きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
mongara kawahagi.jpg
新井克彦画「モンガラ カワハギ」




2001.5.21(月)

 先日、もうひとつの「ごまめのはぎしり」を発見しました。政治家のK氏のHPでした。あちらは「ごまめの歯ぎしり」となっていて、このHPとは一文字違いで、なにやらホッとしました。でも、なんか違うゾとも思いましたね。
 「ごまめのはぎしり」とは、力のない者がいきりたつこと、の意です。あちらは祖父の代からの由緒正しい政治家で、現職の国会議員。力のない者がいきりたつこと、とは言っても、力の程度が違うだろうと思います。私なんかホント、力ないんだから(^^;; そういう意味では絶対にこっちの方が正統な「ごまめのはぎしり」だよ、って思いましたね。ま、どうでもいいことですけど、興味があったら検索してみてください。



月刊詩誌『柵』174号
saku 174
2001.5.20 大阪府豊能郡能勢町
詩画工房・志賀英夫氏発行 600円

 やさしいきもち/佐々木誠

ねころびながら
てがみをかくと
やさしくなるんだって。

ねころんで
きみのことをかんがえる。
あぁ、
そうだね。
とてもやすらぐ。

どんなときでも
なれるよ。
腹ばいになって
やさしいきもちが
ほんわか つつみこむ。

 5月1日に35歳の若さで亡くなった佐々木さんの作品です。こんな「やさしいきもち」を持っている人がなぜ早く亡くなってしまうのか、どう考えてもわかりません。ここに現れたものは表面的なものなのか、内面には窺い知れないものを持っていたのか、まるで判りません。詩や文芸、芸術というものは人間を生かすものだと思っています。作品を読む読者を生かすこともそうでしょうが、何より作者を生かすためのものであろうと思います。現実生活では無謀なことはできませんが、作品の中では何をやっても基本的には許されるはずです。それが作者を生かすことになるのなら、なおさら。
 詩の無力を感じる、と言ったら言い過ぎになるでしょうか。「やさしいきもち」を書いてもらうのはいいけど、佐々木さんの本当のところを書いてもらいたかった、という思いも強くしています。ご冥福をお祈りいたします。



 
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