きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
kumogakure
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科




2001.11.30(
)

 11月も今日で終り、、、と白々しく書いていますが、実は12月11日23時33分なんです^_^; やっと、その日のうちにその日の日記を書けるようになったと思っていましたが、やっぱりダメですね。なかなか思うように時間がとれません。まあ、誰にでもそういう時期はあると思っています。先輩たちもそういう時期を過してきたようですしね。そうやって世代がつながっていくのかなと思います。
 続いて蛇足。現在、12月13日20時55分。やっとアップできそうです。11月の暦をめくるのは、11月のアップが終ってからと思っていましたので、ようやく12月の暦にしました。だからナンダぁ! 別に何でもないんですけど、密かな喜び^_^;



詩誌Messier18号
messier 18
2001.11.28 兵庫県西宮市 非売品
Messierグループ・香山雅代氏発行

 おしろい花/岸田美智子

部屋は音符をつけた
言葉で充たされていた
きみがおり きみたちがいて
もう追億になってしまった
名の人がいた
投げだされた広がりの向うを
襲撃する思想たち
意識の神秘からふくれあがってくる
恥らいのフリュートの旋律の中で
革命という言葉があれほど
高い響きをもつことはなかった
日が傾き
淋しいおしろい花が
窓の向うで揺れていた
逆光の中で
あなたの白い歯が笑っていた
すぐそこに在るのに
手のとどかない雲のような
      時間があった

 おそらく作者の意図と違う感じ方をしていると思うのですが、
30年ほど前の私の青春時代を回想しています。特に「襲撃する思想たち」「革命という言葉」というフレーズに反応しています。それなりに高い志を持っていた青春だったなと、この作品を拝見して改めて考えています。人民に奉仕する、という、今となっては傲慢ともとれる思想を中心に行動した青春。それは「おしろい花」のような、一見、華やかなものだったのかもしれません。
 しかし「日が傾」いた現在、「淋しいおしろい花が/窓の向うで揺れてい」るばかりなのでしょう。そうして初めて「すぐそこに在るのに/手のとどかない雲のような/時間」の存在に気付かされた気がします。「あなたの白い歯が笑ってい」て、「すぐそこに在る」ことにもっと早く気付いていれば、違った生き方もあったでしょう。いやいや、また同じことをくり返していたかもしれません。ここしばらく忘れていたものを、強く呼び起こしてくれた作品でした。



詩誌『木偶』48号
deku 48
2001.11.25 東京都小金井市
木偶の会・増田幸太郎氏発行 300円

 長い作品で有名な増田幸太郎さんの作品を紹介します。そうは言っても300行近い作品ですから、ごく一部になることをご了承ください。「夏のかたち」という総タイトルのもとに「山塊を征く」「夏の跡」「曙光のとき」というサブタイトルの作品があります。紹介するのは、そのうち「夏の跡」という敗戦直後の状況を描いたもので、第4連(最終連)です。

 復讐のこと
 それから二ケ月も過ぎた十月のある日のことである
 根室本線、滝川駅に行くための列車でのことである
 赤平、芦別は炭鉱の町であった
 駅前には中国、朝鮮の旗が靡き彼らの雄々しい姿が見られた
 列車が到着すると彼らは横暴に乗車して来た
 問答無用に復員兵を見つけては殴る蹴るの激しい怒りをあらわにして
 狂うように乗客に襲いかかっていた
 その行動は素早く、座席を飛び越えて殴りかかるの振る舞
 たまたま兵隊帰りの服装でいたために、瞬時に襲われ
 暴行を受け、血だらけにされても、かっての兵隊は無言で
 彼らの成されるが儘であった、狂乱の車内は、ただ、されるがままの乗客
 笞と棒で、極度に使役された長い長い奴隷のような隷属の日常から
 彼らはそのとき、重い長い怨念を一度に爆発させ、狂うがごとく
 これまでの忍従を晴らしていたのである
 わたしは突然の騒乱と不可解なグロテスクな非情を見ながら
 彼らの仕置きの凄まじさに怖さを秘めていたのである

 「赤平、芦別は炭鉱の町であ」り、私の生地でもあります。戦後4年たっての生れですから、もちろん当時のことは体験していません。しかし炭鉱は記憶にあります。親戚には炭鉱夫もいましたから、おおよその様子は理解できます。そんな思いをしながら拝見しました。
 つくづく思うのは、暴力で対処すれば暴力で「復讐」されるということです。「不可解なグロテスクな非情」がくり返されるだけだ、と思う次第です。なにやらテロとその報復戦争をも言い含めているように思えてなりません。長い作品のすべてを紹介できないのは心苦しいのですが、一端を感じてもらえるものと思います。



詩と批評誌『岩礁』109号
gansyou 109
2001.12.1 静岡県三島市
岩礁の会・大井康暢氏発行 700円

 神風學/三方 克

神風なんか吹かなかったと
きみはいうのか
ならばあのカスリーンの号泣は何だ
アイオン キティ ジェーン ダイナ
外国人のヒロインの名で泣き叫んだ嵐は何だ
列子の「瓦全より玉砕を」のカッコいい語を借り
一億玉砕をとなえ国を滅そうとした政府のある関東を直撃した
寝耳に水というとおり
枕もとに押し寄せてきた水
瓦全と嫌うなら瓦なんていらないのね
ふっとばされた瓦 屋根の周りは黒い沼
古代さながら家は水上に建ち
人は頭や肩に子や荷をのせ 道路の川を流れ歩く
戦争中は浅間もよく噴き縁側に灰が積もった
ことばではいわぬ神の
気象庁でもわからぬ怒りのわけを知るがいい

 「妖精學」「神風學」「インタビュー學」の三篇が同時に掲載されていて、そのうちの一篇を紹介します。自分の浅学を宣伝するようですが「列子」と「瓦全」が判りませんでした。パソコンで変換しても出てきませんでしたから、パソコンも浅学≠ネんでしょうね。辞書
(Microsoft/Shogakukan Bookshlf Basic)によると、「列子」は中国戦国時代の道家の思想家だそうです。情欲を去り、心を虚しくして自然に従うべきことを説く一方、六朝の思想である快楽主義、神仙思想、仏教思想の影響が見えることが特色≠ニあります。何やら矛盾した、おもしろい思想家のようです。「瓦全」は(瓦のようにつまらないものが完全に保存される意から)何事もしないで、いたずらに生きながらえること。無為に生命を保つこと≠セそうです。
 神風は吹いた。それは我々に味方するものではなく「ことばではいわぬ神の/気象庁でもわからぬ怒りのわけ」がある、という理解になります。神の怒りは「一億玉砕をとなえ国を滅そうとした政府」に向けられていますが、実は私たちにも向けられているのかもしれません。「人は頭や肩に子や荷をのせ 道路の川を流れ歩く」のは政府ではなく、私たちそのものであるわけですから。
 もうちょっと想像を逞しくすると、
21世紀初頭の世界情勢にまで及んでいる気もします。「戦争」というキーワードは、この50年ほど、日本には直接関係のない言葉でした。自衛隊の海外派兵が現実となった今、「外国人のヒロインの名で泣き叫んだ嵐」も増え、「浅間もよく噴」くようになるのかもしれません。そんなことを考えさせられた作品でした。



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