きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
mongara kawahagi.jpg
新井克彦画「モンガラ カワハギ」




2001.4.18(水)

 中学校PTAの役員引き継ぎがありました。現会長は新会長に、現副会長は新副会長に、という具合に引き継ぎを行います。私は現副会長ですが、新副会長は現の広報委員長。副会長同士の引き継ぎなんてもともと何もないところにもってきて、相手は役員会に同席していた広報委員長ですから、内容は充分に承知しています。よって、引き継ぎはものの3分で終り(^^;;
 このあとはPTA総会があって、市のPTA連絡協議会があって、それで完全に終りです。あと1年、一般の会員としての義務は残りますが、まあ、気楽なものでしょう。先輩たちもみんな同じように苦労して運営してきたんでしょうから、自分だけが大変だったような顔はできませんけど、私も含めてみんなにお疲れさまでした≠ニ言いたいですね。



詩誌『黒豹』96号
kurohyo 96
2001.4.12 千葉県館山市
黒豹社・諌川正臣氏発行 非売品

 育てる/諌川正臣

吹きつける烈風に耐えに耐え
曲がり傾き齢かさねた松の木の
芯の強さ 根の強さ
人育てもかくあるべきか

「そうは思いませんね
むしろ 恵まれた環境ですくすくと
のびやかに育った人材こそ世の要」

追い越せ追い抜けの掛け声盛んなりし頃
個性を伸ばす自由学園での教育論争

おなじ木でも おなじ場所に生えていても
みんな一様には育たない
早く大きく伸びる木もあれば
育ちの遅い木もあるし

松に比し真直に伸びる杉の美林も
枝打ち 間伐 手を加えてのこと
育ちがよすぎるのを間伐するという
木目が粗くて使えないからと

人も相応に育てるのが望ましいのか
いまあらためて考えさせられる時

 間伐というのは育ちやが形が悪かった場合にするものかと思っていましたら、「育ちがよすぎるのを間伐するという/木目が粗くて使えないからと」いうことなんですね、驚きました。確かに人間もそうかもしれません。機微という細やかな神経は、育ちがよすぎると理解の範疇を超えるような気もします。ある程度の苦労がないと、そんなものは身につきませんからね。
 人には、その個人がどんなに努力をしても分野ごとの限界があると思っています。足の遅い子にフルマラソンをさせてオリンピックを目指させること、高所恐怖症の子にパイロットになるように奨めること、そんなことは無意味なことです。「相応に育てる」ために、何が相応なのか考えるのが指導者の役割だろうと思います。一番難しい仕事ですね。私も社内教育を担当していますので、「いまあらためて考えさせられ」ています。



詩誌COAL SACK39号
coal sack 39
2001.4.20 千葉県柏市
コールサック社・鈴木比佐雄氏発行 500円

その脚絆男が父の向こう脛を
一瞬のうちに何度も蹴った、私は目をとじた。
とても痛いだろうに父は山本先生のように
気を付けの姿勢で立ち続けていた。
雄鶏は向こうの方に放り投げられていた。

父の背中の後ろで立っていた私は
あごが斧折の木のような脚絆男と目が合った。
脚絆男は私を見下ろして笑うやすぐに
チョーセンジンらしい行動をしろ、チョーセンジンたちは
一から十まで教えなくちゃいかんのか
朝鮮語を混ぜて使うなって言ったじゃないか、
彼は手で父の腹をぷすっぷすっと突き刺した。

父は微動ともせずに立ち
脚絆男があたえる辱めを全てそのまま受けていた。
海辺の方に飛んで行く爆撃機が
地軸を揺さぶる音がひどくなるや
脚絆男は不安な表情で
私たち親子を放した。

その日の夜、私ははじめて父から
私たち家族は植民地の朝鮮民族という
1等国民の日本人たちとは違うという話を聞いて
私は本当に2等故国民にさえもなれないかも
知れないという絶望感とともに
理解できない数多くの思いが
私の頭の中かすめていった。(高炯烈作・韓成禮訳「リトルボーイ」第一章4 部分)

 長篇詩の一部分を紹介してみました。戦前の朝鮮民族が受けた辱めの一部分です。「朝鮮語を混ぜて使」ったというだけで「腹をぷすっぷすっと突き刺」した歴史を、何度でも何度でも問い直さなければならないでしょう。「脚絆男」は、私たちの父親の世代です。いずれ、今の若い人たちにとっては祖父の世代になっていきます。どんなに世代が変わっても、日本人の私たちは記憶しておく必要があります。「新しい歴史教科書をつくる会」などが台頭してきて、日本人に都合の悪い歴史は抹殺しようとしているこの時代には、なおさらのことです。
 以前、ある政治家がTVで「あなた方のお父さんやおじいさんがアジアで悪いことをしてきた、なんて子供に言えますか。そんなことを学校で教えられますか。」と発言していて、驚いたことがあります。自分に都合の悪いことは隠す、場合によっては白を黒と言いくるめる、こんな民族に日本人はいつからなってしまったんでしょうか。勧善懲悪の時代劇は、番組としてはおもしろくもなんともないけど、江戸時代にはそれが受け入れられていた証拠だと考えています。もっと前の時代には朝鮮通信吏が国賓として来日していたこともあったんです。それを思うと、いつからこんなことになったのかと考えこんでしまいます。
 そういう歴史的な位置付けも含めてこの作品は読まれなければならないでしょう。後記によると、長篇詩「リトルボーイ」は全体の十分の一ほどしか訳されていないそうです。今後もじっくり継続していく、と書かれていて、毎号、この作品は目を離せないことになりそうです。



詩誌『火皿』97号
hizara 97
2001.3.20 広島市安佐南区
火皿詩話会・福谷昭二氏発行 500円

 風の道/長津功三良

菱形に 逼った
天の 北の 鋭角から
風が
噴き出して くる

らかんおろし
羅漢山嵐の 通り道
雪も 雨も
その向こうの
山の上の 雲の動きを
見て 知る

今日も くにちゃんは
鉄砲を 担いで
猟犬をつれ
仲間と 山に 入る
そのあたり
三時過ぎには
陽が 翳る

夕暮れ
猟のあと
焚き火の 回りに 集まり
醤油漬けの 猪肉を
喰らう

すこぶる 美味なり
焼酎の お湯割を
飲む

焚き火に 顔は 火照り
焼酎は 胃に しみる
が 背は
吹き抜ける 風に
冷たい

夜中
酔う頃には
風に
雪が
混じり
はじめる

 山の生活の一場面ですね。「山の上の 雲の動きを/見て」天気を知るというフレーズに、実体験の重さを感じます。作者が実体験をしているかどうかは判りませんが、おそらく「くにちゃん」に近い人でしょうから、それは判るのだと思います。実体験の重さという点では「が 背は/吹き抜ける 風に/冷たい」というフレーズもそうだと思います。私もキャンプが好きで、雪の中でもテントを張ってやっていましたから、この感覚はよく理解できます。
 さすがに「鉄砲を 担いで/猟犬をつれ」た経験はありませんけど、日本の古来からの生活をこの作品から感じることができます。機械に囲まれた生活を送っていると、この作品のような生活にあこがれを抱きますね。



 
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