きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
mongara kawahagi.jpg
新井克彦画「モンガラ カワハギ」




2001.6.26(火)

 日本詩人クラブの「雑誌『詩界』編集委員会」が新宿でありました。内容は今年度から来年度にかけての目玉、詩の研究会の詰めを行うというものでした。『詩界』編集委員会主導で詩論・詩人論・作品研究を行おうという目論見です。理事会の承認がなければ公表できませんけど、マイノリティーの詩や記号論まである、ちょっとアカデミックなものになりそうです。月に一度3時間ほど、しかも定員30名という限定版です。随時、このHPや詩人クラブのHPで公表していきますから、どうぞお見逃しなく…。
 個人的には、私は詩論に餓えています。中学生の頃から自分は文系だと思っていましたが、化学会社に入ってからは化学や工学に軸足が動いてしまいました。真面目に詩論を研究しなかったことが、今になって悔やんでいます。遅れ馳せながら詩論をやるというので喜んでいます。広報委員長という立場での出席になりますけど、それを忘れそうです(^^;;



甲田四郎氏詩集
陣場金次郎洋品店の夏
jinba kinjiro yohinten no natu
2001.6.25 茨城県龍ケ崎市
ワニ・プロダクション刊 1600円+税

 陣場金次郎洋品店の夏

陣場金次郎洋品店の前を通ると
謹告 バンザイ閉店セール三十一日までとあった
バンザイバンザイバンザイと赤い短冊が
差し押さえの証紙のようにそこらじゅう貼ってあり、
金次郎二世店主が奥の商品の陰から
顔を半分出してこちらを見ていた、
試合中のプロ野球の監督のようだが
部下も客もいなくてかれ一人である、
親子二代六十五年のあいだやっていた店である、
何か買ってきたらと女房に言ったら
かの女はやだよと言う、
なんにもないんだよ欲しいものが。
セール最終日通ると客がいた、
今日は何でも買ってこいと命令したら、
傘を一本買ってきた。

赤い短冊の文句を我慢我慢我慢と変えて
我慢セールをしたらどうだったか
我慢の問題ではないがそう言ってみたい、
かれ金次郎二世は
孝行息子で勤勉な商人だった、
人に後ろ指さされるようなことはなに一つしていなかったと
そういう問題ではないがそう言ってみたい、
♪柴刈り縄ない草鞋を作り、親の手助け弟を世話し、
兄弟仲良く孝行尽くす、手本はにのみや、きんじろおおお

陣場金次郎洋品店のネズミ色のシャッターが降りた
そこに閉店ご挨拶のビラは貼ってなかった
ご挨拶というものは客に向かってするものだ、
その客がいなかった、どこにもだ
私の店はまだ閉めないまいにち天気を心配する、
今日は晴自分の頭の上だけ晴、
すると日差しにパラパラ雨が落ちてきた
狐の嫁入りだ

ギリギリ歯ぎしり金次郎は古い塑像のごとく
ぶくぶく深く沈んでいった
資本主義の海の底は金次郎でぎっしりだ、
たきぎを背負って本を開いている金次郎たち、
古い本を読み直しているのではないかと思う、
たぶんこういう出だしの本を
<ヨーロッパに一頭の妖怪が徘徊している、
共産主義という妖怪である>

 甲田さんの詩集は1992年刊の『九十九菓子店の夫婦』以来、『昔の男』(1994)、『煙が目にしみる』(1995)、『甲田四郎詩集』(1996)と読んできました。いずも好きな詩集で、今回もいただいた途端うれしくなったものです。そして期待は裏切られませんでした。紹介した作品は詩集のタイトルポエムです。なぜ私が惹かれるのか、この一作でもお分かりいただけると思います。
 笑いがあって、でもその奥には社会をきちんと見ている目が読み取れて、なかなか一筋縄ではいきません。同じ商店主どうしの関係など、気をつけて読まないと奥まで読み切れないかもしれません。そこが甲田詩をおもしろくしている理由のひとつでもありますが…。「私の店はまだ閉めないまいにち天気を心配する、」というフレーズなど、微妙に揺れる商店主の立場をうまく表現していると思います。
 なつかしい言葉に出会いました。「 <ヨーロッパに一頭の妖怪が徘徊している、/共産主義という妖怪である>」というのは『共産党宣言』の冒頭です。今の若い人たちはこんな本、読んでいないだろうなあ。本箱から引っ張り出してみると1967.3.4≠ニ記録してありました。高校2年で読んでいたんですね。あの頃は、この程度は読んでいないと文芸部長は務まりませんでした。今の高校生はどんなものを読んでいるんでしょうか。そんなつまらないことまで考えてしまいました。



山田直氏詩集『他者の土地』
tasha no tochi
1998.11.10 東京都豊島区 国文社刊 2500円+税

 大学で外国文学を教える著者がヨーロッパを旅行した折の詩篇を集めた詩集です。あとがきにこんなことが書かれてありました。
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 旅の詩集に秀作は少ないといわれる。(中略)
 どなたでも第一に浮かんでくる単純明快な解答は、旅の詩はその詩を書く人間が自分の生活基盤から切り離された状況にあるからだ。換言すれば、厳しい人間の条件をすべて受けいれる姿勢を欠いたまま詩作しても、そこからその詩人の全人格を表現した作品は生まれるはずがない、という視点からの批判であると思う。
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 と断わっての詩集ですから、これはおもしろいですね。では、なぜ著者はあえて紀行詩を書くのかという興味がわいてきます。山田さんは、これは国内旅行のときだけで、海外旅行はご自分にとっては苦痛なのだと続けます。外国文学を学ぶという立場から外国を歩くと、書物で得た知識と違い、まるで「他者の土地」は自分にとっての戦場だ、と述べています。これは理論的に合っていて、書く必然性が理解できますね。

 デジャ・ヴュ

すぐ目の前に
大型ヨットは係留されていて
人のいないキャビンの甘い涼しさ
ごま塩の顎髯を生やした男には
潰れた船員帽がよく似合う
屋台のオレンジは熟れすぎで
魚の切身は白く乾きかけ
女たちは少し太りぎみで
遅れてやってきた季節の
けだるい充実感に身をまかせ
誰へともなく笑いかける

初めてやっとたどりついたこの場所
しかも遅れてやってきたこのぼくが
内臓を突きあげる懐しさを
今必死に押しもどそうとする

ここの青すぎる海と 白すぎる建物には
とても住めそうにもないし
若さの過ぎかけたこの港町より
ぼくのほうがはるかに老いているというのに
目の前にあるこのまぶしい風景が
誰よりもまずぼくのものである
としか思えないという このことは

棒のように痩せた
少年のセピア色の足が
突堤の上を歩いてくる
足からは想像できない
大きな濡れた足跡がついてくる

通りすぎた少年を振りかえると
真昼の現実に溶け
足跡はすぐに消えていった

 この作品が端的かどうかは判りませんが、確かに単なる紀行詩とは違いますね。デシャ・ヴュ(既視感)は旅先で多いのかもしれません。本来の意味からすると初めての場所で、すでに視た記憶がある≠ニいうことですから、旅先が当然なのかもしれません。私の場合は日常的ですが…。これに襲われた旅行というのは、けっこう辛いものがあるだろうなと思います。紀行詩の中でも異質な詩集で、思わぬ勉強をさせてもらったという思いです。



正田麻郎氏短編小説集『内裏雛』
dairibina
1997.10.10 東京都港区 りん書房刊 1500円+税

 正田麻郎氏とは、前出の山田直さんのペンネームです。小説はこちらの名を使っているようです。表題の「内裏雛」をはじめ「安楽椅子」「湖の騎士」「海岸道路」「疣いのしし」「ギーさん」「目暈」の7編の小説が収められています。最後の「目暈」は短編小説ではなく、散文詩ではないかと思います。形式もそれまでの15行40字詰めから15行30字詰めに変わっています。
 これらの作品の中で私が一番感動したのは、「安楽椅子」です。舞台は終戦直前の東南アジア。草色の(軍用?)乗用車の中の、学徒出陣兵の会話が続きます。やがてスコールの中を顔見知りの敗残兵が現れ、二人の乗る乗用車のドアを開けます。しかし何も語りかけず、兵はそのまま逃げ去ります。二人を訪ねる住民もなく、やっと現れた兵も何も言わずに去ったことに、二人は失望するという話です。
 ここまでの荒筋では、何のことか判りませんね。私もそうでした。しかし、最後の2行ですべてははっきりするのです。次のようになっていました。
<水田に首を突っこんだ乗用車は、腐敗が進んで崩れかけた二人の遺体を乗せたまま、湧きたつ熱気と死臭のなかに、じっと動かなかった。>
 会話があまりにも鮮やかだったので、まさか死者の会話とは気付きませんでした。衝撃的な結末でした。この小説集の中では異色な部類に属しますが、山田直さんの新たな側面を知った思いです。それにしても、詩も小説も書けるとはうらやましい限りですね。



 
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