きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
mongara kawahagi.jpg
新井克彦画「モンガラ カワハギ」




2001.4.21(土)

 昨夜遅く帰宅すると、日本ペンクラブからFax が入っていて驚きました。いつもはEメールか郵送、まれに電話ですが、Fax は初めてだと記憶しています。内容はおおよそ予想でき、やはり「個人情報保護法案」に関するものでした。
 「個人情報の保護に関する法律案」が連休明けにも国会審議に入る情勢です。この法案が成立すると取材活動に大きな制約を受けることになります。日本ペンクラブ、日本文藝家協会などは反対のアピールを発表しています。それらの団体が共同で発表したアピールに賛同してもらうべく、ペンの会員には賛同書を郵送して、かなりの賛同を得られているそうです。にもかかわらず、ペンの委員でもあるお前は、なぜ賛同の返事を寄越さないんだ、というお叱りのFax でした。遅れ馳せながら、今朝、メールで賛同をお伝えしました。
 もちろん当初から賛同の意はありました。しかし、次の2点で迷っていたのです。第一は、私のようなレベルの者がしゃしゃり出て、賛同、なんておごがましいのではないか、という意識です。第二は、発表する際の肩書きを書け、となっていますけど、詩人と書いちゃっていいのかな、という迷いです。一応、PENにはPoetとして登録されていますけど、発表の肩書きに詩人なんて自分から言えるほどの仕事をしているのか、と思った次第です。
 そんな個人的なことを云々している場合ではないと思い、「賛同・詩人」として送信しましたけど、照れますね。いずれどこかで私の名前が詩人として出てくると思いますが、気持はそんなものなのでご承知おきください。もちろん「個人情報保護法」には反対で、共同アピールには全面的に賛同してることに変わりはありませんけど…。



個人詩誌『湧太詩誌・習作』5号
yuta shishi 5
2001.2.4 栃木県茂木町 彩工房・湧太氏発行 非売品

 秋分点

陰と陽とが等しくなる
太陽が通過していく
秋分点が目蓋をあけた

 ぼくのおかあさんに
 そっくりなひとがきて
 タマゴのうまない
 ニワトリの
 くびをきりおとして
 たんじょうびの
 おいわいに
 かぞくをあつめて
 みんなにたべさせた

奇妙な錯覚があるだけで
母とは重ならない
自我の姿は
浮遊したまま
黙々と
終局にむかって
移動しつづけていく

瞬時に
隠れてしまった
冬への裂け目で
色づき始める
構図の中で
生まれたばかりの
僕が笑っている

 作者は「詩学」合評会に1989年から1996年まで出席していたそうです。その時、自分の作品について評された嵯峨信之氏の言葉を録音していたそうです。今号は、作品を上段に書き、その下に嵯峨氏の評をテープ・リライトして書くという構成になっています。私は残念ながら生前の嵯峨氏にお会いしたことはありません。ですから、嵯峨氏の発言がこういう形で記録されているということは、私にとっても貴重なものです。
 この作品「秋分点」を嵯峨氏は、1994年3月26日付けで、思想性を持った詩と評しています。確かにそうかもしれませんね。「生まれたばかりの/僕が笑っている」というフレーズは、変化した自分である、ととらえているようですが、なるほどと思います。私はむしろ言葉に寄りかかった読み方をしているようで「冬への裂け目で/色づき始める/構図の中で」というようなフレーズに、より魅力を感じています。
 私がこのHPでやっていることは、嵯峨氏のようなきちんとした評ではなく、感想文程度のことですが、それでも他者と私との視点の違いが判り、いい勉強になりました。なかなかこういう本には出会えず、その意味でも貴重なものです。



岡田響氏詩集『愛餐』
aisan
2001.3.25 横浜市泉区 朱蘭舎刊 2000円

  その閃光を

 どうしたらいいの きみの捲毛が野に臥すうさぎよりもまっ白な石鹸で
 泡だらけの小さな頭を金盥で洗ってあげようとしているのに
 虚空を蹴るケンタウロスのひずめで浴槽を大洪水にしてしまうのは
 きみの肉体の海辺に打ち寄せる漣の愛撫 その聖餐の復活

 きみの眸
(め)に写るおぼろげな幻影がそのままに焦点を結ばないことを祈ろう
 たぶん世界ははっきり見えてはいけないのだ その虹のレンズに
 血の噴きやまぬ夕映だけを納めるだけでいい 決して見つめてはいけない
 きみの眸が 海だけを 空だけを 野の花だけをしか見ない瞳にどうかなってほしい
 世界はどこかで狂っているのだから 一羽の鵯
(ひよどり)のような接吻(くちづけ)の瞬間のみを感じればいい 眼前にぎらぎらと迫って来る駿馬のするどいいななきを前に
 きみはたじろがず朔風を真一文字に切り裂くすがたを見据えるだけでいい

 湧き立つ歓びの孤島から茜ひく帆を胸に受けてきみが発火するとき
 つやめく毛竝を天に献上した野葡萄がいくつぶもの驟雨となって
 まどやかなきみの尻を濡らすだろう 隠さなければならないきみの突起するその閃光を

 正直なところ、私の頭ではなかなか理解できない詩集です。それらの中でも比較的理解が及びそうな作品を紹介してみます。この作品では「きみ」を誰と想定するかが第一の関門だろうと思います。「捲毛」があって「小さな頭」、「まどかな」「尻」を持つ、となると女性か子供か、犬猫などのペットと考えられます。「隠さなければならないきみの突起するその閃光」というフレーズからは、男ともとれます。
 そのいずれをとるかによって、作品の意味は大きく変わってしまいます。作者の意図は別のところにあるのかもしれませんが、一読者としては入口で戸惑ってしまいました。皆さんなら、この作品をどんな風にとらえるでしょうか。



 
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