きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「モンガラ カワハギ」 |
2001.2.17(土)
日本ペンクラブ会員の、沼津の開業医・望月良夫さんが主催している落語の会「柳家小満んとあそぶかい」に行ってきました。場所は沼津の老舗・沼津倶楽部。初めて行きましたが、すごい所ですね。いつの時代か知りませんが、明治・大正の頃の建物ではないでしょうか。窓ガラスの一枚一枚が手作りで、微妙に歪んでいたり、ガラスの塊が付いていたりするところなんぞ、すばらしい雰囲気です。そんな中で、たった15人ほどで落語を聞いて、その後は「越乃寒梅・特撰」を呑みながら懐石料理をいただく、ってんですから贅沢なものです。久しぶりにのんびりと落語も料理も、時間も堪能させてもらいました。
柳家小満ん師匠 <権助提灯>より |
演目は「花見の仇討」と「権助提灯」。花見の余興に、仇討ちの真似事をしようという「花見の仇討」もよかったけど、私には「権助提灯」が受けましたね。本宅と妾宅をうろうろするダンナの、提灯持ちをする権助のせりふが見事。庶民の正直な感情が出ていて、現代にも通用する噺なんです。落語好きの方はご存じかもしれませんが、一度聞くと味深いのが判りますよ。
○あいはら涼氏詩集『助手A』 |
1999.10.9 東京都中央区 夢人館刊 1500円 |
保険証
父危篤の知らせを受けたのは
理学療法士学生二年目の九月
前期末試験勉強真っ最中の
夜中の十二時
昭和七年生まれの少年は
疎開先の北上の在で
茄子の嫌いな弟のことで
肩身のせまい田舎暮らしを経験し
好きな男のいた母と結婚して
私の父となった
信用金庫のセールスマンで
遅く帰り早く家を出た
「早く喰え、早く寝ろ」
いつまでたっても片付かない私と
新興宗教に走った妹を成人まで育てあげ
遅刻早退欠勤せず
税金をよくよく払った男
私は父と話らしい話をした覚えはないが
人生は用事だと
父の頭の中から勝手に聞き取った
父の最後のことばは
緊急入院で保険証を出すのに手間取った
後妻の継母に
「かばん、右のポケット」だった
平成四年九月四日午前十時四十七分
お父さんお疲れさま
「人生は用事だと」という、男の中のひとりの典型を見た思いです。作品を通して、父上の几帳面な性格が浮かび上がってきて、よく描けていると思います。それに、最初は「私は父と話らしい話をした覚えはない」というフレーズが気になりましたが、最終行の「お父さんお疲れさま」を読んで、ホッとして安心させられました。娘から見た父親像なんてそんなもんで、家にいる時は書斎から一歩も出ない私なんかも「父と話らしい話をした覚えはない」なんて言われちゃうのかもしれませんね。
タイトルが非常に良いと思います。「父の最後のことば」として、父上という人間を象徴的に表わしていて、成功しています。ご冥福をお祈りいたします。
○詩誌『夢人館通信』15号 |
1999.11.7 東京都中央区 夢人館発行 100円 |
三人の数学者をかくした「数学」/宮野一世
0を捻って横倒しにすると
∞になる
だから
身を捻って不貞寝の素寒貧のきみも
ひょっとすると大金持ち以上かもしれないし
昼ベルトのあたりを空腹でへこませ
路に寝転んでいる浮浪者たち
あのなかにとてつもない文殊がいないとも限らない
ゆえに無内容だといわれるおいらーの詩だって
捻って寝かせておけば
おもしろい発想です。「ゆえに無内容だといわれるおいらーの詩だって」と開き直っているところも好感が持てます。詩はもちろん抒情が主なんでしょうが、芸術の前衛としての必要性もあるわけです。いずれが欠けてもいけないと私は思っています。化学反応にすら詩を感じてしまいます。ですから、数学に関する詩があってもいいのではないでしょうか。その意味でも開き直る必要はなく、どんどん書いてほしいですね。
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