きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「モンガラ カワハギ」 |
2001.4.6(金)
日本ペンクラブの電子メディア対応研究会と、日本詩人クラブ理事会のダブルヘッダーになってしまいました。ダブルヘッダーって、もう死語ですかね。
電メ研は、実はエアーポケットだったんです。私たちの任期は一応3月で切れています。おそらく再々任されるでしょうが、正式には4/27の理事会で承認されてから、ということになります。そういう意味でエアーポケットになります。だからという訳ではありませんが、ワイン付きの研究会になりました。NHK甲府副局長の太原雄さんが地元のワインを持って来てくれたんです。佐渡屋のワインということで、有名なモノらしいですね。赤で、ちょっと苦味があってうまかったですよ。前代未聞のアルコール付きの研究会になりましたが、たまにはイイんじゃないですか(^^;;
今回の目玉は、『2001「電子出版契約の要点・注意点」に関する報告』というパンフレットが出来たことです。2000年度電メ研の集大成と言っていいでしょう。会員の皆さんには4月中旬をお届けされます。ご覧ください。HPでもすでに公開されています。「電子メディア対応研究会」のコーナーにありますから興味のある方はご覧になってください。
2時間の予定の電メ研を1時間サボッて、その後は詩人クラブの理事会に出席しました。こちらも今回が最後の理事会になります。1年間のまとめということで、ここで報告することはあまりありませんが、特筆すべきことは除籍者を出したということです。1997年より会費を払っていない会員10名、会友1名を除籍することにしました。督促状を出しても応答がなかった方です。残念ですが組織の運営上は止むを得ません。会費を払わない人に、他の会員の金を使って通信費その他を支出するのは、道理に合わないと思います。
組織の一員になっている皆さんにお願いします。会員の義務は3つあります。遠隔地でない限り、総会や例会に可能な限り出席すること。投稿依頼があった場合は執筆すること。そして、会費を納めること。当然、執行部にも義務はあります。会計・人事を明朗にすること、遠隔地の会員にもメリットを考えることだろうと思います。そうやって組織は成り立っていくものだろうと思います。私も執行部の一員になって2年しか経験がありません。それだけじゃないよ、というご意見があればご教示ください。よく判ってないことがいっぱいありますんで(^^;;
○詩誌『よこはま野火』40号 |
2001.4.1
横浜市金沢区 よこはま野火の会・疋田澄氏発行 500円 |
一枚の絵/加藤弘子
画用紙の真ん中に青いニワトリが四羽
仲良くミミズをついばんでいる
小学一年生の息子がクレヨンで描いた絵
クラスでただひとり
「ちょっと問題があると考えられます」
担任の女性教師のまなざしに
若い母親はたじろぐ が
「あの子らしくっていいと思っています」
きっぱりと言った
「ニワトリは白い色か淡い肌色です」と
先生は言われたが
母親は微笑んだまま
学校からの帰り道
どこからか
金木犀のかおりがしていた
問題ひとつなく息子は大人になった
まるまると太った青いニワトリが
うごきだしそうに
絵の中でいまも育っている
「ニワトリは白い色か淡い肌色」で「青いニワトリ」を描くのは「ちょっと問題があると考えられ」るという発想に、まず驚かされました。今でもそんな指導をしているんでしょうかね。一時期、絵を見て、色や形から精神状態を探るというのが流行したことを思い出します。
それに対して「若い母親」の態度は立派です。それにも驚かされました。毅然とした態度と言いましょうか、最近、そういう母親が少なくなった気がします。そんな「若い母親」の心理として2連目は置かれていますが、これはうまいですね。効果的です。全体の構成も無理がなく、時間の処理のし方もうまいと思います。「青いニワトリ」をこの目で見たいものだ、という気にさせられる作品ですね。
○大野理維子氏詩集『母代り』 大宮詩人会叢書第四期(6) |
2001.3.20
埼玉県大宮市 大宮詩人会叢書刊行会刊 1300円 |
着せ替え人形
幼い頃 熱中した着せ替え人形
糊と鋏で仕上げた千代紙の十二単(ひとえ)のお姫様
小学生時代は 針とミシンを使って
錦紗やメリンスの端切れで縫った人形の服
彩り鮮やかな夢で膨らんだ玩具箱
母は昔 裁縫を教えたが
裁縫の好きな娘は私ひとり
終戦前後 母の着物を皆の服に仕立て直し
和服の母には 簡単服を縫った
昭和二十年に逝った母への唯一の親孝行
結婚して物不足の時代には
自分のスーツを幼い息子のスーツに変え
生地が手に入ると母子三人お揃いの服
孫達の時代は デパートに既製服が溢れ
好きな服を選ぶだけでよい
初孫の七・五・三の前日は夜遅くまで
羽織・袴の寸法合わせに張り切った
右手の扇子を頭上に翳(かざ)し
左手に千歳飴の袋を下げて
----日本一・日本一
と跳ね回った五歳の若殿
孫が小学生になると 娘が言った
----おばあちゃん 孫達は着せ替え人形ではありません
夢から覚めた私は茫然自失
やがて 老いた私が寝込んだ時には
自分が着せ替え人形になっているのだろう
最終連がうまいなと思います。娘さんの「孫達は着せ替え人形ではありません」という感覚は、判るようで実はよく判りませんが。既製服がふんだんにあっても、手縫いの服は邪魔にはならいと思うですけどね。娘さんはそんなことを言っているわけではなくて、「おばあちゃん」があれこれ服を着せ替えることを嫌がっているのかな?
それはそれとして「やがて 老いた私が寝込んだ時には/自分が着せ替え人形になっているのだろう」というフレーズは、哀愁を感じさせて、作品としてはいいし上がりだと思います。そういう意味では「幼い頃」から現在までの自分史であるわけで、時間の処理にも無理がありませんね。「着せ替え人形」を縦糸として、うまく構成されていると言えるでしょう。
○詩誌『コウホネ』9号 |
2001.4.10
栃木県宇都宮市 <コウホネ>の会・高田太郎氏発行 500円 |
母への挽歌/相馬梅子
お母さん
やすらかに眠っている目じりに
小さな涙のしずく
目をとじても
ほんとうは心で起きているのかしら
わたしの別れを思っての涙かしら
この頃言葉少なくなって
じっとわたしを見ている
お母さん
昔の記憶のなかの人や
眼の前のわたしのこと
これから先のこと すぎ去った昔のこと
映画のように
心の中にうつっているのかしら
お母さん
なにかにじっと耳かたむけて
旅立って行く次の世界を考えているの
お母さん
夕ぐれに灯がうるむベッドのそばで
わたしはあなたとすごした人生を
いつも守られていたことを思うの
お母さん ありがとう
お母さん
文字通り母上を亡くされての挽歌ですが、悲しみよりは清々しさを感じさせるのはなぜだろうと考えています。おそらく「ほんとうは心で起きているのかしら」「これから先のこと すぎ去った昔のこと/映画のように/心の中にうつっているのかしら」「なにかにじっと耳かたむけて/旅立って行く次の世界を考えているの」などのフレーズによって、母上を一般的な死者として扱っていないことに起因しているのだろうと思います。
悲しみよりは母上への感謝の気持でいっぱい、という感情が伝わってきて、それで清々しさを感じるのだ、とも言えましょう。魂という言葉は一度も出てきませんが、魂の交歓をしているのが見えます。人はいずれ死ぬもの。しかし別れに淋しい感情がないはずはありません。まして肉親なら、なおさら。それなのにこの作品には、高度な次元での感情を汲み取ることができます。今まで書かれてきた「挽歌」とは違う、稀有な作品だと思います。
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