きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「モンガラ カワハギ」 |
2001.6.28(木)
明日に予定されている、本社営業部担当者を含めた重要会議の下打ち合わせを行いました。研究所主任研究員と品質保証課員、技術部門を代表した私の3者会議です。研究所の実験結果を検討する打ち合せでしたが、問題点の解析が出来てホッとしているところです。解析結果は決して私たちの業務に良い結果をもたらすものではありませんが、理論的に整合性がとれて、理由がきちんと説明できるものでした。
会社の利益に結び付かず、場合によっては損害をもたらす結論ですが、私はそれで良いと思っています。そう上司にも報告し、了解を得ました。科学技術の分野は、そこが好きです。実験結果が正しく評価され、損害をもたらす結論でも、結果は結果です。そこから目を背けることは許されません。その上で、では会社としてどういう行動を起こすかが決まります。この体質は私の勤務する会社の強みだと思っています。バブル期に大手の会社も土地投機で浮かれていたとき、当社は愚直にも本業に拘っていました。結果はそれが正しかったことを示しています。今回の結論も、場合によっては愚直と映るかもしれません。一技術屋としては、その愚直さを貫き通すつもりです。
○山本十四尾氏詩集『舞雪』 |
2001.6.20
東京都東村山市 書肆青樹社刊 2600円+税 |
おなかにお戻り
なぜオレを生んだと詰問したとき そんなに生きているのがいやな
ら わたしのおなかにお戻り と母はめずらしく毅然といい放った
庭先の桐の花の下のことであった
・・
同じ詰りを長男がつれにしたことがあった 私はだまって様子をみ
つめていた つれはスカートの上から股間をたたいて母と同じこと
を荒々しい語調で伝えた 石塀のわきの蘇枋の花の下のことであっ
た
・・
つれはすでに他界している母の台詞を知っているわけではないし
かつての私の詰りを話したこともなかった 母親の深い愛情のなせ
るわざは古来から血が伝承させるものなのかと私は沈思する
それは自然が 私にそろそろおなかにお戻りと語っているようにも
思える
今年もまた 約束していたように桐の花 蘇枋の花が確かな歩みで
咲いてきた おなかにお戻りを想起させて しずかに咲いている
母親の強さをしみじみと思い知らされる作品です。こういう場面での父親の不甲斐なさも感じます。しかし、父親としての作者が「私はだまって様子をみ/つめていた」と述べるとき、そこには違った意味での父親の強さも感じさせます。静かに事態を見極める姿勢は、作者独自のもののようにも思いますが、いくぶんの願いも込めて、世の父親に共通のものと考えたいですね。
今回の詩集には、作者が事業に失敗した件りが重要なテーマになっています。それはそれで私などが経験し得ない体験なのでしょうが、不思議に穏やかな雰囲気が漂っています。ああ、この人は本質的に詩人なんだなと思います。事業という実業の世界の中でも詩魂は頑固に残っていたということでしょうか。詩人の何たるかを教えられた思いのする詩集です。
○個人詩誌『ひとり言だもんね』13号 |
2001.6.20 東京都国立市 小野耕一郎氏発行 350円 |
深刻な問題
施設に収容されている
脳性マヒのk君が
セックスしたいとしきりに言う
あなたは結婚していていいね
不自由しないだろうとも言う
僕は相手がいないんだよ
女を買って悪い?
ねえ つれていってよと
何度もいう
わたしは困惑するやら
納得するやらで
思い切って
うるさい管理者に内緒で
ソープランドに彼をつれていく事にした
いいのよいいのよと
ソープ嬢はいう
わたしは待合室で
事が終わるのを
複雑な気持ちで待った
しばらくして
満足そうなk君があらわれた
何も聞かずに
k君をむかえ
車椅子を押して
施設に戻った
ああ、やっぱりな、というのが正直な気持です。脳性マヒであろうが身体障害者であろうが、人間の生物としての本能に変わりはないとは思っていましたが、こうはっきりと突きつけられたのは初めてです。この作品は問題作として残さなければいけないという思いにもかられています。今まで誰も書かなかったことであり、目を覆ってきたことだったと思います。いずれこの問題は社会問題にまで発展しそうな気がします。
それにしても小野さんは本質的にやさしい方だなと思います。私ならソープ嬢と交渉してまでk君の深刻な問題を後押しすることができただろうか。その前に、敏感な彼らが私を避けるのではないか、とも考えてしまいます。
○文芸誌『アルケ カムイ ネ』6号 |
2001.6.10 東京都昭島市 木村和史氏編集 非売品 |
前出の小野耕一郎氏よりいただきました。誌名はアイヌ語で、半分カムイ(神)になる、という意味のようです。5号が出版されたのは2年前とのことですから、ゆっくりと歩んでいる文芸誌のようです。
詩も小説も社会時評もあって、総合文芸誌の趣ですが、ここでは俳句を紹介しましょう。「万年補欠」と名付けられた水島修氏の作品の中から。
各々が嬶(かかあ)と餓鬼持ち馬券売る機械の前に長き列なす
将来はなにになるかと子に戯るるお前はいったい何に成ったか
高いワイン一人で飲めず友を呼ぶその小心も気に入っている
土下座して謝りシートの吐瀉物を必死に拭う頃に酔い醒む
迂闊にも出たクラス会で仕方なく子が生き甲斐と語るさみしさ
大局を見損なうなと訓辞せり妻の愚痴には威厳を持ちて
俳句のことは門外漢ですので、私がおもしろいと感じたものの中から紹介してみました。俳句の専門家が見たらどう言うのか知りませんけど、一定のパターンがあって楽しめますね。競馬はやりませんので判りませんが、他はすべて共感できるものばかりです。特に酒に関するものは同感しています。こうやって見ると、詩もいいけど俳句もいいですね。密かに試してみようかという気になります。
○月刊詩誌『柵』175号 |
2001.6.20
大阪府豊能郡能勢町 詩画工房・志賀英夫氏発行 600円 |
先月、35歳の若さで亡くなった佐々木誠さんの詩が、志賀英夫社主の追悼文とともに載っていました。おそらく絶筆だろうと思います。先月に引き続いてで恐縮ですが紹介します。
くさにもなまえ/佐々木誠
あおくさに
ねころがって
そらとくものあいまに
じぶんのなまえをかきました
おくれてやってきたともだちと
半身おりまげ
おしゃべりして
ねころんで
ちくちくする
これにも
なまえはちゃんとある
くさのあおさにだきとられ
めをとじて
あおくさの
こえ
ききました
はえぬきになるぞと
たすけあってむきあって
志賀さんも指摘していますが「ねころんで」という言葉が最期に近い作品には多くなったように思います。それほど疲れていた、ということなのでしょうか。しかし、最終連を見ると生への意欲が剥き出しになっているようにも思えます。あるいはそれが逆に自死まで至るプレッシャーになっていたのか…。真相は闇の中です。遺された私たちには彼を悼むことしか許されていないようです。ご冥福を祈ります。
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