きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
mongara kawahagi.jpg
新井克彦画「モンガラ カワハギ」




2001.6.2(土)

 日本現代詩人会の「日本の詩祭2001」に行ってきました。私は会員ではありませんが、毎年、会員のどなたかが招待してくれるので行っています。日本詩人クラブと日本現代詩人会は別に敵対関係にあるわけではありませんから、都合がつけば儀礼上も行くのが筋だろうと思っています。
 「日本の詩祭」のメインは何と言ってもH氏賞の授賞でしょう。その存在は高校生の頃から知っていて、詩を志したからには受賞したいものだと思っていたものです。私の実力では叶わないことと、ようやく最近気づきました(^^;; けど、こうやって授賞式に出席する、H氏賞の詩人たちと話をするなんて田舎の高校生の頃には思いもしませんでしたね。それだけでもヨシとしましょうか。
 第51回のH氏賞は、ご存じのように森哲弥氏詩集『幻想思考理科室』でした。詩集は読んでいませんが、紹介された幾編かの作品を拝聴すると、理化好きなのは判りましたけどプロではないなと思いました。お会いして、言語障害のある方と知りました。でも、気さくな方で、懇親会では皆さんにビールを注いでまわっていて、現代詩人会もいい人にH氏賞を差し上げたなと思いましたね。

010602

 写真はアトラクションの槇小奈帆さんによるシャンソンです。これはじっくりと観察させてもらいました。日本詩人クラブのイベントを担当する身としては、構成・舞台・照明などの勉強をさせてもらったつもりです。私たちのイベントにしっかり反映させたいと思っています。



詩誌『驅動』33号
kudo 33
2001.5.31 東京都大田区
驅動社・飯島幸子氏発行 350円

 体操教室/内藤喜美子

窓からのぞく
満開の桜を横目に見て
若やいだ気分でリズムの中へ

一・二・三・四
はい サイドステップ
インストラクターの弾む声に
後押しされて
健康志向を掲げた老体がうごく

いまどきの
早いテンポの曲を追いかけ
ごまかしながらの
五・六・七・八
息せききって跳ねるシューズ
笑い転げる足たち

何処を向いても
負けず劣らずの体型に溜め息
床に伏せ
重い体を支える手が
悲鳴をあげている

それでも老齢社会を
したたかに生き抜くために
恐るべき集団の目的は崩れない
ホールの中は姥桜が乱れ咲く
花見客がいないのがせめてもの救いだ

 思わず笑ってしまいましたが、「健康志向を掲げた老体」という意味では私も同類です。会社や駅でもついついエレベータ・エスカレータに頼ってしまいます。通勤も車ですから、一日に1時間も歩かないんではないでしょうか。「負けず劣らずの体型に」なりつつあるし、「重い体を支える手が/悲鳴をあげている」状態です。
 そういう面では男女問わず、共感を得る作品ですね。それにしても昔は働いて体力を養っていたものですが、今では「インストラクター」に金を払っての「体操教室」ですから、時代が変わったというのか複雑な気持です。私の住んでいるような田舎では、畑仕事や庭の手入れで身体を使うこともできますが、都会ではそうもいかないんでしょう。そんなことまで考えてしまいました。



沼津の文化を語る会会報『沼声』252号
syosei 252
2001.6.1 静岡県沼津市
沼津の文化を語る会・望月良夫氏発行 年間購読料5000円

 「教育小考」という連載のコーナーがあって、高山智という方が「輝いていた戦後改革期」という文章の中で次のように述べています。
<石川達三氏が 当時 発表した、自伝風の作品『3まんの残党』に書いている。(中略)
 「サーベルと大砲とのみに 権威を感じ、戦いと勝利とのみに最大の名誉を与えた 野蛮国日本」。そのありようを根底から問い直すことを呼びかけたのである。
 私たちが受けた戦後民主主義の教育は、まさにそうした熱気の産物でもあった。侵略戦争にかりたてられたことへの痛切な反省から出発し、主体性と批判精神に富む、強い固体をつくり出すことをめざした。何が公益かを自ら判断し、それを 私利よりも優先させることの大切さも、当然のこととして教えられた。いま一部でいわれるような、義務は抜きにして権利ばかりを教えた、などというものではない。>
 よく言ってくれたと思います。私は昭和24年生まれで、昭和30年後半が中学生時代でした。いわゆる戦後民主主義教育の尻尾の頃だったろうと思います。ですから「義務は抜きにして権利ばかりを教えた」と言われると腹が立っていたんです。しかし、うまく反論できないままでいました。それがこのように「何が公益かを自ら判断し、それを 私利よりも優先させることの大切さも、当然のこととして教えられた。」と述べられるとうれしくてたまりません。確かにそうだったよな、と思い至ります。
 そんな私たちの団塊世代も50を過ぎ、現在の高校生・大学生の親になっています。若い世代の問題は、私たち親の世代の問題であるわけです。私たちが受けた戦後民主主義教育が、なぜうまく子に伝えられなかったか。それについて高山氏は続けて次のように分析しています。
<今日、政治や社会に広がるモラルの荒廃は、戦後改革期に予想できなかった経済の肥大化と、そこからくる家族、地域社会の解体、さらには低俗メディアの浸透などによるところが大きい。>
 確かにその通りでしょうね。団塊の世代は常にマーケットの標的になっていて、大量消費時代を担ってしまったと言っても過言ではないでしょう。目の前に常に新しい、高品質な安い商品を見せられ、それを得るために働いてきたように思います。この歳になってようやく、自家用車のステータスシンボルとしての無価値に気づき、必要最低限のクルマに変えるようになったにすぎません。
 筆者の高山氏は昭和12年生まれ、私たちのひと回り上の世代になります。朝日新聞論説委員を経て、現在、中部大学教授だそうです。私たちより上の世代とは、一線があるように思っていましたが、そんなことはない、ということを知りました。先輩の提言にこれからも耳を傾けていく必要がありそうです。



 
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