きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
「クモガクレ」Calumia godeffroyi カワアナゴ科 |
2001.12.28(金)
日本詩人クラブの雑誌『詩界』の編集委員会が新宿でありました。今回の報告事項は、編集委員の任期が1年延びたことですね。本来は2年で、来年5月までだったのですが、現理事会の任期と合せて再来年の5月総会までとなりました。別に異存もなく、すんなりと了承。1月理事会で承認されれば、そのまま決定となります。
ついでに現代詩研究会の日程も話されました。これも当初は来年6月までしか予定されていなかったんですけど、過去3回が好評でしたので再来年の4月まで続けることになりました。そのうちの1回は私もコーディネーターをやることになり、アレアレ。まあ、何事も経験と、前向きにとらえています。
その後は懇親会になって、非会員ですがS氏が合流しました。S氏とは年内に一度呑もうということになっていて、編集委員会が終ってから呑もうということになっていたんです。編集委員の皆さんにお伺いをたてると、ご一緒にどうぞ、ということになり合流してもらいました。S氏は名前だけ知っていた詩人とも逢うことができ、たいそう喜んでくれました。
懇親会が終ってから、今度はS氏と本格的に呑みに行ったんですが、なんと、あの恐ろしい歌舞伎町! でも、S氏の知り合いのスナックでした。いい店でしたよ。店主が北海道増毛出身でS氏の先輩にあたります。私も生れは北海道ですから、いき統合しましたね。なんと、朝6時まで呑んでしまいました。店のソファで仮眠して、11時過ぎかな?店を出たのは。呑んで泊って3000円ポッキリ。怖い歌舞伎町にもいい店があるもんだと感心しましたね。ご一緒しましょうか?
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○沼津の文化を語る会会報 『沼声』259号 |
2002.1.1 静岡県沼津市 望月良夫氏発行 年間購読料5000円 |
飢餓の自滅
昨夏は小泉首相の靖国神社参拝問題で大きく揺れた。
その頃、藤原彰『餓死(うえじに)した英霊たち』(青木書店)を読む機会があった。
第二次大戦における日本人の戦没者数は310万人、その中で軍人軍属の死者数は230万人といわれている。著者の調査によれば、戦没者の過半数が戦闘行動による、いわゆる「名誉の戦死」ではなく、「餓死」であったという。つまり、『靖国の英霊』の実態は、華々しい戦闘の中での名誉の戦死ではなく、飢餓地獄の中での野垂れ死にだったのである。ガダルカナル島などの南太平洋の島々、ビルマ、フィリピンなどでの悲惨な飢餓状態はかなり知られているが、餓死は局地的なものではなく、戦場全体にわたっていたという。
日本軍が支配していたはずの中国戦線でも戦没者の過半数が広い意昧での餓死であった。とくに敗戦前年に強行された大陸打通作戦(一号作戦)が大量の犠牲者を生んだ。
日本陸軍では、作戦がきわめて重視され、その反面、作戦のために不可欠の交通と補給、つまり兵站部門があまりにも軽視されていた。ガダルカナルの戦いはその典型である。
今村均将軍は、かつて、これは「飢餓の自滅」であり、「全く軍部中央部の過誤による」もので、これは「補給と関連なしに、戦略戦術だけを研究し教育していた陸軍多年の弊風が塁をなし」たと言い、著者も「まさに至言である」と述べている。
作戦計画を立案、指導した作戦参謀の多くは陸軍幼年学校出身者であるとして、著者は幼年学校以来の軍のエリート教育、エリート意識を厳しく批判している。
かつて幼年学校の救育を受けた身としては自省せざるをえない。そういえば、「成績が悪いと輜重兵科に回されるぞ」と言われていたのを思い出す。
悲惨な死を強いられた人たちの死にざまを神に祭り上げて忘れ去ってはならない。[山極
晃]
「ぼくの細道」というリレーエッセイのコーナーにあった文章です。実際に陸軍幼年学校に身を置いた方の言として重要なものだと思います。兵站部門を軽視した旧軍は論外として、実はこの体質は現在にも残っているのではないでしょうか。例えば会社組織の中では、研究・技術・製造・営業部門は比較的陽の当る場所ですが、兵站たる資材部門や環境保全部門などは同列に扱われているかという疑問があります。それらの部門から企業のトップが現れた例は少ないのではないかと思います。
もちろん企業のトップがすべてではありませんが、ひとつの判断基準として一考できると思うのです。
靖国問題を文章の前後で触れていることも重要だと思います。神に祭り上げてヨシとする体質は、半世紀前と何ら変っていません。清算主義というのでしょうか、物事の本質に迫らない国民性を感じてなりません。そんなことを考えさせられた文章でした。
○宮内洋子氏詩集『陸に向かって』 |
2001.12.24 東京都新宿区 思潮社刊 2200円+税 |
越えられない線
目の前に得体の知れない
人達が 右往左往している
私と夫は
手をとりあって後部座席にいた
運転している叔父が
車線変更の際
方向指示機をあげなかった
私達は
ゾーンを外れて
薄いベールの内側に
閉じこめられていた
運転手さんへの謝礼は
この位かしら
従妹がてきぱきと指示していた
叔母は通夜菓子を二百五十個
注文していた
治さんは生花を飾り司会をして
ワイシャツの袖をまくりあげて
会釈して帰っていった
追いすがる私のまなざしを
とらえて いたはずなのに
義眼の夫には見えなかったはず
もっとも枢の中にいた
夫の眼は献眼していたので
角膜は新しい持ち主の光になっていた
葬儀屋の夫と私は
人まかせで式の主役になりきっていた
このまま ベールの内側に隠れているのは
申し訳ないので
車線変更時は方向指示機をあげて
葬祭業を引き継いでいる
亡夫はいつでも反対車線を
いっしよに走っていてくれる
夢の中で側に横たわっている風なのに
線があるので ふれようとは しない
夫君を事故で亡くした著者の鎮魂歌です。亡くなってなお、著者を見守っている夫君の霊を感じさせてくれるます。技術的には生死を分ける線と、道路のセンターラインをうまくからませて、最終連に結実させた、構成上も優れた作品だと思います。さらに、そんな技術的なことより、強い夫婦の愛を感じさせる作品と言うことができるでしょう。夫君のご冥福を願わずにはいられません。
○詩誌『天秤宮』16号 |
2001.12.1
鹿児島県日置郡吹上町 天秤宮社・宮内洋子氏発行 1000円 |
「木の上のテラスにて」夏抄/宮内洋子
イタリア現代彫刻展を観て
木の上のテラスに
腰をおろした
注文したシャブリが届くまで
樹と対話した
「胴体をパブレストランに
しばられていて
きゅうくつではありませんか」
樹はこたえた
「昼も夜も人の声がうるさくて
安眠できません」
樹は涙をこぼしていた
夏の昼の涙はあったかい
人が話しかけたので
樹は涙ぐんだのか
冷たいシャブリを
飲む間
気の毒に思った
樹を中心に生やしている
このパブレストランで
友人と遅い昼定食を食べた
真夏の昼の外の景色を見たら
夕立が窓の外でさわいでいた
樹は生あたたかい天の涙を
全身にしたたらせ
室内にまでこぼしていたのだった
シャブリも 昼定食も終って
ぼんやり挑めていたら
涙も終ったらしくて
カッと太陽が窓に射していた
乾きはじめた舗道がみえる
イタリア現代彫刻展では
ファシズムで抑圧された
作品が スタートライン
と題されて
未来へ顔を向けていた
前出の詩集に続いて、宮内さんの作品の紹介ですが、最終連がうまいと思います。「胴体をパブレストランに/しばられてい」る樹と、「ファシズムで抑圧された/作品が」重なって、私たちも「ファシズムで抑圧」する側ではないかという告発を受けているようです。何気ない行動が他を抑圧することにつながっているということも教えているようです。しかし、そこには「スタートライン」がある。最後には救ってもらえました。
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