場に置かれます。その時に、夢の中でも一緒に呑みたいと思う友達がいるか? そんなことを考えさせられました。
○肌勢とみ子氏詩集『騙し騙されて』 |
2001.9.26 東京都新宿区 土曜美術社出版販売刊 2000円+税 |
合評会
素敵なドレスを手に入れた
うきうきしながらそれを着て鏡の前に立ってみると
なんだかドレスばかりが目立ってバランスが悪い
そこで もっと自分を目立たせようと
せいいっぱい飾り立てた
おしゃれな帽子に素敵な靴
金キラキンのアクセサリーに身をかため
颯爽と登場した
拍手喝采 絶賛の嵐
と 思ったのだが
飾り過ぎだ と全員うんざりの表情
それもそうだと指輪を外し帽子も靴も脱いだ
のに まだ余分なものがあるという
泣く泣くドレスも脱いだ
残るは顔で勝負と
入念に化粧をすれば
詩は説明じゃないよ とバッサリ
すっかりやけになって素っ裸で出ようとすると
詩が真っ青になって倒れてしまった
その時だった
うしろの方から拍手が聞こえてきたのは
振り返って見れば
さっき脱ぎ捨てた下着がそれなりの顔をして
器用に椅子の背にかかっている
これはおもしろいと思いましたね。「合評会」というものを経験していない人には判り難いかもしれませんが、どんなに自信を持って出掛けてみても辛辣な意見が待っているものです。けなされる大きな要因に「飾り過ぎ」があります。それに気づいて「素っ裸」になって初めて「うしろの方から拍手が聞こえて」くるんですね。そして褒められているのは「さっき脱ぎ捨てた下着」だけなんです。
合評会を経験している人は皆、そんなことは嫌というほど判っていて、それを書いた詩も少ないながらあります。しかし、この作品のように具体化されているものは無いんじゃないでしょうか。見事な具体化です。もっとも、これを男が書いたらサマになりませんね。お前の下着なんか見たかねえよ^_^; そこもうまく計算しているなと思いました。
あとがきで「披露するほどの知性も技量も持ち合わせていないものだから(中略)結局この詩集も訳のわかる詩の羅列となってしまった」と謙遜していますが、とんでもない、訳のわからないことを訳のわかるように表現してくれているのだと思います。観念を観念のままで書いても、読むのがシンドイだけ。この詩集のように具体化してくれないと、詩の読者がどんどん離れていってしまうと思うのです。
○山中利子氏詩集『こころころころ』 |
2001.10.8 東京都文京区 いしずえ刊 1300円+税 |
よくあること
お医者さんが
ふつうの人だとわかった時
なあんだそうかと思った
わたしの病気は
特別なんかじゃなかった
私のびょうきは
とくべつなんかじゃなかった
私はふつうの
人で
よくある
病気で ちりょう
教科書の通りに治療しているので
よくなっても
わるくなっても
考えこんでもしかたない
まあなんていうか
カミサマのいうとおりなんだと
著者は元看護婦だそうです。童話の会も主宰しているようです。この作品には、その両方がうまく表現されていると思います。略歴には「精神障害者のための社会適応訓練事業所」を経営した、とありますから、「私のびょうき」は精神障害なのかもしれませんね。そう読んでいくと「とくべつなんかじゃなかった」という意味がよく判ります。私も20年ほど前に神経症と診断されたことがありますから、「考えこんでもしかたない」「カミサマのいうとおりなんだ」というフレーズには実感があります。
それにしても「教科書の通りに治療している」というのは愉快ですね。教科書の出来不出来はあるんでしょうが、現象を教科書にしてしまうというのが、何とも頼もしい感じです。もちろん教科書で人間のすべてが解釈できるわけではありませんが、かなりの部分は可能だと私も考えている部類です。そういう理屈の世界と、理屈では説明できない隙間に詩や文学が存在しているのでしょうか。それが「カミサマ」かもしれません。
○詩誌『あにまる・ラヴ』8号 |
2001.9.25
大阪府茨木市 あにまる・ラヴ舎 笹野裕子氏発行 500円 |
こまなしで乗れた日/立野雅代
木の電柱が立つ道で
ハナをたらしたこどもが自転車にのっている
その後ろでステテコに腹巻き姿のおとうちゃんが
腕を組み立っている水彩画
「こまなしでのれたひ」
額のしたに画家の手書きでタイトルがついている
わたしも
こまなしで自転車に乗れた日のことを覚えている
やっぱり後ろには父がいた
朝日新聞を読まない
貯金ができない
おかずに文句をいい電気製品もなおせない
生きている時は
わたしが思う理想の父親と違うことが
とても嫌だった
らいねんは十三回忌
今のわたしなら
わかることはもっとたくさんある
おとうさんと呼んでも
もう聞こえているのかどうかわからない
今日も自転車に乗っている
引き返せない時間を走っている
「こまなし」というのは補助輪なしの自転車だと思います。私の子供の頃は子供用自転車なんてものは無くて、小学校2年生のときに大人用自転車を誕生日のお祝いで買ってもらいました。「三角乗り」というので乗っていました。でも、自分の子には補助輪付きの子供用自転車を買って与え、「やっぱり後ろに」いましたね。今では中3になった娘は「理想の父親と違う」ので「とても嫌」がっているでしょうか^_^; そのうち「わかることはもっとたくさんある」の思うようになってくれるのでしょうか、「ステテコに腹巻き」もやってないですから^_^;;;
まあ、そんな私事は置いてといて、作品の中で光っているのは最終行の「引き返せない時間を走っている」というフレーズですね。「今のわたしなら/わかることはもっとたくさんある」というフレーズと相まって、無常感がよく出ていると思います。そうやって人間は少しずつ成長していくのかな、とも思います。一枚の絵から想起された作品ですが、人間の本質を鋭く突いていると言えますね。
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