きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「モンガラ カワハギ」 |
2001.4.8(日)
『山脈』の筧槇二代表が10日ほど前から入院していて、お見舞いに行ってきました。元気です。インターネットという性格上、個人的なことは詳しく書けませんが、30分ほど話しをしたほど元気です。それも寝込んでいるわけではなく、ベッドに座って話しをしました。おそらく明後日には退院できるでしょう。ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、ご安心ください。ご心配をおかけしました。
4/28に予定されている『山脈』例会は出てこられると思います。4/14の詩人クラブ3賞贈呈式は、退院して3、4日ということになりますから、無理でしょう。ご本人は出席したがっていましたけど、やめた方がいいでしょうね。
○詩誌『蠻』125号 |
2001.3.31
埼玉県所沢市 秦健一郎氏発行 非売品 |
時の画集/山浦正嗣
夜が明けても風景は変わりませんでした
いつまでも白いトンネルの中にいるようで
じっと肩をまるめています
時は静かに冷えた音をたてていました
こんな季節に人はよく死んで逝きます
生まれ変わったら何になりたいかと聞かれても
生まれ変われるなら
もう何回も生まれ変わっていると答えます
あの日あの時はと振り返ってみますが
今思うように出来ていたら
苦しいことや悲しいことや
病にもかかっていなかったと思うのです
後悔というのでしょうが
生きている私にはあまり好きになれない言葉です
時は分別を持ちながら安穏ではないのでしょうが
確かな希望があったから絶望もしました
自分の気持ちすら分からない時がありました
山の向こうは川の向こうは
乗り越えれば楽園があると信じて
昔の旅人のように歩き続けて来ました
春への近道はないと
いまあきらめた時間を感じています
人は変わっていかなければ生きていけないのでしょうか
変われない人の悲しみも
新しい時は水のように流してくれます
いつの時世も 帰るのも惜しい桜花が咲いています
いいタイトルだなと思いました。人生という「時」を「画集」に見たてて、もの悲しい中にも絵画のような美を感じます。「こんな季節に人はよく死んで逝きます」「確かな希望があったから絶望もしました」などのフレーズも惹かれますね。「春への近道はない」という言葉もいいし、何より最終連が名文句だと思います。「画集」といいながら色は白と桜花の桜色しか出てきませんが、もっとたくさんの色があるように思えてしまうのは、なぜなんでしょうかね。
無情感でもなく諦念でもなく、そのくせ人生の悲しみを感じさせる、今までにない感情を覚えました。芸術家、詩人でなければ書けない感情ではないでしょうか。何か、新しい抒情の芽生えのようなものがあると思いました。
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