きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「モンガラ カワハギ」 |
2001.4.28(土)
今日から5月連休だというのに、出勤です。この連休はほとんど出勤になりそうです。不景気な今の世の中で、連休出勤までしなければならない忙しさというのは、喜ばしいことなのかもしれません。本当は家にいて、やりたいことがいっぱいあるんですけどね。
15時で仕事を切り上げて、『山脈』の例会に出席しました。退院したばかりの筧槇二代表も出席するというので、いつもの例会よりも多く集まりました。筧さんはお元気そうで、いつもの半分にも満たない酒量でしたけど、しっかり呑んでいました。
二次会にもしきりに行きたがっていたんですが、止めてもらいました。今日が外出初日で、酒もいつもより多く呑んでいるとのことでしたから、大事をとった方がいいだろうという私の判断です。今日はそこそこにしておいても、また来月呑めますからね。ここで無理をすると、あとで取り返しのつかないことになっても困ります。最近、私もそういう判断ができるようになりました。調子の悪いときは半日休むだけでずいぶんと違います。そこで半日無理をすると、あとで3日も休むようになってしまいます。
何はともあれお元気で、酒も呑めるまでに快復したことはうれしい限りです。日本詩人クラブの理事も引き受けてもらえましたから、これからは『山脈』のみならず、詩人クラブでも直接ご指導を仰ぐことができます。70歳を越えても、ますますお元気でいてもらわなくてはなりません。二次会の「登喜」のおばさんには失礼しちゃいましたけど、来月行くからねー。
○田中勲氏詩集『砂をめぐる声の肖像』 |
2001.4.8 東京都目黒区 あざみ書房刊 1800円+税 |
書架に積め込んだ数えきれない本は、
どれほどの木をきりたおしたものだろう。
美しい本は美しい木の力だというひともいるが。
ぼくの部屋にたどり着いた本以外の多くのモノのほとんどが、
ここが最後の棲家だ。それぞれが
最後の形態を保ちながら、それぞれの
モノの終わりを迎えるのである。
モノに思いいれをするつもりはないし、慰められることもないはずだ。
それでもモノがつきまとうのは、
ひとのためだけに生まれてくるモノしかないからだろうか。
あり余るモノを従えながらひとはいつか、
ことばのようなモノになる、モノより短い生涯を美しく生きるひとがいる。
美しい木は美しいひとのために生まれてくるとは限らないように
冬には冬の本が、夏には夏の本が生まれる。
ただ本が本のためだけに生まれることは木よりも不幸なことだろうか。(「机の上の漂流物」部分)
本は「どれほどの木をきりたおしたものだろう。」というフレーズに驚きました。考えてみれば当たり前のことですが、改めて問われると確かに何本の木を切り倒してしまったんだろうと思います。本好きはそれだけ多くの木を殺しているという視点がすごいですね。
「美しい本は美しい木の力」という視点にも驚かされます。モノに対する感覚も私に近く、おそらく同世代の方ではないでしょうか。あとがきに「ホームページにと発表したものの中から」とありましたから、検索してみました。きれいなHPで、美術的なセンスも抜群の方です。ここでは紹介しきれませんでしたけど、他も言語感覚の鋭い作品が多くあります。未知の人から優れた詩集をいただけるなんて、うれしいことです。許可を得ていませんから、ここに作者のURLを記載するのは控えますが、検索してみてください。
○多賀恭子氏詩集『夜の水』 |
1992.2.25 埼玉県所沢市 紫陽社刊 1456円+税 |
心中
あなたの姿は
私の目の中になかった
私は抱いた
雪の積もった木の幹を
力の限り抱きしめた
雪が落ちて
頭の上、顔の上に、
涙のように降りかかった
と
む
十夢、十夢
十の夢
それはあなたがつけた犬の名前だった
(それはバカ犬で 私にジャレつき
スカートの中なんぞによく入って困った)
その頃の二人には
世間のことなぞわからなかった
打算的な考え方なぞ
気づくこともなかった
あなたは雪の山を
どんどん登った
三十センチも積もっていただろうか
(ほんにめずらしいことだ)
雨ぐつがすっぽりと入り込み
必死で後ろを歩く私を振り返って
おかしそうに笑ったのだ
いつもそんな風だった
十夢、十夢
十の夢
それは私の心中行き
二人いながら
独り行きの 心中路
南国のすぐに消える雪の中
心中という重いテーマであるにも関わらず、なぜか明るいものを感じます。「十夢」という名の犬の存在がそう感じさせるのかもしれません。3連目が明るい感じですので、そう思うのかもしれませんね。「雪が落ちて/頭の上、顔の上に、/涙のように降りかかった」というフレーズは、見方によっては暗いのかもしれません。
最終連のたった1行がこの作品を決定づけているようにも思います。南国という設定も奏効して、作品にあたたかさを与えています。全体に重いテーマが多い詩集ですが、どこかに明るさが見えて、作者の根底の詩精神が判る気がします。
○多賀恭子氏詩集『やさしい歌』 |
1994.10.20 埼玉県所沢市 紫陽社刊 1748円+税 |
母の格言
朝は金、昼は銀、
夜は銅と、
何十遍も聞かされた
明日の風を分けて
鮮やかな実がはじける
ざくろは赤いが
種がほとんどで
甘い液体がしたたるのみ
そのようにして
金の朝は過ぎていったか
昼が正念場と
踏んばってもみたのだが
工事現場の足元の危うさ
一センチ横から
落下する釘
飛ぼうとしても
三十過ぎで嫁いでいった
同僚の顔や
すくみが立ち上がってきて
息をつく
銅の夜は頭がさえる
さえ切って、冷えきって
眠れない
そうしてまた聞えてくるのだ
朝は金、昼は銀、
夜は銅と、
今はか細い声で
文字通りの格言ですが、浅学にして私は知りませんでした。母上がお作りになった格言だとすると、すごいものだと思います。確かに「朝は金」でしょうね。私も「銅の夜は頭がさえる」方ですが、たまに朝早く起きてモノを書いたりすると、かなり活性化された脳を感じることがあります。
この作品でもうひとつ注意しなければいけないのは、最終連の「今はか細い声で」という1行でしょう。おそらく母上も身体が弱ってきたのでしょうか、それを労わる作者の気持が出ています。母娘の強い絆を感じさせるいい作品だと思います。
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