きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「モンガラ カワハギ」 |
2001.6.16(土)
午前中は出勤して、午後は「神楽坂エミール」に行きました。土橋治重さんを偲ぶ第8回風忌がありました。風忌には何度か呼ばれていましたが、出席させてもらったのは今回が初めてではないかと思います。会場で、年々参加者が少なくなっていると伺いましたけど、40名ほどの参加があり、なかなかのものだと思います。
全員スピーチという設定だったようで、私も挨拶させられました。私はこの参加者の中で一番、土橋さんと関係が薄いだろうと発言しました。20年ほど前に土橋さんが主宰なさっていた『風』のイベントに呼ばれたことがあります。出席の返事を出して、前日頃、都合が悪くなったのでその旨を伝えるため土橋家に電話しました。ちょうど土橋さんがお出になり「それは残念ですね」とおっしゃいました。それが唯一の接点です(^^;;
そんな希薄な関係なのに風忌にお呼びいただけるなんて、うれしい限りです。『風』の後を引き継いだ『花』との交流からお呼びいただいていると思うのですが、土橋さんの歴史物は文庫でだいぶ読んでいますので、そんなに希薄≠ニいう意識もないんです。
写真は出席者の皆さん。お名前は記しませんが、現在の詩壇を代表するような錚々たる人たちばかりです。土橋さんの交流の、人材の深さを知らされますね。
○詩誌『吠』15号 |
2001.6.1
千葉県香取郡東庄町 「吠」の会・山口惣司氏発行 600円 |
水音/牧田久未
その花びらの
その花びらが語る導き
その白さゆえに描かれた言葉
眠る人の
その閉じた目の中で開く夢
水面をピアノのように弾いて
未だ言葉にならない音が指に響く
落ち葉が風に乗って
命の最後をくるおしく舞いつづけ
その角をふいに曲がる
犬はいつも幸せを待っている
同じきのう
同じあした
まっすぐに流れてこそ
時はとうめいだ
水は石につまづいて
意味を語り始める
水音は人が話している声に意外と近い
ひそひそと言葉をつないで
私の側を流れていく
私は
きのう
きょうを
きっちりと重ねて
あすを待つ
「水音は人が話している声に意外と近い」というフレーズにまず惹きつけられました。水音は高くも低くも、激しくもありますが、ある程度の音量なら人の声に近いのかもしれません。人が水辺に行きたがる理由がそこにあるのかもしれませんし、体内に同じ成分があるからそう感じるのかもしれません。いずれにしろ、このフレーズは新しい発見なのではないか、とまで思ってしまいました。
第3連もおもしろい発想ですね。確かに、うちの犬を見ていると「いつも幸せを待っている」ように見えます。そして犬に限らず人間だって「同じきのう/同じあした」を期待しているんではないか、とも思います。産まれた後の学習効果で、きのうよりはきょう、きょうよりはあしたと考えているように見えますけど、基本は「いつも幸せを待っている」だけなんでしょうね。水と犬を巧みに使った作品だと思います。
○季刊詩写真誌『夢ゝ』6号 |
2001.7 埼玉県所沢市 書肆夢ゝ刊 200円 |
山本萠という方と、日本詩人クラブの会員でもある赤木三郎さんの二人詩誌(詩写真誌)です。モノクロの写真に詩が添えられて、というスタイルですが相互に関連するわけではないようです。ほとんどの作品にはタイトルがありません。自由な雰囲気を感じさせるパンフレット形式のものです。
母は
なにもかも
忘れてゆく
さらかずの多い夕食から 一皿ずつを
へらしてゆくように
赤木三郎
こんな形で作品が書かれています。写真は犬のような塑像を撮っています。この作品と写真とは直接の関連がないのかもしれませんが、イメージは膨らんできます。おそらくそれを狙っているのではないかと思います。
写真は写真として、この作品には胸が締めつけられる思いをします。おそらく年老いた母上でしょうが、子供もひとりふたりと巣立っていって、そして「なにもかも/忘れてゆく」。それを見ている作者の眼を感じずにはいられません。小さな本ですが、中身は濃いと言えましょう。
○記念誌『ふさの詩情』 |
1991.11.15
千葉県市原市 千葉県詩人クラブ刊 非売品 |
先日の日本詩人クラブ千葉大会で、会場でいただいたものです。あとがきに千葉県詩人クラブ設立25周年記念並びに、「第六回国民文化祭ちば'91」を記念して≠ニありました。千葉県内の名所の写真に詩を添えたもので、旅行や出張の記念に役立てば、とも記してあります。
九十九里で/中谷順子
海は目の高さにある
押し寄せる厚い胸板よ
だからむきになって
論理(ロジック)を吹っかける
客の引き上げた片貝(かたがい)の海は
旗めいてさびしい
九十九里浜は私も好きな所で、何度か訪れています。九十九里の海岸を見事に表現した作品だと思います。「海は目の高さ」「厚い胸板」と表現された波はまさにその通り。「旗めいてさびしい」というのもうまい表現だなと思います。10年前の記念誌ですが、こういう作品は年月を越えて残っていきますね。
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