きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「モンガラ カワハギ」 |
2001.2.2(金)
埼玉県戸田市に出張してきました。納入してもらう製品の事前検査が業務です。それはまあ、何の問題もなく無事に終了しましたが、そのあとがおもしろかったですよ。
相手先の会社は近々新しいパンフレットを作るそうです。それにホームページのURLを入れたいとのこと。うん、これは解かるわな、最近の流行で、会社案内のパンフレットにURLも入っていないようでは時代遅れだもんな。しかし、問題はそのあとでした。ついてはURLの取得をお前がやれ、との工場長のお言葉。ん?と思いましたけど、聞くと、やっとEメールアドレスを取ったばかりでHPを作成できる人材もいないとのことでした。パンレットはすぐにでも印刷にまわすようで、早くURLを取得して載せたいという希望でした。
弊社がいつもお世話になっている会社のことだから、じゃあ一肌脱ぎましょうと、取得しました。感謝されて私もうれしかったです。思わず、きょう一番の大事な仕事をしました、って言っちゃいましたよ。それに、悪い癖の得意満面の顔になっていたと思いますね。おそらく鼻もピクピク動いていたんじゃないかな(^^;;
そこまでは良かったんですけど、そのあとに続きがありました。工場長はHPもお前が作れ、と言い出したんです。えぇーっ! そんな! 従業員が何十人か何百人か知りませんけど、仮にも一株式会社の顔になるHPをオレが作るんか!と思いましたね。このHPをご覧になってもお判りのように、素人なんですよ、私は。その旨はお伝えしましたけど、それでも作れ、でしたね。
で、結局、作ることにしました(^^;;
古いパンフレットがありましたから、それを元にすれば比較的簡単に作れそうです。時間も1日もあれば大丈夫でしょう。でもなあ、本当にオレなんかが作っていいのかなあ。とりあえず見本のようなつもりで作って、あとは相手先に引き渡すつもりです。早く人材が育って、引き取ってもらえることを願うばかりです。そういえば、人材育成もお前がやれと言ってたなあ。
そのあとは神楽坂に出て、日本詩人クラブの理事会に出席しました。先月の理事会は風邪で欠席しましたから、ずいぶん久しぶりに皆さんにお会いしたように思いました。でも、何人かはやはり風邪で欠席。風邪が流行っているんですね、皆さんもお気をつけください。
今回のトピックスは、海外の有力な詩人を客員会員に迎えようじゃないか、という提案があったことです。これには全員が賛成しました。日本詩人クラブは50年前の創設時にイギリスのエドモンド・ブランデンが名誉会員でいたり、同じくイギリスの詩人フレーザーと交流があったほどですから、伝統的に海外にも門戸を開いています。昨年の50周年記念祭ではオランダ大使館の後援も取りつけたり、ボリビアの詩人ペドロ・シモセと交流したりと海外に対しては自信も持ち始めています。
規約にも事業の内容のひとつとして「外国の詩人及び詩団体との提携、交流」がうたわれていますし、国際交流担当の理事もいて、毎年12月は国内在住の外国人詩人を招いて講演してもらっています。客員会員がいないほうがおかしいぐらいですね。3月の理事会で詳細を詰めて、5月総会に提案するようになると思います。経緯は公表できる範囲でこのHPにも書いていきますから、ご注目ください。
○じっこく
おさむ氏詩集 『もう一つの実験または対位法』 |
1984.12.15 東京都豊島区 国文社刊 1500円 |
さやまりほさんの「しけんきゅう社」からいただきました。もう亡くなっていますが、横書き・カナ書き詩で有名なじっこくおさむさんの1972年から84年にかけての作品集です。なぜ横書き・カナ書き詩なのかを「「あとがき」の追伸」という付録で多少は知ることができました。戦争中に中国で日本語学校で教えていたとき、「例えば「ワタクシハセンセイデス」と教えると生徒たちは、それに漢字でヨミガナをつけるのです。(中略)私の中で漢字への無条件の信頼にひびが入ったのは、これが最初です。」という体験をしたそうです。それから日本語の研究に取り組んで横書き・カナ書きになった、と私は解釈しました。
じっこくさんの生涯に渡る研究を、ここでは簡単に述べることはできませんが、私は「漢字への無条件の信頼」という言葉に注目しています。日本ペンクラブの電子メディア対応研究会というところで、パソコンやインターネットにおける漢字の扱いを議論していますが、実は「漢字への無条件の信頼」というのが前提にあるのではないか、と気付かされるからです。触発されて、ちょっと視点を変えて論議する必要性も感じました。
ちいさな うた
どもり
ぼぼ ぼく は どっ どもる
だっ だから は はっきり
どもり と よんで くれ
キキキ キツオンシャ なんて
い いったい なんのこと だ!
めくら
ぼく は め が みえない
だから めくら と よんで くれ
かあさん が いうように
きれいな ニホンご で
モウジン なんて ウシ みたいに いうな
メ ノ フジユウナ カタ など と
いいかげんな こと を いうな!
おそらく1972年から84年頃も「どもり」「めくら」という言葉は禁句だったと思います。それをあえて言葉とは何かという観点で作品化したものでしょう。「吃音者」「盲人」という言葉の言い換えだけに終始する者への、抗議の作品と受けとめました。言葉にこだわるじっこくさんならではの作品と言えましょう。なお、単語の後の半角空き表現はじっこくさんの研究の成果です。
○沼津の文化を語る会会報『沼声』248号 |
2001.2.1 静岡県沼津市 望月良夫氏発行 年間購読料5000円 |
「聲論」というコーナーで佐藤富雄という方が「入試考」と題して弱視者の入試の問題点を次のように書いています。
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息子は親の都合で日本の学校に入らず、大学2年生まではアメリカの学校で過ごした。大学2年が終る頃にベーチェット病を患い、病気の性質上、東大眼科の世話になり、大学も日本の学校に転校を余儀なくされた。上智大学に転校し、今春卒業、眼の方も失明をまぬがれ、現在治療も順調にすすんでいるが、視力は極端におちている。
眼の病気のこともあり、彼は弁護士の道を選ぶことになり、いくつかのアメリカの法科大学院を受験した。願書が受理になってすぐ、いくつかの大学から「私どもの大学にある医学部病院は全米を代表する病院です。君を受け入れる条件がそろっているので安心してほしい…」という内容の手紙が届いたのには驚いた。しかし、眼の治験治療が残っているので、法科大学院の入学を2年延期して、日本で法学部に学士編入することにした。そのことでアメリカでの法科大学院の在学年数を2年短縮できることも分かった。
彼はいくつかの学校を選んで入試の準備をした。視力障害者として拡大コピーで受験できること。コンピュータ持ちこみで受験できること。この2点の対応ができるところを探した。アメリカではあたりまえのことだが、日本では全部初めてのこと。2、3の大学だけがこの機会に…と積極的に対応してくれた。合格発表後すぐ入学後の対応について相談するようにと連絡があった学校を彼は選んだ。
大学事情は大きく変わろうとしている。コンピュータを持ち込んだら、その中に答があるかも知れないと騒いだ教授達がいる大学が多いことに驚いたのである。
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考えさせられる話ですね。入試っていったい何かと思います。入試とは選抜試験であり、資格試験でないところに元凶があるように思います。子供が少なくなって、選抜なんかやってられない時代になったのにね。私の知っている試験の中には、参考書だろうが問題集だろうが何を見てもいいというのがありますよ。要は課題を正確に理解し、正しい答を導き出せばいいので、暗記に頼って間違った答を見つけ出しても意味がない、という考え方です。まあ、かなりレベルの低い資格試験ではありますが。
ご子息は相当優秀な方のようで、日本の大学でもきちんと対応してくれるところがあったようで、安堵しています。暗記をすべて否定する気はありませんが、必要なことは社会に役立つ人材を育てられるかどうかだと思います。マークシートで効率的な¢I抜をやっているようでは、この国の将来も危ういのかもしれません。
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