きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「モンガラ カワハギ」 |
2001.7.13(金)
定年退職者の祝賀会を17時半からやって、1時間で酒も呑まずに抜け出しました。19時から青少年健全育成会の役員会があったのです。会が始まってみると、お前が司会をやれと言われてアセッてしまいました。でも考えたら伝統的に副会長が司会をやっているんだから、当然なんですよ。すっかり自分の役割を忘れていて、笑われてしまいました。私が司会をやるんですから、会議は当然1時間で終りにしました。
主な内容は夏祭り時のパトロールについて。青少年指導員や青少年補導員が中心になってやっているんですけど、それらを束ねた青少年健全育成会ですから、会長と副会長ぐらいは参加しないとネ。自治会の夏祭りでパトロールするんですが、事件・事故なんて何十年も起きたことがないんですよ。まあ、知り合いの小・中学生に声をかける程度で済みそうです。
この会には毎回、駐在所のお巡りさんも出席してくれて、その話の方がおもしろいですね。私たちは事件・事故なんて皆無だと思っていますけど、ささやかな事件はあるようです。市営プールのフェンスの金網を切って、夜中に泳いでいる奴がいるとか、釣堀の鱒が盗まれたとか、当事者にとっては大変なことでしょうが、笑い話のような事件ばっかりのようです。まあ、いつまでもこの地域からは事件・事故は起きないでほしいですね。お巡りさんも、前任者の時は事件・事故が無かったんで、自分の代でも出させないと頼もしく宣言していました。神奈川県警はいろいろトップの不祥事が続きましたけど、末端の警察官は信用してますよ、私は。
○詩誌『RIVIERE』57号 |
2001.7.15
大阪府堺市 横田英子氏発行 500円 |
生花/小野田重子
正座をし 衿を正して
花を生ける
無駄な枝を 余分な花を
切り捨て 切り捨てて
各々の花が
互いに調和し合って
美に到達
かかえ切れなくなった重荷
不用と思われる日常雑事
煩わしさを増す緑の数々
等々 思い切って切り捨てる事ができたなら
私の器にもゆとりが生まれ
美しさと優しさが満ちるかしら
表紙写真とともに付けられている作品です。写真と詩を交互に見ていくと、作者の素直さが伝わってくるようです。生花についてはまったく知識がありませんので、表紙写真のような生花が素直≠ニ呼んでいいのかどうか判りませんが…。少なくとも詩作品は素直≠セと思います。
いろいろなものが捨てられれば「私の器にもゆとりが生まれ」るのかもしれませんね。そこは同感です。でも年齢も関係あるんじゃないかと思っています。40代、50代は働き盛り。「かかえ切れなくなった重荷/不用と思われる日常雑事」が多いのはやむを得ぬことと思っています。60、70になってからゆとりが出るのかな、それまでガンバルしかないのかな、なんて考えています。
○詩誌『こすもす』40号 |
2001.7.10
東京都大田区 蛍書院・笠原三津子氏発行 450円 |
ピアノ/今朝丸
翠
二〇〇一年一月
吹雪の朝
札幌で初めて女の孫が生れた
その日の夜
ほやほやのママは
電話の向うで
パパそっくりなの
と 明るく笑った
名前は雪子ときまり
二月末息子に似ている雪子に会いに行った
生れて五十日余り
こんにちわ 初めまして と挨拶してから
話しかけると
口を動かし微笑する
私の弾きたかった
ショパンのポロネーズが楽に弾けそうな
細く長い指
寝顔は
心を甘美にする
否定的に考える人生を肯定的に変えてしまう
その力
存在するだけで
さて
あと何年後だろう
雪子の弾くモーツァルトのソナタが
聴けるのは
と 勝手に希って
生きていくのも悪くない
勿論 心も身体も
健やかで
私にはまだ経験がないのですが、孫というものは可愛いもののようですね。責任がないから可愛いのだ、という穿った見方もあるようですが、孫を得るということはそれだけ人生経験も豊富になってきているわけで、そこから余裕が生れているから、とも言えるんじゃないでしょうか。孫ではありませんが、私も齢50を越えて、少しは余裕が出てきたようで、他人様の子を見ていると可愛いと思うようになっています。他人様の子でも、第3連のように「否定的に考える人生を肯定的に変えてしまう/その力」を感じます。
作品の技術的な面では、タイトルが良いと思います。作者が好きなピアノと孫との接点に無理がなく、しかも芸術性や華やかさまで演出してしまい、これ以上のタイトルは望めないでしょうね。そこから、作者の詩人としての奥深さも感じます。
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