きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
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新井克彦画「モンガラ カワハギ」




2001.7.7(土)

 横浜の篠原あやさんが主宰している詩誌『象』の100号記念祭がありました。たった7名の同人ながら100名近い人が集まって大盛会でした。詩人のみならず作家・俳人・書家も顔を見せ、あやさんの交友の広さを感じさせます。シャンソン歌手の平野レミさんも歌をプレゼントしてくれましたよ。あやさんの挨拶が良かったです。皆さんがあやさん、あやさんと言うものですから「今日は私の会ではなく、『象』の会ですから」と…。そういう同人に対する気遣いが私たちにも判るので、あやさんの人気が高いんでしょうね。

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篠原あやさんによる7名の同人紹介

 あやさんは、もう80近いと思います。挨拶に立った何人もの方が、いつまでもお元気で、と言っていましたが、私も同感です。ハマのおかあさん、150号、200号までも頑張ってネ。

 この後は二次会をサボって東京・水天宮に向かいました。昔のパラグライダー仲間の結婚披露宴です。新郎が仲間で、奥さんは高校の同級生だそうです。新郎に逢えるのもうれしいのですけど、昔の仲間に逢えるのがとてもうれしいですね。結婚して子供ができた仲間たちも集まってきて、クラス会の雰囲気です。現役で飛んでいる人も多かったですね。50を過ぎても現役の人がいて、これには脱帽。

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 写真は衣裳変えをした新郎・新婦。大笑いでした、トトロの衣裳。奥さんの手作りだそうです。お腹には浮き輪。ちょっと強面の男なんですが、こんな一面もあるのかと見直しましたよ。ともかく、おめでとう!



滋賀銀行PR誌『湖』138号
mizuumi 138
2001.7 滋賀県大津市
滋賀銀行営業統轄部発行 非売品

 西本梛枝さんの連載「近江の文学風景」は、池波正太郎の『真田太平記』です。私も池波正太郎は好きな作家のうちの一人なんですが、まだ『真田太平記』は読んでいません。西本さんは、小説の舞台と現地とをつなぐコーディネーターの役割で、確証できる場所を推定場所を使い分けながら、うまく説明してくれています。杣川、飯道山、野洲川などの甲賀の里を紹介していて、行ったことのない私にも臨場感を与えてくれます。添えられた写真の効果も大きいのですが、やはり文章に惹かれますね。
 この冊子はまさにPR誌ですから、近江の土地と文学を紹介し、強いては銀行のイメージアップをねらおうというものでしょう。しかし、そういう魂胆はまったく見えず、自然に甲賀の里に親しんでしまいます。それが文章の力だと思います。西本さんは旅行作家ですが、仕事として旅行して文章を書いているという感じはまったくしません。行った先々の土地が好きになって、思わず、好きな文章を書いているという受け止め方をしてしまいます。プロの作家ですから、そのくらいのことを書けるのは当然なんでしょうが、そうは思えませんね。その辺のことは読者は敏感に感じますからね。
 残念なのは、もうひとつの連載だった「街物語」が終ってしまったこと。近江の色々な街が紹介されていて、関東に住んでいる私なんか興味津々だったんですけどね。「街物語」に誘われて行ってみたいと思った所が何ヶ所もあったんですけど…。昔の冊子をひっくり返して、いずれ訪ねてみようと思っています。



阿部堅磐氏編集『研究紀要』27号
kenkyu kiyou 27
2001.6.30 名古屋市千種区
愛知中学・高等学校発行 非売品

 26号を阿部堅磐さんからいただいたとき、中・高校できちんとした「研究紀要」を出すところがあるなんて、と驚きましたが、今回はその理由が判った気がしています。私立だとは思っていましたけど、曹洞宗の学校だったんですね。私の実家も家内の実家も曹洞宗で、急に親近感を覚えました。ほとんど宗教心は無いんですが、たまたま私の実家の寺が、高校の同級生が住職をやっていますので、多少の問答はしています。まあ、本論とは関係ないことですが、違和感なく読めるということで…。
 阿部さんは「詩歌鑑賞ノート『梁塵秘抄』を読む」と「詩歌鑑賞ノート 津坂治男の詩」を執筆しています。私は梁塵秘抄をまだ読んでいないので、ずいぶん助けられました。遊びをせんとや生まれけむ≠ニいう言葉は大好きで、よく使っているんですが、これも梁塵秘抄だと教えられました。浅学を恥じていますけど、だったら余計に読まなくちゃと思いましたね。坂口安吾もこの歌をよく色紙に書いていたそうです。
 津坂治男さんは日本詩人クラブの会員で、私も何度もお会いしている方です。詩集も何冊かいただいていて、それなりに理解していたつもりだったんですが、阿部さんの解説は丁寧で、こちらも参考になりました。文章には書かれていませんが、おそらく親しい間柄ではないかと想像しています。
 その他、恒松侃氏の「記紀万葉の銘酒・名歌」は、なぜ高校の教科書に酒の話が出てくるんだ?と疑問を投げかけながも、例えば万葉集にどんな銘柄の酒が何回出てくるか、というおもしろい研究を発表しています。そうかと思うと英語科の山羽康文という先生は「トパーズ日系アメリカ人抑留キャンプ」という現地ルポを軸にした、第2次大戦中の日系アメリカ人抑留の研究を発表しています。こんな学校で学べる生徒はうらやましいですね。全国の中・高校を知り尽くしているわけではありませんが、珍しい学校だと思いました。



個人詩誌『空想カフェ』6号
kusou cafe 6
2001.6.17 東京都品川区
堀内みちこ氏発行 500円

 初夏のコーヒーブレイク/堀内みちこ

五月の風のスクリーンに
去年の五月が生きている
みんなで作った映画みたいに

 このたった3行の作品を見て、堀内さん、変わったなと思いました。父上が映画監督だったというのは知っていましたが、堀内さんが映画に関する詩を発表したことは無いんではないかと思います。それが、書いた。しかも「みんなで作った映画みたいに」というフレーズで。堀内さんの詩は、どちらかと言えば饒舌な方だと思っていますが、でも本心のところはなかなか見せてくれない、そんなふうにも思っていました。おそらくこの「みんなで作った映画」というのは、父上、その下で働いていたスタッフ、そして家族を全て含めているんではないでしょうか。そういう大きな関わりの「みんな」だと思います。それをこれから書こうとしているのではないか、と受けとめました。
 そんなことを考えながら読み進めると「スクリーン」というエッセイがありました。そこにちゃんと書いてありました。父上は菊地寛の「父帰る」を撮った監督だったこと、20年以上前に亡くなっていること、堀内さん自身、やっと最近になって映画≠ニいう言葉を平気で言えるようになったこと。
 「風のスクリーン」という言葉がいいですね。風を平面のスクリーンと捉える視線がいい。「去年の五月」という置き方もいい。五月が2回出てくるけど、これは必要な「五月」で、削れない。そして「コーヒーブレイク」。「やっと最近になって、映画と平気で言えるようになった」というエッセイの言葉を象徴しているようです。
 たった3行の詩に、エッセイの言葉まで持ち出して解釈して、ちょっとルール違反のような気がしますけど、そこまで読んでしまいました。的外れだったらゴメンナサイです。



 
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