きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
mongara kawahagi.jpg
新井克彦画「モンガラ カワハギ」




2001.2.4(日)

 午前中は自治会の美化作業でした。8時集合でしたが、役員は準備のため7時集合。そのためには6時に起きなければなりませんでしたよ。まだ陽なんか出ていません、、、って、文句を言っても家庭の主婦は毎朝、その時間には起きているんですよね。
 作業は、地域内を流れる川の土手焼きです。おおっぴらに火を点けて廻れる楽しい作業です。でも、今年は巡回が主な任務で、楽しみも半減しました。土手焼きは地球環境上は好ましくないんですが、一応、神奈川県条例でも認められていますので、まあいいか、と思っています。近い将来は禁止になるかもしれませんね。
 午後は100歳を越えて亡くなった親戚のおばあさんの一周忌に行ってきました。遠い親戚にあたりますので、そのおばあさんとの直接の面識はないんですが、足腰の弱った父親の代理として出席してきました。それにしても100歳とはすごいですね。法要に来た禅宗の坊さんもしきりにそれを言っていました。曹洞宗開祖の道元禅師でさえ80歳だったと。そんなおばあさんの法要ができて、寺としてもうれしいと。ん?「うれしい」なんて言葉を使うか? まあ、曹洞宗は彼岸の此岸もあまり区別しないと言ってましたから、法事でのそんな表現も許されるのかもしれません。



佐々木子氏詩集『砂の声』
suna no koe
2000.3.15 静岡県浜松市 樹海社刊 2000円

 朝子さんの「朝」の「月」にはカンムリが付きます。「毎」の上の部分です。このカンムリを何と呼ぶのか手持ちの辞書で調べましたが判りませんでした。当然、今のパソコンでは表現できません。9万字をサポートし、画像で表現する『文字鏡』というソフトにも載っていませんでした。正式なお名前を表現できないことをまずお詫びします。*後日談:『文字鏡』に載っていました。訂正します。
 実はこの詩集は、第11回日本詩人クラブ新人賞の候補詩集です。新人賞選考委員である私のもとに、検討詩集としてお送りください、という事務局の依頼で送ってくれたものです。従って、この場で感想を書くことは控えます。印象深い次の作品を紹介するにとどめます。

 あの夏休みに

分数をほとんど習わないで
あとは宿題にします とチョークが置かれた
終礼の声を僕等は張り上げ そのまま
帰ることのなかった教室

無蓋貨車は
引揚げ者の群れと化した僕等を満載し
地平まで波打つ高粱畑の中を走った
大地の伸ばす手から 辛うじて逃れた者と
掴み取られ 残された者と
分けられていった友達
分けられていった家族

分子って 分けられていった子供達?
分母って 分けられていったお母さん達?
分数は お母さんが子供達を割るの? そして別れてゆくの?
習いたての算数用語にそのイメージが焼き付いたので
僕は 今でも 分数式に出会うと瞬きをしてしまう
残された人達は その姿のまま静止して
遠ざかってゆく墓標のようだ

すると あの列車は 今も僕等を載せて走っている
恐い割り算を繰り返しながら
分数はどこまでも終らない割り算を隠していたから

もう終わることのない僕等の夏休みの
提出できないままの宿題を乗せた列車
あの夏 その姿をかいま見せ
また どこかへ紛れて行ったもの

明け方 遠くに
その尾を曳く汽笛を聞くことがある



季刊詩誌『裸人』11号
rajin 11
2001.1.10 千葉県佐原市
裸人の会・五喜田正巳氏発行 500円

 ある作品を紹介しましたが、作者より関係者からの依頼で載せないでほしいという連絡がありました。作者、関係者の意思を尊重して削除しました。
2001.10.18 村山精二記



 
   [ トップページ ]  [ 2月の部屋へ戻る ]