きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「モンガラ カワハギ」 |
2001.6.23(土)
新宿で行われた第168回「KERA(螻)の会」に参加しました。もう1年以上顔を出していなかったので、ちょっと恥かしいほどでしたね。亡くなった山田今次さんを囲む会のような存在でしたが、山田さんが亡くなってからも事務局のご努力で続けられています。
今回のテーマは「21世紀・詩の可能性について」でしたけど、正直なところ私には?です。そんな高所に立ったようなことは各人が勝手にやればいいと思っています。詩人ではなく、周りで見ている人が詩にはどういう可能性があるのか≠ニ論議するのは意義があると思いますけど…。時間が足りないせいもあって、結局、表面の議論になったのは致し方ないことでしょう。私も積極的に発言すべきでしたけど、収集がつかなくなりそうなので控えました。
これだけは言わなくてはいけないな、と思いながら時間を気にして言えなかったことを記します。なぜ詩を書くか、という永遠とでも言える議論になったときのこと。日常的に詩を書くということは、私はこう思っています。書かなければならない事態になったとき、どうしても突き上げてくるものが出てきたときに備えて書く。つまり日常の詩作は習作だと思うのです。私自身に限って言えば、30年ほど詩を書いてきて、たった一度だけそういう事態に遭遇しました。継母の死です。これはどうしても書かずにいられなかった。作品の巧拙は別にして、あの時の衝動と作品だけは私の財産です。そのために30年も詩を書いてきたのか、と納得しました。
この先、そういうことがまた起きるかどうか判りません。その時に備えたいと思います。しかし、蛇足ですが相撲の力士についても考えています。土俵の上の1分のためにどれだけ稽古をしていることか。しかもそれを観客には見せない。集大成のみを見せる。われわれも舞台裏を見せることなく15日分の上済みだけを発表できればな、と思います。
さて、17時に新宿をあとにして、久しぶりに東急東横線で横浜・桜木町に向かいました。18時から『山脈』の例会があったのです。1時間あれば着くだろうと思っていましたけど、渋谷の東横線ホームって、普通・急行・特急のホームが分かれているんですね、普通の乗っちゃいましたよ(^^;;
途中で気づいて自由ケ丘で急行に乗り換えました。どうにか間に合いましたけど、田舎者はこれだから嫌になりますね。
写真は筧槇二代表ほかメンバー。筧代表の体調については皆さんからご心配いただいていますが、ご覧の通りお元気です。酒量をちょっと控えているようですがね。今回は通常の例会なのでゆっくり呑みました。巨人-横浜戦のテレビを気にしながらの呑み会でしたけど、情けネーなと思いましたよ。0:3、0:6あたりまでチョロチョロ見てましたけど、店の女将さんと「情けネー、情けネー」と連発しあっていました。4連勝ならず、結局、2:7で負けちゃいました。ここで勝てれば4位に浮上したのにね。
○『埼玉詩集』2001-第13集 |
2001.4.26
埼玉県所沢市 埼玉詩人会刊 2000円 |
埼玉詩人会のメンバー100余名によるアンソロジーです。100余名というと、会員全員ではないでしょうか。4年に1度ほどの発行のようですが、それにしても全員参加というのはすごいですね。
ぬ
す
万引む/いわたにあきら
ひとりきりの昼食は昨日までと同じ形をしている
昼のテレビ番組も昨日と同人物の同じおしゃべり
毎日が同型の鎖となって首にまとわりつく
もう 何キロの重さになったのだろう
顔の皺の深さを測り退屈で埋めこみ
空白しか入らない買物籠を下げて街へ出る
ふと 日常の棚卸しをしたくなって
通りすがりのスーパーに寄る
昼すぎのスーパーは
寝そべったまま欠伸を溜めこんでいる
律儀に商品をガードしていた陳列棚は
早朝揚げた惣菜の匂いで
咀嚼しないのに満腹感に浸っている
包装紙の切れ目からこぼれた店員たちのおしゃべりが
音階のない調べとなって
店内の緊張を食べ尽くしている
突然 押入れのアルバムにしまいこんだあいつに似た男(やつ)の
黴くさい折り目のついている視線が
容赦なく首にかけた鎖を はた
一瞬に 断ち切り 足元に 叩き落すと
昨日までと今日との区別がつかなくなり
かつて羊水から引きずり出して殺した子のために
花火 シャボン玉そして紙風船を
素早く萎びた子宮に放りこむ
眼窩だけ異様にふくらんだまま自動ドアーを通り過ぎる
外では今年一番の眞夏の熱気が汗すらも掠める
殺した子に似たガードマンが
さっき落したはずの鎖を拾ってきて
昨日までと同じ振りをして
身体を捕縛しようとする
先刻の男(やつ)は何処にもいなくなっていた
いわたにさんは、私の記憶では『蠻』の同人で浦和家裁にお勤めだったと思います。家裁での事件を題材にした作品を多く書いています。この作品もそのうちの一篇でしょう。こういう作品を書ける人はいわたにさん以外にはいないと思います。事件の再現、罪人の心理を見事に描いていますね。私は「賞罰なし」の部類なんで経験はありませんが、万引の心理がよく理解できます。
そして、いわたにさんが作品に込めた意図も充分に伝わってきます。人間は罪を犯すものだが、それも人間だ、という思いを伝えてくれています。家裁ですから民事事件が主でしょうが、その思いは刑事事件に対しても同じなのでしょうか。そこは難しいところですね。大阪の池田小学校事件などを見ていると、私などは「罪を憎んで人を憎まず」とはなかなかいかないのが実態です。
ともあれ、いわたにあきらという詩人は、埼玉詩人会にとっても日本の詩界の中でも特筆すべき方だと思っています。誰も書けないものを、しかも人間の一面の心理に迫る作品を書いている詩人として記憶されるでしょう。
○隔月刊誌『東国』116号 |
2001.5.30
群馬県伊勢崎市 東国の会・小山和郎氏発行 500円 |
ウルトラマン/井上敬二
もう正義のために戦うことはない
思えば僕らの正義は
それぞれの
勝手な思い込みでしかなかった
カラータイマーを点滅させ
大きく頷き
天空へ飛び立つとき
反り返った爪先の彼方で
僕らの憎んだ敵は
粉々に消え去っている
遠い昔、僕らは夢見ていた
二の腕を十字に重ね合わせ
放たれる光の束で
瞬時に相手を倒してしまうことを
そして一気に空へ飛び立ち
再びひとりの人間の姿で
悟られることもなく
不意に戻ってくることを
もう正義のために戦い
傷つくことはない
記憶の宇宙へ去っていった
ひかりの国の戦士よ
新しい廃墟の中で
惨めな瓦礫の僕たちと共に
風化してしまえ
私自身の詩語である「典型のあった時代」を思い出しました。確かに、ウルトラマンという典型のあった時代は「風化してしま」っているのかもしれません。人間に敵対する怪獣を「粉々に消え去」さしめることは「正義のために戦」うことだったのです。しかし、それは本当だろうか?と私たちは気付いてきました。
人間に敵対するものに対抗することは本当に「正義」なんでしょうか。害獣、害鳥、害虫、砂漠化、河川の氾濫、その他ありとあらゆるものに私たちは正義の刃を向けてきました。それらに対抗するシンボルがウルトラマンだったように思います。しかし、人間に敵対するものを滅ぼしてきた結果、地球に多大な損害を与えるようになってしまったのです。怪獣はむしろ私たちで、地球にとっては私たちの敵の怪獣こそ正義の味方だったのではなかろうか、と思うのです。
「思えば僕らの正義は/それぞれの/勝手な思い込みでしかなかった」という指摘、「新しい廃墟の中で/惨めな瓦礫の僕たち」という認識を、私はそのように解釈しています。一人一人にとってのウルトラマンとは何だったのか、もう一度考えてみる必要がありそうですね。
○詩の雑誌『鮫』86号 |
2001.6.10
東京都千代田区 <鮫の会>芳賀章内氏発行 500円 |
白球/芳賀稔幸
小学校の時
一年先輩だった彼のくやしそうな作文を聞いてからというもの
いつもみ上げながら下校したような気がする松の木。
ひっかかったまま、二度と落ちてはくれそうにないはずのボールだったのに
あの時、打球は激しくなった雨と供に、内野手のグラブへとおさまっていた。
さめやらぬおもいを引きずりながらも
ヘルメット小脇に、バット拾いあげ
まわりにせきたてられるように
小走りにうつむいてナインのベンチへ引き下がっていった
最後のバッターになったうしろ姿。
火が消えかけていた炭礦(やま)の茶の間を
わきにわかせた全国夏の甲子園
一打出れば逆転サヨナラになったはずの決勝戦は
そこで終わった。
そして、それが彼をみた最後になった。
あれから一体なにがあったのだろう。
校門脇にあったはずの松の木にとりのこされたまま
いつしか消えていたボールが
あの時となって、みつめてくる。
芳賀さんは、私の父親の出身地である福島県いわき市常磐にお住まいです。私も2歳頃からそこに住んでいて、湯本第2小学校に入学して、3年生の秋まで通っていました。ですから「火が消えかけていた炭礦の茶の間」という雰囲気は実感として判ります。そんな背景を頭に入れてこの作品を読むと、「最後のバッターになったうしろ姿。」という悔しさは伝わってきますね。
「彼」のその後も気になるところです。悔しさをバネにして、力強い青年になっていてほしいと願わずにはいられません。最終連も良いと思います。芳賀稔幸という詩人の感性をここで充分に感じることができますね。私にとっては郷愁と日本のエネルギー問題をも考えさせられた作品でした。
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