きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科




2001.11.21(
)

 ずいぶん久しぶりに4日連続でちゃんと日記を書いています。ことによったらこのHPが始まって以来かもしれませんね、、、と言わないで調べてみましょう。その結果、1999年は10回、2000年は2回、今年はこれを含めて10回でした。意外と多いですね。最長連続記録は2000.12.8〜15の8日間でした。だから何なんだ? 何なんでしょうね、こういうデータを採るのが好きなんです^_^; そこからいずれ見えてくるものもあるかもしれないと思う次第です。
 毎日、こうやってちゃんと書いていると楽ですね。いただいた詩誌・詩集を一度に5冊も10冊もまとめて読む必要がなく、一日に2〜3冊読めばよくなります。一日のうちの5分、10分という時間を無駄にせずに生活していますが、そんなシャカリキになる必要もないわけです。うーん、呑む時間を削ればもっと楽になるんですがね^_^;



長岡昭四郎氏詩集『ドライ アイス』
dry ice
2001.12.5 東京都板橋区 プラザ企画刊 1000円

 ドライ アイス

駅前に肉屋を営む彼は
休日でも「冷蔵庫を見に行く」と言って家を出る
何百万円もの肉片がねむっているから
もし故障が起きて 腐らしたら大変

店の裏の小さなマンションで
女は抱かれると肌も唇も冷たくした
冷蔵庫を見て来ると女にも言った
ある日 突然おそった心臓発作であえなく他界した

家族も 店も 女も捨てての旅立ち
冷蔵庫だけにふりまわされた短い一生
その哀感を誰も知るものはいなかった

冷蔵庫が女だったのか 女が冷蔵庫だったのか
ドライ アイスに抱かれた
彼の空虚な顔が冷たく凍っていた

 紹介した作品は詩集のタイトルポエムです。「冷蔵庫」と「ドライアイス」が相乗効果をあげていると思います。肉屋さんが毎日「冷蔵庫を見に行く」というのは初めて知りましたが、考えてみれば「何百万円もの肉片がねむっているから」当然なんですね。当り前と言えば当り前なんですが、仕事≠フ聖性を感じました。
 「冷蔵庫だけにふりまわされた短い一生」というのは、実は私たちそのものであるように思います。
あまり大したものも残せず「旅立」っていくしかないのかもしれません。最期は「ドライアイスに抱かれ」て終るのでしょう。それもヨシとするか! そんなことを感じさせられました。



月刊詩誌『柵』180号
saku 180
2001.11.20 大阪府豊能郡能勢町
詩画工房・志賀秀夫氏発行 600円

 復刊15周年記念号、とありました。15年間一度も休まずに月刊を維持してきたとは、本当に敬服します。私は復刊1号から『柵』をいただいていると思います。さすがに180冊全てを現在の書斎に置くことはできませんが、160号ぐらいまでは実家の書庫に保管してあります。今後も大事に保存させていただきます。

 成分表/肌勢とみ子


 これが主な成分である

頑丈な皮膚 肉 骨少々短めの
さまざまな袋類

人に言いたかったけれど言えない文句
 どっさり

うわさ
 時にはこれのみで作られたりもする

忘れてしまった過去
忘れたいのになかなか忘れられない過去

数知れない失敗





明日

以上の材料と名前で
わたし は作られている

 「わたし」は何からできているか、というおもしろい発想の作品ですね。この調子でいくとどんどん出てきそうです。薄っぺらな表面しか見ない眼、金の臭いを嗅ぎ取る鼻、都合のいいことしか聞こえない耳、思っているいることと違うことを言ってしまう口。まだまだあるゾ、嫌な仕事にはすぐ引っ込めるくせに、おいしい仕事にはつい出てしまう手、職場から社員食堂に行くときには速いのに、昼メシが終ると遅くなる足。「忘れてしまった過去」に対しては来ると思っていたのに、なかなか来ない未来≠ゥな? いくらでも出てきますね。
 そうやって読者の脳を刺激してくれる作品だと思います。でも「
本/闇/嵐/明日」は判りますけど「土」がよく判りませんでしたね。ドロ臭い、というような意味なのでしょうか。そこ以外はよく理解できました。作者の柔らかな頭脳を感じさせてくれた作品です。



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