きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
mongara kawahagi.jpg
新井克彦画「モンガラ カワハギ」




2001.4.16(月)

 月曜日早々、朝6時半に家を出て会社に行きました。夜遅いのはあまり苦にならないけど、朝早いのはシンドイですね。もっとも、朝6時半に家を出るなんて、普通のことかな。電車で1時間も2時間もかかる人なら、そんなもんかもしれませんね。私の住んでいる神奈川県南足柄市は田舎ですけど、会社まで車で10分というのが何よりの取り得です。
 電車通勤で、本を読む時間がとれたり、帰りに一杯呑んでくるという経験は、20年ほど前には多少ありましたが、現在ではまったくありません。車でさっさと帰ってくるのもいいけど、たまには呑み屋さん引っかかってくるというのもいいですね。時々あこがれます。



大貫裕司氏詩集『川沿いの軌道』
第5次ネプチューンシリーズg]Y
kawazoi no kidou
2001.2.25 横浜市南区 横浜詩人会刊 1200円

 小綬鶏

潅木の茂みから
チョットコイ チョットコイ と
小綬鶏が呼んでいる

手網を持って
足音を消し
這うようにして近づくが
鳴き声はピタリと止み
離れたところから チョットコイ

姿を見せない可愛い忍者は
けもの道を跳ぶのか 這うのか
薮の斜面のどこかへ潜んで
チョットコイ

茂みを突いたり叩いたり
あちらこちらと走りまわって
蔓くさに足をとられた

チョットコイ と駆り出されて
腕白小僧は戦争へ行った

 あとがきで大貫さんは次のように書いています。
 「この詩集の作品は、詩誌『柵
』『さやえんどう』その他に発表したものだが、戦争の棘がまだ喉の奥にひっかかっている老骨の日常である。」
 その言葉の通り、戦争や日の丸・君が代について書かれた作品が多くあります。しかし、それらは声高に叫ぶのではなく、実体験に基づいたものを静かに語るだけです。あとがきの「まだ喉の奥にひっかかっている」という表現が示すように、他者への強要でなく自分の言葉として記録することだけを考えていると受け取ってもよいでしょう。
 作品「小綬鶏」はそういう意味で典型的なものと思います。最後の1行は決して軽いものではありません。「戦争」というたった2文字へ込められた思いを考えざるを得ません。それに「小綬鶏」の小綬≠ノも深い意味があります。辞書によると小綬とは「勲四等以下の小さい綬」とあります。兵士に与えられたものと考えられます。さりげなく書かれていますが、体験に裏打ちされた大きな作品だと思いました。



季刊詩誌『楽市』40号
rakuichi 40
2001.4.1 大阪府八尾市
楽市舎・三井葉子氏編集 1000円

わたしの一生など いいことが少なくて
あきらめばかりの人生だと
嘆いて過ごしてきましたが
この頃 すこうし お役に立てているように思えてくるのですよ
月に一度 こうして あちこちの学校へお話にあがるのです
小さい頃の遊びや
戦争中の学校の様子や食べ物のこと
そりゃもう
子供たちが眼をかがやかせて聞いてくれるのです
嬉しくてね

つなぐという字がありますでしょう
糸偏に米を書いて そして こう書く
継ぐです
いま 魅かれていましてねぇ (司茜氏「継ぐ」部分)

 「雪国への旅の途中であった/向かいあわせの席の婦人」が話してくれた内容を作品にしています。おそらく、現在、70歳近い「婦人」ではないかと思います。もう亡くなってしまいましたが、私の継母より少し若い年代の女性でしょうか。ああ、良かったな、と思います。私の継母はそんなことができる人ではありませんでしたが、その年代の方が社会の「お役に立てている」姿を知ると、継母の姿をダブらせてしまいます。
 「この頃 すこうし お役に立てているように思えてくるのですよ」という言葉にも反応してしまいました。私の娘が通う中学校でも、地域の人から話を聞く機会があります。おそらくそんな感じでご婦人も出かけているのだろうと想像しています。小・中学生と地域の人との交流は、私などでは考えられないほどの教育効果があるようです。子供にとってもメリットは大きいでしょうが、こういうご婦人にとっても「嬉しくて」しょうがないでしょうね。それが「継ぐ」ということかと思います。



 
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