きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「モンガラ カワハギ」 |
2001.3.4(日)
朝起きたら、箱根は雨。うれしかったですね。今日は神社の祭典の日、雨なら中止だ! PTAの合宿も無事に終わり、朝食が済むとすぐに帰ってきました。思いがけず空いた一日。あれもやろう、これもやろうとウキウキした気分になりました。
帰りの車の中で、ずっと雨を気にしていました。箱根が雨でも下界は晴れている場合があるからです。でも、ずーーーっと、雨!もう、中止は間違いなしです。
うちに帰る途中で、本来の集合場所である公民館を過ぎました。すると何やら大勢の人が動いている気配。ん?
そうか、中止になったけど弁当の止りやめが間に合わず、それの処置でもしているのかな。とりあえず帰って着替えて、手伝いにでも行くか。と、ノコノコ行ってみると、なんと、祭典はやっているんだって!
驚きましたね。下界は朝のうちは曇、それで祭典をやっている途中から雨が振り出して、でももう止めるわけにもいかず、雨の中、続行中なんだそうです。ガックリ。とうとう夜までつき合っちゃいましたよ。こんな日もあるんだなあ。
○袋江優氏詩集『新しい耳』 |
2001.2.15 川崎市中原区 四人の客社刊 非売品 |
ホワイトノイズ
深い静寂にのまれるほど
耳鳴りは頭を埋めつくす
電子音楽的なまでに
ホワイトノイズのごとく
いつもと同じ偽善者
同じ道化をふるまう
時代が超速で過ぎてゆくなら
次の周回を待つがいい
本当の明日にはまだ
追いつく手だてなんかないから
開かれた扉の向こうでは
もう重力もない
方向もなく
すべてが可能だから
信じるべきものは
マイクロコスモスを泳ぎきろう
覚醒を見極めたならば
迷う理由もないさ
ここに響かせてくれ
ここに描かせてくれ
ここに導いてくれ
ここでとき放ってくれ
まばゆく輝く闇
日常を吸いつくす次元
切り取ることのできない音
ホワイトノイズのような
確かホワイトノイズとは音響学の言葉だったと思います。振動する物質がもともと持っている振動数をホワイトノイズと呼んでいた記憶があります。厳密な意味を調べようとして、手持ちの「理化学辞典」にあたりましたが載っていませんでした。インターネットの検索もイマイチ。とりあえず私の記憶のままにこの作品を鑑賞したいと思います。
第1連は「耳鳴り」が「ホワイトノイズのごとく」とありますから、もともと持っている振動数と考えて間違いなさそうです。第2連は「次の周回を待つ」という態度と「本当の明日にはまだ/追いつく手だてなんかない」という思考がポイントですね。第3連は「迷う理由もない」がキーワードで、最終連で再び「ホワイトノイズ」が出てきます。
こうして見てみると、この作品では作者の本来持っている震え、本質的な感性がモチーフになっているように思えます。それらを「とき放ってくれ」という願いが作品のテーマと言えましょう。実は、作者は日本詩人クラブ会員の袋江敏子さんのご子息です。まだ20台の方です。それも念頭において拝見しました。やはり若さゆえの悩みを感じます。
蛇足ですが、音響・振動の分野では、ホワイトノイズを消す技術があります。ちょっと難しい話になりますけど、逆の位相をかけます。プラスに振動している周波数には、マイナスの位相をかけるとプラマイ0になって音が消えるというものです。自分の思考や感情を制御する手法として、私はこの考え方を応用しています。もっとも最近は、ホワイトノイズそのものを1/f・ゆらぎ≠ニ称して積極的に取り入れている機器もありますから、私の手法もアテにはなりませんが…。
○詩誌『木偶』45号 |
2001.3.1
東京都小金井市 木偶の会・増田幸太郎氏発行 300円 |
パラダイス(1)
ミシンの音/伊原並子
母親がミシンをかけている
いつになく鼻唄まじりで
いったい何を縫っているのだろう
足の運びも軽やかに
ミシンの音が春を呼ぶ
少女は庭で
蝶々を追いかけている
できたわ
明るい声に振り向くと
そこにはセーラ服が一着
一年七組
あとは名前を書くだけよ
懐かしい風景に出会ったような作品ですね。「足の運びも軽やか」というのですから、今の電動ミシンではありません。そして縫いあがったのが「セーラ服」。買ってくるんじゃなくて、縫い上げたセーラ服ですゾ。今ではまったく見なくなった光景です。母娘の強い絆を感じますね。今の時代が失ったものは何であったのかを、つくづく考えさせられる作品だと思いました。
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