きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「モンガラ カワハギ」 |
2001.6.29(金)
何の予定もない金曜日というのは、うれしいものです。気の合った仲間と久しぶりに呑みに行きました。いかにも職人という親父さんと奥さん、その息子さんらしい若い男が働く店です。料理屋としては、私が一番気に入っている店で、もう5年ほど通っています。酒も少ないながらいいものを置いています。今夜は静岡県藤枝市の酒、、、名前、忘れた(^^;;
呑みやすくて、スイスイいっちゃいました。でも、合計で3合ぐらいかな、余裕をもって呑める量でやめときました。
○城井友治氏著『風の便り−残年記−』 |
2001.6.20
東京都文京区 講談社出版サービスセンター刊 1905円+税 |
昨年2月に横浜ペンクラブの合同出版記念会があって、城井さんのご本『錦の庭』もいただいています。このHPでも書かせてもらって、ご丁寧な返信を受け取りました。そんなご縁からでしょうか、新作をさらにいただいて恐縮しています。こうやって輪が広がって、深くなっていくことは、実は文学のもうひとつの楽しみだと思っています。
内容は「月報」のような形の身辺雑記です。私も『山脈』という同人誌の月報を担当していて、会計報告やら例会案内の事務連絡の合間に、チョコって書いていますが、それの大規模版と言ったところでしょうか。むしろ『山脈』で言えば、山脈後記という編集後記の欄があって、時折まとめたものを出版しています。そちらの方がイメージに近いのかもしれません。
とにかく旅の話が多く出てきます。それもバードウォッチングの旅が主ですね。1996年11月15日に「風の便り」第1号が出て、2000年12月24日の第45号までをまとめてあります。毎回14〜15枚の原稿用紙量のようです。読者はお仲間うちだけでなく一般の方も多いように受けとめました。書くのが好きでたまらないといった風情が見えて、思わず微笑ましくなります(失礼!)。私も毎日なにか書きたくて、このHPを始めたようなものですから、お気持ちはよく判るつもりです。
横浜ペンクラブの生出さんもおっしゃっていたと書かれていますが、横浜大火災については一言おありのようです。豚屋火災とお呼びになっていて、真相をある程度は掴んでいらっしゃるご様子。横浜市民でもない私には理解が及ばないところですけど、米兵の略奪もからんでいるようで、歴史的な興味を覚えます。ぜひ、そんなところもお書きになってほしいなと思いました。
身辺雑記というよりは随筆として読むとおもしろい本です。
○季刊詩誌『ゆすりか』49号 |
2001.7.1
長野県諏訪市 ゆすりか社・藤森里美氏発行 1000円+税 |
計算/大野理維子
今日から昨日を引いて
明日を足せば 幾らになるか
父母を子で割って 孫を掛ければ
どういう家庭になるのか
人生プラス希望と マイナス失意を
一年三百六十五日
朝から晩まで 几帳面に
計算ばかりしている
答えの出ない人生の不等式
死ぬまで 家計簿をつけて
テーマ詩「希望」の中の一篇です。第1連がおもしろいと思いました。こういう異質なものを組み合わせるというのが好きなんです。そこから表出する感覚の意外性というものに惹かれますね。私はまだ孫をもった経験がありませんが、「父母を子」だけでなく孫という者が存在したら、この作品はもっと深く読みこなせるのではないか、と思っています。
「希望」というテーマが与えられて、決して一般的な希望をうたっていないところも良いと思います。詩人はこうでなくちゃ。ちょっと斜に構えないと詩を書いてる意味なんて無い、と極限しちゃいますね。もちろん真正面から書かなければいけないときもあるけど、一般的な真正面じゃおもしろくありません。どれだけギリギリ位相をズラすかが勝負だと思います。この作者にはそれがあるように思います、、、って、大先輩をつかまえて失礼な言い方でスミマセン。
○詩と評論誌『日本未来派』203号 |
2001.6.15 東京都練馬区 西岡光秋氏発行 800円+税 |
NOW PRINTING/井上嘉明
夜の町を歩くのが うれしかったころ
酒場でもらったマッチのかずかず
捨てるに忍びず
しまい込んでいた
擦ることも知らない者ばかりの世に
何がわかるものかと
全部燃やすことにした
マッチを湿らすな
小さなころから
父によく注意されたものだ
ところが何十年ぶりに触れるマッチは
わたしが擦るのを待っていたかのように
簡単に火がつくのだった
木の脂(やに)がまわって
軸は干魚のように変色している
そのなかには 白地に
NOW PRINTING とだけのラベルも
混じっている
あわただしい開店に
間に合わなかった
こんな愛想のないマッチを
どうして大切にしていたのだろうか
わたしは つぶやいた
NOW PRINTING
わたしのなかで
まだ刷り終えていないものが
小刻みに音をたてている
確かにありましたね、「NOW PRINTING」と書かれたマッチ。マッチを集める趣味はありませんでしたけど、なんとなくたまった中にあって、飽かずに眺めていた記憶があります。それも「あわただしい開店に/間に合わなかった」程度にしか考えなくて…。そこにいくと井上嘉明さんは、さすがに詩人、「わたしのなかで/まだ刷り終えていないものが/小刻みに音をたてている」とうまくまとめています。同じような物を見ていても、そこまで深めないとダメなんだなあ、と反省させられました。
私より年配の方なんだな、と思わせた件りが「マッチを湿らすな/小さなころから/父によく注意されたものだ」というフレーズです。これは記憶にありません。徳用マッチというは今でもあるのかどうか知りませんけど、そんなのがあって、でも湿ることはなかったようです。100円ライターの時代になっていましたし、カセットボンベに着火させるのにマッチが必要だと思っていたら、チャッカマンなんてのが出てきましたから、あえてマッチはいらなくなってしまいました。10年、20年でずいぶんと時代も変わっていくんだな、と作品とは関係のないところまで考えてしまいました。
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