きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
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新井克彦画「モンガラ カワハギ」




2001.5.12(土)

 東京・神楽坂で日本詩人クラブの第52回総会が行われました。私は司会をやらさせてもらいました。だからという訳ではありませんが、理事会提案の議題はすべて採決されました。総会というものは何度やっても緊張しますね。執行部提案が通らないということは滅多にないんですけど、それでも可決されるまでは緊張するもんです。
 今回の目玉は、海外客員会員が認められたことです。設立当初から海外の詩人との協力関係はあったんですが、名誉会員として故エドモンド・ブランデン氏は在籍していたものの、客員会員という制度はありませんでした。少なからぬ海外詩人と交流している詩人クラブとしては、遅いくらいの制度だったかもしれません。来年度から年に数人の規模で客員会員が出てくると、個人的には想像しています。ますますおもしろくなっていく日本詩人クラブを、どうぞよろしく!

010512
懇親会にて 新入会員・会友の紹介

 新たに私たちの仲間に加わってくれた人たちです。詩人クラブのHPにも掲載しましたけど、デジカメの撮り方が悪くて、全員を一枚に収められませんでした。詩人クラブHPに載せきれなかった人をこちらで紹介しておきます。うーん、酔っていたとは言え、写真の腕が落ちた気がしています。
 悲しい知らせも聞きました。佐々木誠さんが5月1日に亡くなったそうです。秋田の詩人で、まだお若い方です。30台前半だったろうと思います。詩人クラブの会員ではありませんが、私のHPに「魂響(たまゆら)」というHPをリンクしてもらっています。先ほど確認しましたけど、HPは健在です。
 お会いしたのは二度ですが、昨年の詩人クラブ50周年記念祭にもおいでになり、遅くまで一緒に呑みました。あれが最後だったのかと思うと、感無量です。最近の『柵』誌の作品は、かなり良くなっていて、これからを期待していただけに残念です。ご冥福をお祈りします。
 愚行権という権利が最近は認知されているようです。他人から見れば何と愚かなと思うようなことでも、個人の権利として認めようという動きがあるようです。それから派生した私の造語ですが、自死権というのがあるのかもしれません。



詩誌『燦α』9号
san alpha 9
2001.6.16 埼玉県さいたま市
燦詩文会・二瓶徹氏発行 非売品

 あくしゅ/坂尻晃毅

夜の道で
僕の目の前を母親と歩いていた小さな子供が
突然 振り返り
手を差し出してきた

「あくしゅしよう…」

戸惑う暇もなく
ほとんど反射的に腕を伸ばし
苦笑しながら
見知らぬその子と「あくしゅ」する僕

だけど 胸が痛くなるほど小さく 暖かく
そしてあまりにも無防備な
子供の手が
無言のうちに語りかけてくる言葉を
そのとき僕は聞いた

「ひととひととがあくしゅするのに、
 りゆうなんかいらないんだよね」

ああ、
僕はなぜだか泣きたくなった
僕はなんだか泣きたくなった…

 作品に描かれた現象が事実かどうかは、作品と関係ないと言われています。ですから、この作品でも事実かどうかは関係ないのかもしれません。しかし、これは事実だろうと私は思います。そういう書き方をしているし、そういう受け取り方をせざるを得ないからです。事実を描くこと、事実に依拠することは、それはそれでいいのかもしれません。しかし、詩という文学として鑑賞した場合にはどうだろうか、と思います。なぜ「泣きたくなった」のか、そこを描くのが文学だろうと思います。
 作者は非常に感性の豊かな人で、おそらく性格は正直な方だろうと想像しています。それ故に、小さな手にも「胸が痛くなるほど」の思いをしているのでしょう。そこはよく理解できます。でも、もう一歩突っ込んで、なぜ小さな手は「胸が痛くなる」んだろう? それを見るとなぜ「泣きたく」なるんだろう? という視点が必要だと思います。文学とはそこを描くものだ、と思っています。作者の純粋性が伝わるだけに、もう一歩の深みを期待して止みません。



 
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