きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2001.11.26(月)
日本ペンクラブ創立を記念する、恒例の「ペンの日」が東京會舘でありました。毎年のことですが500名ほどの人たちが集って、すごいモンです。会員だけでなく、同伴者、マスコミ関係者も来ますので、ほんとうに賑やかなことです。でも、今年は梅原猛会長が体調不良で参加されず、ちょっと淋しかったですね。梅原会長の穏やかな話し方、でも言っていることはけっこう過激で、そのアンバランスを楽しみにしていたのに、残念です。早く快復なさることを祈っています。
写真は梅原会長の代理で挨拶する三好徹副会長です。この方のお話は2度ほどしか聞いたことがありませんが、歯に衣を着せぬモノ言いで、私は好きな作家の一人です。挨拶の中では11月23日に開館した「電子文藝館」にも触れていただいて、感激しました。電子メディア委員会の理事・秦恒平委員長が依頼しておいたようですが、かなり長く、ご自分の期待も込めて紹介してくれましたので、本当にうれしかったですね。電子メディア委員会の1年に渡る苦労が、これでフッ飛んだような気になりました。もちろん、まだまだ詰めなければいけない状態ですが、一応、私たちの手を離れました。当日配布されたものを転載します。
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電子メディア委員会・電子文藝館 委員長・理事
秦 恒平
*日本ペンクラブ電子文藝館(梅原猛館長)
URL http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/
本日「ペンの日」に、すでに開館・公開されている。
表 紙:国宝関戸本万葉集
開館宣言:梅原館長の和文・英文
物故会員:創立以来、昭和43年現在の名簿を校合し、氏名一覧を掲載。
現 会
員:全員氏名を、閲覧の便を最大限備えて、一括掲載。ともに将来のデータべ−ス化に備える。
掲載ジャンル:歴代会長/詩/短歌・俳句/戯曲・シナリオ/ノンフィクション/評論/随筆/小説/児童文学/オピニオン/翻訳/外国語/索引
*開館作品
[歴代会長]島崎藤村「嵐」/正宗白鳥「今年の秋」/志賀直哉「邦子」/芹澤光治良「死者との対話」/中村光夫「知識階級」/井上靖「道」/大岡信「長詩と英訳」/梅原猛「闇のパトス」
(依頼中:川端康成「片腕」/石川達三「蒼氓第一部」/高橋健二「翻訳作品」/遠藤周作「白い人」/尾崎秀樹「未定」)
[物改会員]与謝野晶子「自撰・明治短歌抄」/土井晩翠「荒城の月及び回想」/白柳秀湖「駅夫日記」/徳田秋聲「或売笑婦の話」/上司小剣「鱧の皮」/横光利一「春は馬車に乗つて」/林芙美子「清貧の記」/岡本綺堂「近松半二の死」岡本かの子「老妓抄」/三木清「哲学ノート」
(吉川英治「べんがら炬燵」を入手、依頼中多数)
[現理事]阿刀田高「靴の行方」/神坂次郎「今日われ生きてあり」/秦恒平「清経入水」
[現会員]篠塚純子「自撰歌集」/村山精二「自撰詩集」/加藤弘一「石川淳論」/崎村裕「鉄の警棒」/大原雄「意見」
(久間十義「海で三番目につよいもの」を入手。井上ひさし副会長、猪瀬直樹理事の出稿が確約され、待機中。)
予期以上に多彩で重みある作品を、「開館」に揃える事が出来た。白柳作品のような歴史的に貴重な作品も復刻されている。日を追って先輩作家達の貴重な作品が数多く掲載され、国民の価値ある「読書館」に育ってゆくと期待できる。理事諸氏からどんな作品が出るか、「文藝館」の鼎の軽重は、そこで問われる。自愛・自薦の秀作を早く出して戴きたい。マスコミへの吹聴も皆さんにぜひお願いしたい。
*来春の例会で「電子文藝館」のデモンストレーションを企画しています。乞う御期待!
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最後のデモンストレーション云々は、実は今日の「ペンの日」でやる予定でいました。しかし500名も集っている立食パーティーの席で、費用対効果を考えると無理、と判断して延期したものです。2月例会を予定しています。100名ほどの席ですから費用も軽微で済み、効果も期待できるでしょう。ちなみに「村山、お前がやれ!」ということになっています^_^;
会がハネて、電子メディア委員会の有志でご苦労さん会をやろうということになりました。会場に姿を現した委員は5名。2名は次があるとのことで不参加。結局、秦恒平委員長と高橋茅香子編集主任、副委員長の私の3名でやることになりました。場所がスゴイ所でしたね。勝鬨橋近くの高橋さんのオフィスです。マンションの12階の部屋からは隅田川、勝鬨橋、朝日新聞本社、東京タワーなどが一望で、うっとりしましたよ。ワインもチーズもおいしく、気心の知れた仲間と一仕事終えたあとで呑む酒は最高です。実際のところ、電子文藝館に私はあまり貢献していないのですが、それでもうれしいのです。いい夜になりました。
○高橋茅香子氏著 『英語で人生をひろげる本』 |
2001.2.20(3刷) 東京都千代田区
晶文社刊 1800円+税 |
高橋さんのオフィスでいただきました。高橋さんは東京外語大卒後、朝日新聞社に入社し、国際配信部次長、朝日ウィークリー編集長、国際本部副本部長などを歴任後退職された方です。この本の他に『英語となかよくなれる本』があり、訳書も多数あります。専門はインドネシア語・オランダ語のようですが、英語は「言うまでもなく」というところでしょうか。そんな国際的な感覚で英語を取り上げた本ですけど、読みやすく楽しい本です。童話が好きで、原書を読んでみたいという欲求から英語に親しんだとありますから、これは私にも理解できますね。
いただく詩誌の中に、和文と英文の両方を載せているものが少なからずあります。実はこれが楽しみなんです。日本語の詩をこんなふうに訳すのか、英文の詩がこんな日本語になるのかと興味は尽きません。
ジョン・アーヴィングの作品が好きで、翻訳されたものはすべて読みました。そんな中に1990年代初頭に書かれた「オーウェン・ミーニーのための祈り」という作品があります。『文学界』に第1章だけ翻訳されて出ていました。おもしろくて、いずれ全訳されて単行本になるだろうと待っていましたが、何年待っても出ませんでした。原書を買って読もうと思いましたけど、自分の読解力では無理と思って諦めたことがあります。この本を読んで、失敗したなと思いましたね。そこまで惚れ込んでいたんだったら、やっぱり読めば良かった。そうすれば私の読解力ももう少し向上したでしょうにね。ちなみにその本は『オウエンのために祈りを』(上・下)となって1999年に新潮社から出版されました。
英語の幼児教育が盛んで、日本語もよう判らんくせに、と私は偏見を持っている方ですけど、この本を読んでちょっと考え直したところがあります。「子どもの英語教育を考える」という章で、小学生に英語を教えている先生の言葉に「英語がしっかりしている子どもは、日本語も豊かだ」というのがありました。これは納得できます。科学的な考え方がしっかりしている研究者は日本語も豊か、というのが生業を通しての私の持論なんですが、それと通じるものだと思います。たぶん、あらゆる面で基本は一緒なんでしょう。
最も多く使われている言語は中国語だ、英語は植民地支配の遺物だ、という考え方が私の中にはあります。しかし、それを越えて英語がブロークンでも許されるという包容力、単純なスペル、比較的ゆるやかな文法という魅力は否定しきれません。インターネットを中心とする世界支配としての英語には注意するとしても、エスペラントでは成功しなかった共通言語として見直そうと、この本を読んでつくづく思いました。ご一読をお奨めします。
○森野満之氏詩集『男の生活』 |
2001.11.20 宮崎県東諸郡高岡町 本多企画刊 3000円+税 |
隠し味
苦労話はだれにもあるもので
息子相手に
ついついやってしまった
教訓話になるのは嫌なのだろう
息子は火の粉を避けて
男の現状を俎上にのせる 、、、
「それで親父はいつから幸せと言えるようになったのか」
話の途中で
息子が単刀直入にさばいてくる
とっさに
「結婚してからかな」
不思議なほどすんなりと
フェミニストの太っ腹を見せた
料理されているのをうすうす感じながら
ふと目をやると
妻は蛇口から流れる水音の向こうにいる
笑顔を向けてみたがなにか物足りない
隠し味として
「そしてまた、あらたに苦労が始まった」
小声でひと言付け加えると
なんとか男の料理にも真実味が出た
うまい作品だなと思います。料理と親子と夫婦の関係がうまく料理≠ウれていて、思わず二重丸を付けてしまいました。会話も洒落ていて、ニンマリしてしまいましたね。「そしてまた、あらたに苦労が始まった」というフレーズには喝采をしたくなったほどです。
実はどの作品を紹介するか困ってしまったほどです。このHPでは一冊の詩集の一作品を原則としていますから、それは崩したくない。あくまでも村山というフィルターを通しての作品紹介ですから、客観的には、それがその詩集の代表作品というわけではありません。ここで紹介することによって、HP訪問者がその詩集を読んでみたいと思っていただければ、こんなうれしいことはない、そんなつもりなんです。
ちなみに、キリがないんですけど「本心」「訪問」「白桃幻想」「予感」「8月の汗」「夢」と、冒頭から紹介したい作品が続いてしまうのです。樹木をまったく違った観点から描いた「闘う樹木」も素晴らしい作品です。私もこの世界に30年ほど身を置いていて、かなりの詩人を直接存じ上げていたり、作品を記憶しているという自負がありました。しかし、森野さんは同じ神奈川県民でありながら、ひょんなことからお会いして初めて知ったという体たらくです。もちろん森野さんは私のことなどまったく知るわけはないと思いますが、狭いと思っていた詩の世界もそうとも言えないことを知らされた次第です。ぜひ本多企画からお買い求めになってお読みください。活力を与えられる詩集です。
○詩誌『しけんきゅう』137号 |
2001.12.1 香川県高松市 しけんきゅう社発行 350円 |
扉/浜崎美景
あなたの内側へ開くドアは半開き、敷居をこえて
ぼくは入ってゆき、また出ていく
こぼれる白い血の中で数え切れない
細胞が散っている
熱いポタージュのようにまぜ合された血
息を切らせて横たわる躰。
コトバをつむぎ合うその肉体たち。
限られた時間の流れを足早に歩いてきて
茂る樹々や草たち
そこにひしめきあう花々、そして
口づけあう花びらからは
夢のコトバがこぼれ落ちる。
破れ目の多いコトバの編目をあみこみながら
無数の唇が半開きに咲き群れて。
作者の意図とはまったく違うのかもしれませんが、表面的には性的な読み方をしました。その方がイメージがつかみやすかったからです。もちろん作者が一番書きたかったのは最終の2行だと思います。これは性とは無縁に、文字通り「コトバ」と採った方が良いでしょう。「破れ目の多いコトバの編目をあみこみながら」というフレーズはおもしろいし、いい観点だと思います。「破れ目の多いコトバ」を必死に編み込んで私たちをそのまま表現していると言えますし、この作品の中では一番好きなフレーズです。
「夢のコトバ」は「破れ目の多いコトバ」。なにやら青春そのもので、いくつになってもそこから抜け出せないのが詩人であり、庶民そのものであるように思います。さすがは巻頭作品、と思った次第です。
○詩誌『すてむ』21号 |
2001.11.25 東京都大田区 甲田四郎氏方・すてむの会発行 500円 |
船出/青山かつ子
汽笛がきこえるのに
海へ行くに道が見つからない
せかされながら
薮をわけると
みどりの原っぱ
原っぱの筵のうえには
おはじきや
わたしの着せ代え人形もちらばっている
だれもいない
潮の匂いにまじって
かすかに
こどもたちのはしゃぐ声
トンネルを抜けると
船はこどもたちを乗せて
光の海をすすんでいく
あの船に乗りたかった
こどもの私をつかまえて
大人になるなと
告げたかった
「船出」はいつも希望に満ち、そして不安なものです。まして「こども」から「大人」への船出となると、尚更のこと。そんな思いが全編に溢れている作品だと思います。最終連の「大人になるなと/告げたかった」というフレーズが痛いほど伝わってくる作品です。それにしても大人になるということは、どうしてこうも辛いことなんでしょうかね。
大人になれば楽しみも増えて、知識も吸収して幅広く世の中を見ることができるようになります。しかし失ったものも数限りなくあります。「はしゃぐ声」や「光の海をすすんでいく」こともいつしか失くしたようです。それでも寄港の度に、次には常に船出が待っています。そんなことを考えさせられた作品でした。
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