きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
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新井克彦画「モンガラ カワハギ」




2001.6.20(水)

 今日は生母の命日です。42年前に34歳の若さで亡くなっています。長男の私は9歳、下に7歳の弟、3歳の妹、そして前日産まれたばかりの妹がいました。死の意味もよく判らず、葬列の先頭を歩いた覚えがあります。この日を境に当家はしぼんでいきました。母という働き手を失った父の理髪店は流行らなくなり、産まれたばかりの妹は里子に出され、私は3歳の妹を学校に連れて行って、机のそばに座らせて遊ばせるという次第でした。
 それが私の原点だったように思います。とうとう私と弟は北海道の親戚に預けられ、父は3歳の妹とともに渡り職人として全国を転々としたのです。親戚の叔母が癌で倒れるまでの1年間を北海道で過ごしました。私の生まれ故郷でもあったし、雄大な自然に触れて、イヤな奴は一人もいなくて、夢のような生活を送りました。これも私の原点になったようです。
 毎年、この日はそんなことを思い出しています。そして神のような継母も。実母以上に接してくれたと感謝しています。1997年に74歳で亡くなりましたが、献身的な女性でした。今では80歳になろうとしている父親には問題が多いのですが、二人の母には理想的な姿を重ねています。それもまた、私のひとつの原点だろうと思います。経済的には恵まれませんでしたけど、二人の母といい友人に恵まれたと思います。そんなことを考えながら、私の記念日を過ごしました。



西岡光秋氏著『鑑賞 愛の詩』
ai no uta
2001.4.28 東京都千代田区 慶友社刊 2500円+税

 あとがきに「ここ何年か、若い人むけに詩を語る際のテキストが欲しいと思って探していたが、なかなか思うような本がない。では自分でつくってみようということでまとめたのが、この『鑑賞 愛の詩』である。」とあります。述べられている通り、島崎藤村以来、新川和江、内山登美子に至るまでの近代詩、現代詩の詩人36名の作品を鑑賞≠オています。愛は人間観察である、愛は人生であるという視点に立った文章で、さわやかな印象が残りました。
 最後に小さく、ご自身の愛の詩≠載せています。それを紹介します。亡くなった大阪の伴勇さんに「男女の愛の時間をテーマに」と依頼されて誕生した作品だそうです。

 ふみ/西岡光秋

ひらがなでいてください
ひらがなのやさしさと
しなやかさでいてください
まがりくねり
くねりまがり
とびはね
ころび
いかり
よろこび
あえぎながら
ひらがなの
ふくらみと
ゆたかさでいてください

あなたがひらがなで
ぼくはかんじ
そのごつごつとしたかたさで
きのうをうちくだき
きょうのとびらをひらきましょう
そのさきに
ほのかにみえる
めらめらのほのお
つみのしとねをしきましょう
ひらがなとかんじで
ふみをつづりましょう
ひらがながしっている
はるかなはなのの
かんじがしっている
どろたのふかみの
いま ひとときの
ふみをつづりましょう

 もちろん女が「ひらがな」で、男は「かんじ」です。愛の時間≠ニしてはきれい過ぎる気がしますが、おそらくこの辺りが限度でしょう。これ以上は品が無くなるかもしれませんね。それにしても女が「はるかなはなの」を、男が「どろたのふかみ」を知っているという表現、何というやさしさだろう!と思います。そのやさしさが全編の文章に表出している本です。多くの若い人たちに読んでもらえればな、と願わずにいられません。



 
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