きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「モンガラ カワハギ」 |
2001.3.17(土)
『山脈』108号の編集会議がありました。今回から演劇欄と映画欄が加わります。また一回り大きくなってくれれば、と願っています。発行は5月10日予定。ご批評いただければ幸いです。
○秦恒平氏著『湖の本』エッセイ22 |
2001.3.5 東京都保谷市 「湖(うみ)の本」版元刊 1900円 |
今回はちょっと趣向を変えて、秦さんへの礼状をそのまま載せてみます。礼状にも書きましたが、刺激的な本です。古典の重要性を知らさせました。
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能のことはまったく判りませんが、口絵の「十六」という能面の写真には驚かされました。能面の写真は何度か見たことがあります。しかし、このような角度、照明での写真は記憶になく、なにかご本のただならぬ内容を暗示しているようで、一気に拝読しました。そして「敦盛−跡弔ひてたび給へ−」で、その意味を知ったのです。熊谷真実が首を切ろうとした少年・平敦盛は、その時どんな顔をしていたか、その具現として口絵があるとのご説明に、思わず呑み込む言葉がありました。能とはそういうものであるのか、能面とは角度・照明を変えればいかようにも観客に伝え得るものであるのかと。
平家物語には異本群のいわば総称であるというご指摘も興味深く思います。浅学の故でもありますが、平家物語はひとつとばかり思っていました。後世の人たちの平家物語を愛するがための異本というご指摘も、日本の本来の文化を考える上で重要なものだと思います。そういう文学・芸能を受け継ぐ下地がわが同胞にはあったのかと、改めて感じ入っている次第です。能・歌舞伎が延々と続いている今日を考えれば、それは当然の見方かもしれませんが、それすらも忘れかけている現実の生活に恥じ入るばかりです。
東北の片田舎の、地侍の末裔としては、先祖を精神を知る意味でも、能は重要なものだと、ようやく気付きました。四十の手習いならぬ五十の手習いになりますが、ご本に刺激されて勉強してみようという気になっています。和歌もよく知らずに育った世代で、どこまで源平の世界を理解できるか心もとないところはありますが、日本人の精神の故里も知らずに現代詩は書けるわけがない、とも思うようになってきました。ご本を座右の銘として、助けられて、勉強してみます。ありがとうございました。
○詩誌『RIVIERE』55号 |
2001.3.15
大阪府堺市 横田英子氏発行 500円 |
歴史の中/鈴木民子
いま この地上にいる
人間はきらいだ
人生は苦しい
だが もうすでにこの世を去った
人間の一生はおもしろい
それが歴史の中で描かれる時
みにくくも美しく
おろかにも賢明に
姑息にも大胆な
人間、この哀れむべくも愛しいものよ
そのような物語の描ける
人間は 一番すばらしい
死んだ人はいい人、というような言葉がありますが、この作品はそれを表現していると思います。死んだ人はいい人というのは、あるいは日本人特有の感覚かもしれません。死者に礼を尽すというのは儒教から来ているのかな、という気もします。
この作品の良いところは、基本的には人間に対して後向きではないところではないでしょうか。私にも「人間はきらいだ」と心底思っていた時期があって、この作品の意図は理解できるつもりです。そして安心するのは「人間、この哀れむべくも愛しいものよ」というフレーズです。これが根底にあるからこそ、この作品が生まれたと言えるでしょう。しかし、それにしても「いま この地上にいる/人間」には、絶望させられることが多過ぎますね。それも含めて人間、と受けとめるしかないのでしょうが…。
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