きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「モンガラ カワハギ」 |
2001.6.30(土)
雨の土曜日。横浜詩人会のセミナーがあったんですが、サボりました。雨でもあったし、いただいた本が20冊ほどたまってしまったので、読破を決意しました。朝9時から深夜2時まで読んで、HPを更新して、それでもまだ10冊ほど残ってしまいました。返事が遅いとお怒りの皆さん、すみません、もう少しお待ちください。早く定年になって、一日中、本を読んでいたいものです。
○総合文藝誌『金澤文學』17号 |
2001.7.20
石川県金沢市 金沢文学会・千葉龍氏発行 1500円+税 |
わらべ/山田ひろし
絵本展で会う人は
みんなわらべの笑顔です
のんびり
ほんのり
昨日も今日も来てるのに
わたしの顔はどうだろうか
鏡を見るのが怖いなあ
おでこの角は隠せない
絵本展から帰る人
お伽噺の夢のなか
ふわふわ
ゆらゆら
心の中はおごりとひがみ
絵本は素直に楽しめない
後ろをうっかり振り向いて
尻尾があったらどうしょう
「絵本展で会う人は/みんなわらべの笑顔です」というフレーズで、そう言われてみればその通りだなと思いました。しかし「鏡を見るのが怖いなあ/おでこの角は隠せない」というフレーズを見て、そう単純な作品ではないゾ、と思った次第です。「わたし」と他者をしっかり区分けした作品なんですね。そういう見方をしていくと、「絵本展」というキーワードはちょっと違った意味合いをもってくるように思います。
ポイントは「心の中はおごりとひがみ」というフレーズでしょうか。他者の単純な愉悦を、斜で見ている詩人の眼を感じます。しかし「尻尾があったらどうしょう」という心境があるのですから、決して斜で見放しというわけではなさそうです。ちょっと屈折した詩人の観察眼を知ることができます。
「金澤文學」の詩人たち、という特集にあった作品です。金澤文學はかなり正攻法の詩人が多いと思っていましたが、こういうおもしろい方もいらっしゃるんですね。層の厚さを感じました。
○石井眞弓氏詩集『閉塞』 |
2001.6.23
東京都文京区 近代文芸社刊 1500円+税 |
うわごと
囈 言
カラダの中の容器を洗い
草むらに寝ころがる
さわやか
雑草への褒め言葉
つるん つるんと出てきて
脳髄まで緑に染まった
あかねいろ
茜 色の唇
湿っぽい土に
置く
尾てい骨を打ってから
しっぽ
尻尾が
なぜか欲しくなる
明日
猛獣になろうか
何とも不思議な詩集だな、というのが第一印象です。女性性を感じた途端に男性性を感じる、そんな印象を受けました。例えば紹介した作品では「茜色の唇/湿っぽい土に/置く」という第2連で女性性を感じ、「明日/猛獣になろうか」という最終連で男性性を感じるという具合です。おそらく私の読みが浅いせいで、ご本人の意図とは違う取り方をしているのかもしれません。第3連の解釈が重要なのかな、という気もします。
なぜ尻尾が欲しくなるのだろうと考えると、男性・女性を超えた視点が必要なのかもしれません。作者の意図はもっと大きいようにも思います。なぜなら、作中に表面的には人間は出てこず、雑草と土だけしか出てきていません。「カラダ」をつい作者ととり勝ちですが、それが作者の意図と違うのでしょうか。あるいはそういう解釈≠拒んでいるようにも思います。あるいは、いかようにも好きにとってくれ!と言われるかもしれませんね。しかし、それにしても味のある詩集です。
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