きょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画:ムラサメ モンガラ




2001.10.10(
)

 夕方、小学校の校長先生から電話がありました。私の詩を授業?(何かのイベントだったかもしれません)で使いたいから許可せよ、というものでした。もちろんOKと応えました。著者の知らないうちに教科書に詩が載っていたり授業で使われたり、というのは聞いている話ですから、ご丁寧な先生だなと思いました。
 小学校の校長先生とは、小・中合同のPTA懇親会で2、3度お会いしています。何かの折に詩の話になって、私の詩集『特別な朝』(1999年山脈文庫)を贈呈したことがありました。その中の「かつを」という冒頭の作品を使いたいとのことでした。現代文明の急いで≠テーマにしたもので、それを使いたいというのですが、小学生相手にどのようにお使いになるか興味津々です。資料が出来たら送ってくれるとのことで、楽しみにしています。
 著作権について話を戻します。教科書に無断で作品が載せられているというのは、意外に多いようです。私の知り合いにもいました。彼は喜んでいましたが、実は重大な著作権侵害になります。私も所属する日本文藝家協会でも問題になって、教科書出版会社と契約を取り交わしました。教科書に作品が載るのは名誉なことですしうれしいことでしょうが、学校に関連する分野で著作権侵害が起きるのはマズイことですね。遅れ馳せながら一歩前進したことを喜びましょう。もっとも、私には無縁の話ですが^_^;



詩誌『叢生』116号
sosei 116
2001.10.1 大阪府豊中市
叢生詩社・島田陽子氏発行 400円

 木/曽我部昭美

 j 白樺

北の地から転校してきた子が
薄い紙のような木の皮を見せた
くるくるっと巻いてあって
掌に収まる位の大きさ
----焚き付けに使ってたの

原野に立ち並ぶ白い木と
かまどに小さく屈んで
かいがいしく煮物をする姿が
頭に浮かんだ

興昧をそそられた私の手に
その珍しい紙切れを渡しながら
はにかみ笑いを見せた地味な女の子

五年一組のがらんとした放課後
その続きのように
席の暖まらない内に
またどこか遠い教室へ移っていったが
紙切れは いまも
私の手の中でかすかに音を立てたりしている

 「席の暖まらない内に/またどこか遠い教室へ移っていった」「はにかみ笑いを見せた地味な女の子」というものは気になるものですね。短い期間しか一緒にいなくて、たいして言葉も交わしていないのに、ある日、急にいなくなったことが判って、妙に気になる同級生。そんな思いのひとつやふたつは誰にでもあるものでしょう。
 ここまで書いて、実は私自身が「席の暖まらない内に/またどこか遠い教室へ移っていった」小学生だったことに気づきました。3年から5年生の間の2年半ほどで20回近く転校したろうと思います。父親がダラシなかった結果ですが、今ではすっかり忘れていました。そして、この作品の逆の位置に私がいたことにも気づきました。
 居残る側、立ち去る側と立場が違っても、別れはいつもさみしいみのです。そんな中で「紙切れは いまも/私の手の中でかすかに音を立てたりしている」というようなフレーズに出会うと、人間を信用してみようという気になりますね。「五年一組のがらんとした放課後」を感じとっていたあの時代を、もう一度思い出させてくれた作品でした。



鬼の会会報『鬼』353号
oni 353
2001.11.1 奈良県奈良市
鬼仙洞盧山・中村光行氏発行 年会費8000円

 江戸の健康酒
 江戸時代は酒を健康づくりに利用した。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』に四日市の旅籠屋で喜多さんが、商人から焼酎を買って足に吹きかけ、「これでくたびれが休まるだろう」という。旅の疲れを取るのに、焼酎をかけているのだ。焼酎が普及し、疲れを取ると知っていたのである。民間医療の時代、酒は療法の媒体として重宝された。『守貞漫稿』には薬用銘柄は備後鞆の保命酒≠ニある。

 毎号楽しみにしている「鬼のしきたり」という連載エッセイの一部です。「酒を健康づくりに利用」するのは、もっぱら呑みながらと思っていましたが「足に吹きかけ」て「旅の疲れを取る」とは思ってもいませんでした。注射のときのアルコールは、ちょっと意味が違いますけどね。しかし焼酎を足に吹きかけるというのは、今でいうところのアンメルツのようなものかもしれません。あれにもアルコールは含まれていると思います。意外なところで「民間医療」の伝統が生きているようにも思います。



詩誌『夢ゝ』7号
yumeyume 7
2001.10 埼玉県所沢市
書肆夢ゝ・山本萌氏発行 200円

 あけびのしる/赤木三郎

おさない
ひの すぎたのに
あのつるのあけびには まだ


とどかないのは

------なぜだろう

むらさきの皮を割って出る あの
漏刻の
しるは
あんなにも あふれてこんなにもいまになって
しずかにまるで雨のように
そうです わたしの舌のうえにとどく
おもいでのまま の
つるのあけびには まだ


どうしてもとどかない のに

 私の読みが間違っていると思うのですが、どうしても性的なものを考えてしまいます。「あけび」の隠語は女陰だったと記憶していますので、そこからの発想から逃れられません。第1連は少年の日の憧れ、最終連は憧れが現実になった今も「おもいでのまま の」憧れには「どうしてもとどかない」という解釈です。
 もちろん、そんな世俗に関わりなく思想的なものに置き換えても鑑賞は可能です。「あけび」には宗教的な意味もあったように記憶していますが定かではありません。辞書で調べたところ「あけび」は「女陰をいう俗語」とありますから、間違いではないと思うのですが…。



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