きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2001.11.8(木)
日本詩人クラブ会員の二瓶徹さんから「新・波の会」の定期演奏会への招待を受けていました。直前まで行けるかどうか判らなかったのですが、やはり徹夜仕事が決ってしまい、参加を断念しました。ところが16時頃になってトラブルが発生し、徹夜仕事が無くなってしまいました。それから出かけたのでは開演18時半にはとうてい間に合わず、演奏会が終るころにやっと到着ということになります。泣く泣く諦めましたけど、これが都内の職場なら余裕で間に合うんでしょうね。神奈川の西外れからは、やはり都心は遠いとつくづく思いましたね。
徹夜が無くなるのがもう少し早く判っていれば、早めに仕事サボッて行ったのに…。二瓶さん、ごめんなさいね。
○詩誌『RIVIERE』59号 |
2001.11.15 大阪府堺市 横田英子氏発行 500円 |
彼岸頃(エンドレスラブ11)/河井
洋
例えば遠い昔、
至らなかったひとへの想いに
詫びて泣く夢をみている私の顔を覗き込む人の心細げな顔。
左肩にちいさなリボンがピン止めされている。
古色いろの中学生が大阪、「天王寺」の山門でマニ車を回している。
私たちの至らなかった近・現代史の、至らなかった証のように
正確に言えばマニ車に手を置く少年と傍に立つ利発そうな少女とのツーショット写真。
利発ゆえに「北」に向かうとこの大阪で消息を絶つ。
古来、ここに立てば、別れた人との再会が約束されている。
「○○さんが○○さんを探しています」
朝見る夢はきまってさびしい。
まして朝の雨が斜めにガラスの窓を
目覚へと激しく落ちていく夢の中で位いている私に
泣いてもいいのよと 同じように泣いて私の頭を掻き抱く人へ
みていた夢を語る朝のしぐさ、めざめへの繕い。
もうだれとも別れたくない。
最終連の「もうだれとも別れたくない。」というフレーズに惹かれました。長く生きるほど、別れなければならない人は増えてくるものです。その相手が「エンドレスラブ」というタイトルに示されている人なら、なおさらのことです。「ここに立てば、別れた人との再会が約束されている。」場所があったとしても、なかなかうまくいかないものだと思います。
そんな人生の数限りない別れを、しみじみとうたった作品です。「利発ゆえに「北」に向かう」というフレーズには日本の一時期の姿が表現されていて、歴史的な意味も深い作品だと思います。
○金井節子氏詩集『夕陽の当たる崖』 大宮詩人会叢書第四期13 |
2001.10.20 埼玉県さいたま市 大宮詩人会叢書刊行会刊 1300円 |
ひき算
小さかった息子は
算数のひき算ができない
どこ・そこ引ける所から引いてしまう
18−9は 9から8を引き
おまけにlからlを引く
答はいつもゼロに近い痩せた数字であった
あわてた私は息子の答案用紙を持ち 息子と
放課後の職員室に先生をたずねた
「お金勘定はとてもできるのよ」と
先生はくすっと笑った
息子の手を引ききまり悪く帰ってきた
いつも何を思っていたのだろう
小さかった息子
日本人の平均寿命から
思い切って引いてしまった歳の数
途方もない二十八歳の生涯を
閉じてしまった息子
月日の経つのは何と早いことだろう
私ははかないたし算をしつづけるだろう
生きていれば三十四歳の夏をむかえている
7年前に28歳という若さの息子さんを難病で亡くした著者の、鎮魂詩集です。全編に息子さんへの愛情が溢れていて、胸が熱くなる思い堪えながら拝見しました。私は母親を二人も亡くしていますが、その逆の立場になるわけで、私以上に辛い思いをなさったことが感じ取れます。
「ひき算」というタイトルが良く効いています。「思い切って引いてしまった歳の数」というフレーズも胸に響きます。7年という時間をかけても、これから先、何十年という歳月をかけてもこの「ひき算」という思いは変らないでしょう。しかし、息子さんを亡くされたことは辛いことですが、「ひき算」という大きな遺産を与えられたと言えるかもしれません。ご冥福をお祈りいたします。
○個人詩誌『粋青』27号 |
2001.11 大阪府岸和田市 粋青舎・後山光行氏発行 非売品 |
不幸な叙事
今年十五番目の台風が紀伊半島の南海にやって来ていた
九月十日の夕刻 雨があがった一瞬があった 黒い雲が
切れその上空に普通の白い雲が見えた 西の空では黒い
雲が切れて その向こう金色に輝く夕焼けが覗いていた
夕暮れの街が赤いセロファンでおおわれたように染まる
不気味な瞬間に私は居た 小さな中華料理の商店主は赤
い風最を見上げながら「こんな時は地震でも起こりそう
だなあ」と不安を増長する独り言を残して店に入った
美國発生九一一恐怖攻撃事件 支持美國対抗恐怖主義
と台湾の新聞が後で伝えた事件が起こったのは 十一日
の深夜近くだった 台風が日本列島に上陸し被害状況を
伝えていたニュースが 突然アメリカの得意なパニック
映画と見間違えるようなテロに変えられて実況された
雨上りの夕刻 赤く染められた見慣れた風景の上空に大
きな虹が出来ていた ほとんど完璧な半円の虹は総てを
すっかり包み込んでいた 台風の被害のニュースが次第
に小さくなるなか民主主義が揺すぶられはじめている
二○○一年九月
この事件のニュースを私は日本で見ていたが、後山さんは台湾で見ていた。同じように世界中の人が世界中で見ていたということを実感できる作品です。台風のニュースがどこかに行っちゃったことも記憶に新しいし、ビルに機体の形がそのまま残った映像も忘れることはないでしょう。しかしその時、台湾では「ほとんど完璧な半円の虹は総てを/すっかり包み込んでいた」のかと思うと、なぜか一抹の希望を抱きます。
この作品を拝見して、やはり「叙事」で書かなければいけないなと思いました。言いたいことは山ほどありますが、言えば言うほど空しさを感じます。事物に語らせる、そしてどうしても言わなければならない「民主主義が揺すぶられはじめている」ことだけを書く。社会現象を描く作品のひとつのお手本のように思います。
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