きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「モンガラ カワハギ」 |
2001.7.18(水)
韓国の出版社の人が日本に来ていて、一緒に箱根を案内してくれないかと、日本詩人クラブ会員のI女史から依頼を受けました。私が箱根外輪山の麓に生活していますので、箱根は詳しいだろうということでの依頼でした。喜んでご案内させていただきました。
I女史と韓国からおいでのK氏、それに同行の麻布高校の先生のM氏です。M氏も詩人ということで、お名前は存じ上げていました。写真は芦ノ湖を背景に。K氏に箱根の名所をあちこち知ってもらおうと思ったのですが、以前に来たことがあるとのこと。それよりも日本の皆さんとたくさんお話しをしたいとおっしゃっていました。そうやってはっきり言われると楽ですね。あちこち走り回らなくてもいいし、私も韓国の事情を聞きたいと思っていました。
大観山で、やっと出てきた富士山を見ながら、かなりの時間おしゃべりしました。驚いたことにK氏は、韓国の事情に詳しい日本の詩人をよく知っていて、ほとんどが私の知り合いでしたので話が弾みました。M氏は横浜にお住まいで、横浜詩人会の会員にも知り合いが多いようで、こちらもすぐに打ち解けましたね。こういう時には、詩を書いている者同士ですので、すぐに本論に入っていけます。日韓の文化比較なども交えながら、夕食もご一緒して、結局、8時間ほど歓談しました。
最初はちょっと緊張して、私の運転する車の運びもスムーズではなかったでしょうが、終ってみれば、ああ、いい一日だったなと思いました。I女史の通訳での会話でしたから、母国語を使う者同士のようにはいきませんでしたが、お互いにニュアンスで伝わるようなこともあって、あまり不便は感じませんでしたね。詩の話に限定されているからかもしれません。政府間では、日韓はギクシャクしていますけど、我々の民間外交は大成功だったと思います。K氏もM氏も、また会いたいと思う人たちです。いい仲間が増えたという思いを強くしました。
○詩誌『光芒』47号 |
2001.7.1
千葉県茂原市 斎藤正敏氏発行 700円 |
固定男女混浴風呂/横森光夫
妻が近所の行きつけの美容院から帰ってきた。
行く前とかわり映えしていない。
否、かえって器量が悪いのがよくわかった。
それでも、ひとこと言うのが慣例になっているので
「綺麗だね。うっとりする」
妻は まんざらではない顔して立ちあがり
お茶と菓子を持ってきて座った
「○○さんは、美容院が終わってから毎日笛吹温泉へ行っていると言っていたわ」
「・・・・・」
「毎日行くと肌も綺麗になって、疲れもとれると言っていたわ」
「・・・・・」
「毎日行くと顔馴染みもでき友だちもできて楽しいと言っていたわ」
「そんなところへ行く必要もないさ。家では、毎日、固定男女混浴風呂に入っているじゃないか」
五十半ばすぎの妻は、頬を染めて色っぽく笑った。
私は、その日からいっそう うつ状態が濃くなった。
まあ、なんという詩かと思って、笑いがこみ上げてきましたけど、ゴチソウサマとも思いましたね。表面的には「うつ状態が濃くなった」んでしょうが、本質はゴチソウサマでしょう。「かえって器量が悪い」とか、「ひとこと言うのが慣例」とか、いろいろ書いてますが「五十半ばすぎ」で「毎日、固定男女混浴風呂に入っている」なんていうのは、少なくとも私の生活とは無縁ですね。
詩としては最終行に尽きると思います。この出し方で成功しているんじゃないでしょうか。結婚生活も長くならないと、こうは書けないし、書いても伝わらないと思います。思わず我が身をふり返ってしまった作品です。ちなみに私は妻≠ニ書くべきところを、かなりの頻度で毒≠ニ書いてしまう癖を持っています。
○詩誌『東京四季』80号 |
2001.5
東京都八王子市 東京四季の会発行 500円 |
部屋の声/三瀬千秋
自ら生きてきた事すら
忘れている人を見舞った
置かれた位置も動作も
変えることは出来ない
医師に うるおいのある日々を願って
尋ねるとあと二、三年という
幼な子のように濾過されて
風呂の中で自分の汚物と遊ぶ楽しげな姿
一族の家系の流れさえも
憶い出せない
生きている限界さえ越えて
生き残っているのは辛さか幸せか
若き日 結縁のしがらみも
今となってはむなしすぎるのか
あの窓のあかるい部屋から
伝わってきたもの
神秘な人の声なのだ
「神秘な人の声」という言葉が重くのしかかってきます。「自ら生きてきた事すら/忘れている人」だからこそ、神秘≠ネんだろうと思います。作品としてはこの言葉でうまくまとまっていますし、おそらくこの言葉しかないでしょう。
こういう人間の限界を描いた作品に、技術論は不用かもしれませんが、それでも「幼な子のように濾過されて」、「生きている限界さえ越えて」というようなフレーズには惹かれます。作品の質を高めるという意味でも重要なフレーズだと思います。それに何といっても「風呂の中で自分の汚物と遊ぶ楽しげな姿」というフレーズは強烈ですね。「遊ぶ楽しげな姿」という言葉で読者は救われるのではないでしょうか。技術論では片付けられない、人生の深みを知った詩人の言葉だと思います。
○詩誌『燦α』10号 |
2001.8.16
埼玉県大宮市 大宮詩仙堂・二瓶徹氏発行 非売品 |
船の墓場/ささき
ひろし
夕凪の海に曳航されてゆく漁船
潮焼けした漁師が
水平線の彼方をみつめる
「第二十二清寶丸」
老朽化したその船体に
うっすらと浮かぶ船名を
沈む夕陽が映し出す
領海線上の他国船との衝突
台風で遭難しかけたことも
大漁で船が傾いたことも
数十年 苦楽を共にした老船は
いま役目を終え 海の墓場にむかう
「ご苦労さん」
大漁旗と自分の写真を箱に添えて
漁師は 傷つき剥げた船体を
撫でながら 別れの酒をかけ
自らも飲み干す
一気に引抜かれた船底の栓から溢れ出る海水
漁師の兄の想い出と共に ぐるぐる渦巻く
やがて傾いた船体は 静かに沈んでゆく
人を寄せつけぬ日本海の深淵に 音もなく
細いマストが 孤独な墓標となるまで
*海洋予防法で禁止されるまで船を沈められた
海の船を沈めちゃっていいのかなと思いましたが、注釈で納得しました。それまでは内心穏やかな気持で読むことはできず、ちょっとイラついて読んでいましたけど、注釈でホッとしたというのが本心です。それならば安心して読めるというものです。安心して拝見して、真っ先に思ったのは、船は幸せだったろうなということです。私が船、ではないですね、舟で遊んだのは、ゴムボート・カヌー・ヨット程度ですから、本物の船乗りには比べようもないんですが、それでも舟の有り難味は多少は判るつもりです。私なぞのような遊びではなく、生活の糧を得るための船ですから、漁師の愛着は相当なものでしょうね。
で、なぜ幸せだったろうなと思ったかといいますと、「他国船との衝突」や「台風で遭難」することもなく「役目を終え 海の墓場にむかう」ことは船の本望ではないだろうか、と思うからです。おそらく死者も怪我人も出さずにすんだのでしょう。安全に人間を乗せるという本来の役割を終えた船にとって、それが一番の幸せだったんじゃなかろうかと思う次第です。
作品としては「漁師の兄」をもうちょっと具体化した方が、船と人間の(個別な)関係が出てきておもしろいんじゃないかと思います。それが「苦楽を共にした」具体化になるでしょう。このままだと、ちょっと一般的になるのかな、と思いました。そういう意味では「第二十二清寶丸」という具体的な船名があるのは良いことだと思います。イメージが湧いてきます。
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