きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
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新井克彦画「モンガラ カワハギ」




2001.2.15(木)

 13時半から芝公園の機械振興会館で開かれた情報処理学会の文字コード委員会に出席し、17時半からは丸の内の東京會館でペンクラブの2月例会に出てきました。効率的と言いますか、充実した1日ではありましたね。
 パソコンの漢字にコードをつけるという文字コード委員会は本来、私が出席すべきものではありません。ペンクラブを代表して電子メディア対応研究会の秦恒平座長が委員として出席すべき会議です。しかし秦さんは、その時間帯にペンの理事会になっていました。実質、第1回の会議ですから、日本ペンから誰も出ないのはマズかろう、副座長のお前が代理で行ってこい、ということになったものです。私も1年ほど前に一般参加の資格で覗いたことがありますから、多少、様子は判っていましたので引きうけた次第です。
 行ってよかったですよ。秦さんの影響力が大きいのが判りました。文字コード委員会は1999年8月に報告書を出して第1ステージを終わりました。その成果は「JIS X 0208」として2万字以上にコードが振られ、すでにパソコンに実装されています。昔からパソコンを扱っていた人には実感があると思いますが、最近のパソコンはほとんどの漢字が素直に出てくると思います。
 さらに驚いたことに「ISO/IEC 10646」として康煕辞典+大漢語辞典の採録が終わっており、計7万字を越える漢字にコードが振られているそうです。これはまだ実装されていませんが、近く市販されてくると思います。
 今回はじまった第2ステージでは、さらにそれ以上の漢字を符号化しようというものです。それには秦さんの発言が大きく採用されているのが判りました。議長の説明によると、秦さんが足し算・引き算≠フ話をされて、それに第1ステージの委員は影響を受けたようです。第1ステージでは、どういう漢字にコードを振るか、何を選択するか、それが済んだら次に何を加えていくか、という議論になりました。これが足し算の発想ですね。それに対して秦さんは作家の立場から、それはおかしいと意義を唱えてきました。筆で書くように、どんな漢字も符号化されていなければ道具として役不足だ、と主張してきました。
 無限にある、とはいっても20万から50万字ほどでしょうか、そこをターゲットとして、今の技術や時間を考えると、これとこれはすぐには無理かもしれないけど、他はなんとか早く符号化しよう、いわば引き算の発想ですね、それが採用されました。すばらしい、画期的なことです。
 そうすると問題になるのが、どこが最終目標か、ということです。それを見極めるのが第2ステージの課題ですね。代理とは言え、日本ペンクラブを代表して出席しているんだから、お前はどう考えているんだ、と議長から質問がありました。そんなことは電メ研でとっくに議論が終わっていますから、すぐに答えられました。200年前なり300年前なりの文献を持ってきて、それを符号化しようとして出来なかったら、まだ駄目、どんな文献を持ってきても符号化できるのが最終目標と答えました。
 慶大、京大、東京工科大のコンピュータ専門家、NEC、東芝、富士通、日立などのパソコンメーカーや日経、共同通信などの新聞社、それに文化庁、通産省(今は何と言いましたっけ?)、総務省などの役人が集まった会議の中で、モノ書きの立場としてはペンクラブと日本文藝家協会が入っています。そんな中で秦さんの果してきた役割、強いて言えば電メ研の議論が実を結びつつあり、感無量でしたね。こうやって世の中は動いていくんだ、発想が変われば世の中の動きも変わっていくんだと、つくづく思いました。

 そんなこんなで、ペンの2月例会は非常に気分を良くして行きました。早めに行って、秦さんが理事会を終えて出てくるのを待っていましたよ。秦さんには、ちょっと興奮気味で報告しました。喜んでくれましたね。私もうれしかったけど、秦さんはもっとうれしかったんじゃないでしょうか。

010215
新入会員の挨拶

 例会では恒例の新入会員挨拶が行われました。私の推薦した方も新潟から出てきてくれて、久しぶり、と言っても二度目ですが、お会いしました。誰とでも打ち解ける方で、推薦者としてはホッとしました。それにしても新潟は近くなったんですね、日帰りだそうです。うーん、新幹線は偉大だ(^^;;



個人詩誌『粋青』24号
suisei 24
2001.2 大阪府岸和田市
後山光行氏発行 非売品

 のぞみ

ちいさなものが
しだいにふくらんで
手元から離れる
雫のように
落ちるイメージは
あまりにも淋しいから
風船のように
ふんわりと浮かんでいくほうがいい
ふくらんだものが
手元から離れて
きれいに見える

 後山さんらしい、と言いますか、純心なイメージの中にも一抹の寂しさを感じさせる作品ですね。単純に「ふんわりと浮かんでいくほうがいい」と言わずに「雫のように/落ちるイメージ」を事前に書いてありますから、読者はその対比を考えることができます。「のぞみ」というタイトルから一般に受けるイメージは良いものなんですが、後山さんは、そうじゃないよ、「雫のように/落ちるイメージ」もあるんだよ、と言っているわけで、その辺が彼の持ち味かなと思います。
 私は実は、この作品は前出の文字コード委員会と関連づけてイメージしていました。私ののぞみ≠ニいうほどではありませんが、理系の委員の皆さんが秦さんや私のようなモノ書きの考えをちゃんと受けとめてくれたというのは、うれしいものです。まだまだこれからですが、いつかのぞみ≠ヘ「雫のように/落ち」ないでくれるものと思っています。



 
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