きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「モンガラ カワハギ」 |
2001.4.7(土)
自治会役員の任期は切れたのに、旧役員は集まれ、という指示がありました。旧役員での慰安旅行の打ち合わせでした。もう自治会関係の集まりはご免蒙りたいと思っていましたが、旅行先を聞いたら急に行く気になっちゃいましたね。会津なんです(^^) 私の大好きな土地ですからね、何度でも行きたい。会津の枝藩に平藩があります。そこの下級武士が私の父方の先祖なんです。会津公のお膝元に行くわけですから、襟を正して行っちゃいますよ。5月中旬の話ですけど、今から待ち遠しいですね。
○伊勢田史郎氏詩集『低山あるき』 |
2001.3.27 大阪府豊能郡能勢町 詩画工房刊 2500円+税 |
蝉の声が
蝉の声 が
あまりせえへんな
プードルをかかえて通り過ぎてゆく
女のひと の
うしろ姿を目で追いながら
老人がひとり
ぼそり
呟くような按配で話しかけてくる
おおかた 幼虫のあいだに
土の下で揺さぶられて 死んでしもたんやで
ひるさがり の 茹だるような暑さ
誰も もうやってはこない
ふえよったんは白い花ばっかりや
紅いのは みな しょぼくれてしまいよった
ことば が 風を呼んだのか
夾竹桃の枝が わずかにゆれていた
1995年の阪神・淡路大震災を描いた作品です。初出は1995年10月の『輪』78号とありますから、震災直後に書かれたものと思います。蝉が「土の下で揺さぶられて 死んでしもたんやで」というフレーズには、今さらながら震災の恐ろしさを感じさせられます。
震災では、当然のことながら私も被災地の人たちのことを考えました。しかし、人間以外にも動植物に大きな被害があったんですね。それを改めて知らされました。そして、大きな被害を受けた中でも、作者の視線の確かさを感じます。詩人としての感受性の成せる技と言えましょう。
○詩誌『回転木馬』109号 |
2001.4.10
千葉市花見川区 鈴木俊氏発行 非売品 |
年輪/田中ヒサ
棟梁が作った円卓は
六百年の年輪をきざむ杉板
一世紀十センチ
人の人生五センチあまり
人生50年として5cm、100年としてもたった10cmなんですね。600年の杉は60cmか、と思うよりも人の一生のはかなさの方を感じ入ってしまいます。たった5cmや10cmのために、いったい何をあくせくやっているんだろうか、とも思ってしまいます。杉は円卓になるけれど、5cmや10cmでは何にもなれませんね。たった4行の作品ですが、教えてくれるところは大きいと言えましょう。
川嶋昭子さんの「別れの朝」には、引揚げ船に乗り込む前に見た日の丸のひとが出てきます。編集後記で発行人の鈴木俊さんは、日の丸には批判的だが、この作品は素直に読んだと書いています。私も同感です。日の丸そのものはいいデザインで、国旗としては優れていると思っています。ただ、日の丸が負った歴史をきちんと清算していないことが問題なのです。それをちゃんとやって、姑息な手段の法制化などやらず、国民や近隣諸国の納得のもとに国旗として扱えばいいだけでしょう。そうでなければ日の丸はかわいそうだと思いますね。
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