きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
mongara kawahagi.jpg
新井克彦画「モンガラ カワハギ」




2001.4.19(木)

 親しい人から箱根についてのメールをいただいて、それを期に、自分の住んでいる場所をちょっと考えてみました。
 私の書斎の窓からは、丹沢山系の西外れにある松田山と独立峰のような丸山、浅間山、牧場のある大野山などが見えます。南は足柄平野を経て相模灘。残念ながら途中の怒田丘陵に邪魔されて海は見えません。二階家なら辛うじて見えるのかもしれませんが、平屋です。屋根に登っても見えた記憶が無いので、二階家でも見えないのかもしれません。
 うちのすぐ南東には、蜜柑畑の向こうに神社があります。桜の老木が10本ほどあり、季節になると咲き揃います。樹もだいぶ痛んで、年々勢いが無くなっているようです。
 そんな環境で暮らしています。戸数250ほどの小さな地域で、地域や学校の行事は皆が協力しないと成り立ちません。それが嫌という人も多いのでしょうが、私はあまり苦になりません。ここで暮らすようになって、ようやく10年ですから、私から地域に入っていかないとどうにもならないという理由もありますけど…。何より、私の書斎には車の騒音が届かないのがうれしいですね。100mほど向こうは大通りなので、その沿線はかなりうるさいです。
 モノを書くには、そこそこ恵まれた環境だと思っています。問題なのは、なかなかいい作品が書けないことですね。環境のせいではなく、やっぱり才能に由来するのかな。まあ、本人は大気晩成だと思っていることにしましょう。えっ? 晩成の時期は過ぎたって(^^;;



個人誌『愚羊・詩通信』3号
guyo shi tushin 3
2001.4.1 東京都葛飾区 森徳治氏発行 非売品

 ふるさと

山間の小さな部落には
五軒の家がありました
上んち、下んち、たび屋、とうふ屋、新宅
農家なのに屋号で呼ばれる家もありましたが
たび屋から上んちへ向かう
細い道のほとりの斜面には
六体のお地蔵様が立っておりました
五歳で井戸にはまって死んだ上んちの六ちゃん
小屋に提灯を忘れ火事を起こしたのを苦にして
縊れて死んだたび屋のおさとさん
その弟で戦争中満蒙開拓団に出て帰らなかった実さん
ニューギニアで戦死した新宅の信二さん
男と連れ立って鉄道に飛び込んだ下んちのおきくさん
十六歳で肺病で死んだとうふ屋のおみやちゃん
皆お地蔵様になって
赤いよだれかけを時々つけておりましたが
だんだんに忘れられ 足元からこけが這い上がり
今ではお地蔵様の由来を知るものはおりません
山間の小さな部落には 毎年草が伸びあがり
地表を隠していきました やがて
変わらないのは夕空の色だけになるでしょう

 5軒の家で6人の死者を出していますが、おそらく短期間のうちではないかと想像しています。昔はどこの家にも仏壇があって、あっけなく人は死んでいったように思います。それも老衰で死ぬなんてことは皆無で、病気、事故、自殺ばっかりだったような気がします。私は1949年生まれで、戦前のことはもちろん知りませんが、今にして思うと戦前の歴史が残っていた時代に幼年期を過ごしたように思います。福島県の片田舎で暮らしていましたから、余計にそう思うのかもしれません。それで、この作品の時代背景が判っているような気になっているのでしょう。
 この作品で最も心打たれたのは「小屋に提灯を忘れ火事を起こしたのを苦にして/縊れて死んだたび屋のおさとさん」というフレーズです。死ぬことの是非は別にして、あの時代には恥の概念があったと思い至りました。恥をかかないという意識が、いい意味で人間を抑制していたように思います。昨今の世相を見ていると、これが本当に「おさとさん」と同じ民族か、と思うのは私だけでしょうか。
 「変わらないのは夕空の色だけになる」のかもしれませんが、そういう時代に私たちは生きていたことがあるということは、忘れたくないですね。日本人の心の原点を教えられた作品だと思います。



詩歌文芸誌GANYMEDE21号
ganymede 21
2001.4.1 東京都練馬区 銅林社発行 2100円

 草色の轍/宗 美津子

ざわめきにふりむくと
草色の轍があわく続いている
馬車や馬そりが通った昔の道
私の記憶にもある道

虎杖
車前草

ふわふわと繁る淡い緑の中を行く人たち
畑を耕しに行くんだ祖父の畑を
祖父も祖母も
父も母も
道具担いで語りながら歩いている
やわらかい土の感触や
草の匂いが寄ってくる
見えてくる
祖父と祖母の手の間にぶらさがって
ぶらんぶらんしている
小さな私
祖父と祖母の間に入って
川の字≠フ真中に寝て
昔語をしてもらっている
小さな私

笑い声と光る風と
心に続く草の竪琴*
浅い春の草むらの
ぽかぽかの日に
片側が林の小径を
歩いていたから
出会えた
蜃気楼じゃない
背中があたたかいもの……
私と地続きの永遠の感覚
私を静かに歩ませる

 
*『草の竪琴』トルーマン・カポーティ作

 なつかしい風景ですね。作者の原風景と言ってもいいのかもしれません。私の家系は農業に関係する人がまったくいなかったので、作者と心底から感覚を共有できないかもしれませんが、それでも1950年代の風景として受けとめることができます。この作品は、おそらくもうちょっと前の風景でしょうが…。
 今はカタカナになってしまった植物の名前についても思いを馳せました。「蓬」はヨモギ、これはすぐに読めました。「虎杖」はイタドリ、これもOK。「車前草」は? オオバコだったんですね、まったく読めませんでした。「蓼」は蓼科の発想からタデ、合っていました。
 なぜカタカナになってしまったのか、理由がよく判りません。漢字で書いた方が理解しやすいのにね。日本語の豊さを削ぎとってしまっているように思います。なつかしい風景とともに、そんなことも考えさせられました。



 
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