きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「モンガラ カワハギ」 |
2001.7.24(火)
記録的な猛暑も、今日は少しはやわらいだようです。夕方には雨もパラついたようで、書斎にはすごい勢いで風が吹き込んでいます。いつもは全開の窓も、今夜は半分閉めてしまいました。それにしても日中は会社のコンクリートの中にいるため、雨が降ったのも判らないというのは、人間らしくないなあ。そんな生活を30年もやってしまうと、毎日が日曜日、になった時が心配です。
今年の異常な夏を経験すると、やはり地球温暖化は現実なのかと思ってしまいます。京都議定書もどうにか批准まで持ち込めそうな気配で、少しは安心できるかもしれません。しかし、私の生活は相変わらず車中心で、この夏の一因になっていると思うと心苦しいものがあります。バス通勤に切り替えれば駐車場料金も無くなるし経済的にも助かるんですが、深夜帰宅などを考えると、いまいち踏み切れないでいます。せめて燃費を気にした運転を心掛け、環境への負荷を減らすことしかできそうにありません。
○堀江泰壽氏詩集『木になる気』 |
2001.8.20 群馬県伊勢崎市 紙鳶社刊 1000円 |
ドライブ
僕にもわからない行き先にむかって
アクセルをさかんにふかしながら
心がこんなに静かなのは
あっちに分身でもいる
知りつくしたところなのだろうか
空は高くすんでいる
聞きなれた小鳥の声もする
木々は青い芽をだし
いっせいに見つめてくる 僕も見つめる
響きあう なにかを求め導かれている
谺は斜面をころげ谷の流れと唱和していく
いま どのあたりかなど考えもせず
繋がっているものをめがけて
ただ走っている
沼田市 白沢村 利根村 片品村
まもなく水上町
この作品はよく判りますね。私にも同じ思いがあり、同じような行動をしてしまいます。「ただ走っている」だけで「心がこんなに静か」になって「響きあう なにかを求め導かれている」いることがよくあります。作者はそれを「あっちに分身でもいる」んだろうか、「繋がっているものをめがけて」いるんだ、と表現していて、そこが私とは決定的に違います。私はそこまで深く掘り下げたことはありません、「ただ走っている」だけです(^^;;
そして、それがこの作品の高さを証明するフレーズでもあり、詩として成立させている部分だと思います。
群馬の地名を並べているところも成功していますね。行ったことのない場所が多いのですが、地名だけは知っていて想像力が働きます。詩集全体もこの詩のように純心な作品が多く、拝見していて心が洗われる思いをしました。何度もお会いしているご本人と、同じ背丈の詩集で、素直に読むことができました。
○平野敏氏詩集 『月日の詰まった重箱』 |
2001.7.20 埼玉県入間市 私家版 非売品 |
娘に
いま輝いているのは緑の陽の舞い
この地の果てへ長い毛髪(かみ)を曳いて
空の涼やかな眼に照らされながら
娘の婚礼の列は行く
白いパラソルの中で微笑するわが子の出立ち
安堵と行く末の平安を願って
気丈に世を渡って行くであろうと
犬も尻尾を振って
質実に大地を踏んで
教会坂をおりていった
娘の長い毛髪(かみ)が両親(おや)から切れて
そこだけが日輪のやさしい照射の的になっていて
分離の血潮がこの時をほとばしり
娘の衣装も炎が立って
婚礼よこの共有するものとの別れと両親(おや)の去就が
静かに至福をささえ
娘を大きくして
これからの時は
遠い滅びのその時までも
新しい共有の世界に生きて
新しい空の光の糸を引いて
緑を織る春のように生気を吐いて
夏の火を渡り
秋の声にその人の声も重ねて
冬は語り
四季を綴り
歳月の健やかな葛折(つづらお)りを願う
婚礼の娘
長い毛髪(かみ)混じりのとこしえのいのちを
両親(おや)はいま光冠(コロナ)に託して黙すばかりだ
たたみかける語り口が喜びをうまく表現していると思います。この手の作品はどうしても甘くなって、作品としての価値は下がるというのが一般的な見方のようですが、この作品に関してはそうは思いません。素直な喜びの中にも詩人の眼があり、「気丈に世を渡って」いかざるをえない現実、「遠い滅びのその時」をもきちんととらえていて、甘いばかりではない詩人の姿勢を感じます。
そして嫁ぐ娘に対しては、結局「黙すばかりだ」という両親の立場もはっきりさせていて、そう単純な構図ではないことが判ります。詩集全体にも、その表裏を見極めた作品が多く、まさに「月日の詰まった」詩集であると言えましょう。硬質な中に、確かな意志を感じる詩集です。
○詩誌『すてむ』20号 |
2001.7.25
東京都大田区 甲田四郎氏方・すてむの会発行 500円 |
じい/尾崎幹夫
じいは働く
じいは忙しい
柿のなる庭
えんがわの柱にもたれてすわる
犬がひざにくる
ときをおかずじいは眠る
犬も眠る
じいも犬も
柿の影も
くろいかたまりになる
それからすこししてじいは
仕事をしている
ぼくはいう すぐねるのう
じいはいう
死んどった
そしてぼくが十四のときまで
働いて死に
死んで働き
死んだ
最初は、淋しいなと思いました。しかし何度も読み返すうちに、これで良かったんだと思うようになりました。「じい」の「死んどった」という応えは、死の練習をしていたという言葉であり、その言葉通りに「死んだ」「じい」は満足だったのではなかろうかと…。「じいは働」いていたし、「じいは忙し」く生きてきたんだから、やることはすべてやったという気持だったのかもしれません。ある意味では充実した人生を送った、人生の達人だったのかもしれません。
そして、そんな「じい」を見てきた「ぼく」も、達観していたからこそ、この作品が生まれたんではなかろうかと思います。それにしても「死んどった」という言葉には存在感がありますね。
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