きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「モンガラ カワハギ」 |
2001.2.9(金)
スティーヴン・キングの「ゴールデンボーイ」を読んでいます。この作家の名は、日本ペンクラブの電子メディア対応研究会でたびたび出てきました。インターネットで小説を売るという活動をしているというので、電メ研としても注目している作家です。それなのに、私は今まで読んでいませんでした。それはマズかろうと本屋さんに行ってみたところ、たくさん文庫になっていました。有名なところでは、映画にもなった「スタンド・バイ・ミー」なんてのがありました。
そんな有名な本から入ったんでは、私の天邪鬼(^^;;
が許さないから「ゴールデンボーイ」にしてみました。そしたら、これも映画になっているんですね。
まだ途中ですが、なかなかおもしろいですよ。アメリカの高校生が、自宅近くに変名で住んでいる、もとゲシュタポの老人の身元を調べあげ、ユダヤ人殺戮の様子を聞き出すというもの。モダン・ホラーの旗手≠ニ呼ばれているそうですが、文章もしっかりしていて文芸作品として読んでいますが、違和感はありません。1947年生まれ、私と同世代ですので、感覚も合っているようです。好きな作家のひとりになりそうです。
○中島可一郎氏著 『わたくしの戦中・戦後の詩』 |
2000.11.11 横浜市戸塚区 私家版 非売品 |
「パンフレット1」「パンフレット2」の2部構成なっていて、1では戦中の日本詩人協会や日本文学報国会などについて、2では戦後詩人の自立的状況などを書いています。80歳を過ぎた中島さんの自伝であるとともに戦中・戦後の日本の詩の状況を真っ只中で見てきた、証言の記録とも言えます。パンフレット≠ニ規定して、中島さんの奥ゆかしさが現われていますが、71頁に及ぶ文章は大冊にも匹敵するものであると思います。
私は、特に日本文学報国会の下りを興味深く拝見しました。話では、戦争讃美の詩を書いていた詩人が、戦後は掌を返したようになったと聞いていますけど、具体的な事例を目にすることはまれで、その意味でも貴重です。その中に「主知派詩人の変貌」と題した一文に次のような下りがあります。変節した詩人たちが1946年2月10日に開いた「詩文化講演会」に関するものです。
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村野四郎のはなしは聞けなかったが、かれはそのころ長田恒雄と出した『天の繭』という詩集(パンフレット)のあとがきで、戦争なんてハシカみたいなもので瘡蓋(カサブタ)がパラパラ落ちただけ、というようなことを書いていた。二〇〇萬といわれる戦争犠牲者の立つ瀬のない無情な言葉で、あまりにも詩人として自己本位な奥行のない心境の吐露ではないであろうか。
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これには私も驚きました。一般の人でも許せない言葉でしょうに、まして言葉の芸術家である詩人の口にできるものではありません。村野四郎という詩人を、どちらかというと好意的に見ていましたが、少し見方を変えざるを得ません。
これはほんの一例で、体験に基づいた論がたくさん出てきます。学校の教科書で知った詩人たちが、中島さんの目の前でどういう発言をしたのか、記憶すべきことが多くあります。
○隔月刊詩誌『叢生』112号 |
2001.2.1
大阪府豊中市 叢生詩社・島田陽子氏発行 400円 |
国鉄兵庫駅/佐山
啓
急に北風が強まり
この秋初めて冷え込んだ日
国労組合員採用差別訴訟
東京高裁JRの責任認めず
大見出しには
世紀末米大統領選挙
日本赤軍最高幹部逮捕
の文字
国鉄兵庫駅 と
行き先を告げなくなって
何年もたってしまった
ばかやろめが
最後の1行が非常に印象的ですね。2連目、3連目は下手をすると状況説明に陥りがちですが、最後の1行があるために俄然生きてきます。それに4連目があることによって、時間の経緯が歴然としてきます。たった12行の文字の配列ですが、濃縮された、日本の歴史を感じさせる作品です。
この「ばかやろめが」という感覚は私にもあって、一時期、労働運動に身を置いた者としては、昨今の労働組合の状況を見るたびにばかやろが≠ニ呟いています。言葉の上では決して「ばかやろめが」にはなりません。作者は同人住所録で見ると神戸の方ですから、そんなところにも生活の場の違いを感じます。そういう意味でも、この1行は印象的でした。
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