きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
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新井克彦画「モンガラ カワハギ」




2001.7.28(土)

 第169回「KERA(螻)の会」というのがあって、新宿に行ってきました。亡くなった山田今次さんを囲む会のようなものでしたが、亡くなったあともほぼ毎月のように開いています。私も一応幹事ということになっていますけど、『山脈』の例会とかち合う日が多く、ほとんど出席できていません。今月は『山脈』の例会が無い月ですので、毎年7月は行けるという次第です。

 今回のテーマは朝吹まりも氏による「詩の多義性について」。レトリック、線条性と現示性、意味のずれ(詩的意味論)、ディノテーションとコノテーション(反喩の構造をめぐって)などなど難しい課題を与えられて、結構難儀しました。まあ、2時間で終わる話ではなく、最終的には作品論のようなことになりましたけどね。

010728

 写真は討論風景です。皆さん真面目なんです。私の頭ではなかなかついていけなかったんですが、なんとか話題に加わりました。それにしても詩人という人種は、いろいろなことを考えているんだなと思いましたよ。
 二次会は近くの居酒屋へ。こちらは私の独壇場です(^^;; 三千盛から始まって八海山、酔鯨と呑んで、したたかに酔いました。固くなった頭がグニャグニャになった気分です。でも、酒もいいけど少しは勉強しないとね。



文芸誌『海嶺』8号
kairei 8
2001.1.1 千葉県銚子市
グループわれもこう発行 500円

 わたしに人生がなかった頃/田杭あしか

雨にぬれた銀座の舗道
七丁目の角を曲がると
「銀巴里」があった
地下への階段をおりると
そこに人生があった
ピアノを弾く指がゆれ
手風琴が踊リ
シャンソンがながれる

  幸福を売る男
  モンマルトルの丘
  つむじ風
  時は過ぎ行く

あの頃
わたしには人生がなかった
海を見にも行かなかった
愛もかわさなかった
死にたいとも思わなかった
雨の日にコートを掛けてもくれなかった
そこにあなたがいた
グレコがいた
コラ・ヴォーケールがいた
丸山明宏がいた

「銀巴里」の灯が消えるという
行ってみたら
深紅のカーテンは色腿せ
壁紙は捲れ
そこにあなたはいなかった
かすかにペルシャ湾の香りがきこえ
のいばらの香りがきこえた

 「銀巴里」には行ったことがありませんが、金丸麻子さんや平野レミさんに親しくしてもらっている関係からシャンソンはよく聴きます。作品に出てくる4つのシャンソンはもちろん聴いていますし、それを思い浮かべながら拝見しました。「銀巴里」は無くなってしまいましたが、シャンソンは永遠に残るでしょうね。
 「あの頃/わたしには人生がなかった」というフレーズには共感できます。私の青春は恥かしいことばかりで、もう一度青春を繰り返せと言われたら嫌ですね。作者がそれと同じかどうかは判りませんが、「人生がなかった」だろうことは容易に想像できます。だから詩を書いているんだろうと思います。「死にたいとも思わ」ずに。



文芸誌『海嶺』9号
kairei 9
2001.6.15 千葉県銚子市
グループわれもこう発行 500円

 記憶のなかの絵/田杭あしか

 門があった 抜で覆われた弓状の門は 繭を輪切りにしたような変な形をしていた 入り口が小さく
 平べったい 仰向けに寝そべる シューシューと鎌の音が地を響く 虫の羽音が身体をめぐり 草いき
 れの匂いが充満している 門から這入るのを諦め 裏口を探し小道を歩き館へ向かう どうしたことか
 私の描いた絵が 応接問に飾ってある その時 西村伊作の声「下手な絵より何も描いてないキャンバ
 スのほうが美しい」
 川面には残光が揺れ 脳外科病院のとなりは教会 見上げると十字架の てっぺんと横に烏が1羽ずつ
 止まっている 日暮れの遅い季節だ いつのまにか太陽は沈み 草を刈っていた老女が オマ工の部屋
 にひとりの男が住んでいるから 此処には住めない やはり私は此処に居たのだろうか 何の為に行っ
 たのか判らなくなっていた そんな絵を描いた記憶が私にはあった

 文字通り「記憶のなかの絵」ですから「抜で覆われた弓状の門」が「繭を輪切りにしたような変な形をしてい」ていてもいいし「入り口が小さく/平べった」くてもかまいません。ただ、なんと言いますか、妖艶な雰囲気を感じますね。「西村伊作の声」は絵描きに対してちょっと失礼な気もしますが、一面の真理をとらえているのかもしれません。
 作品を心象風景ととらえてもおもしろいと思います。それに散文詩である必要性も感じます。説明が詩的である必要がこの作品には求められますから、散文詩で良かったんだと思います。ちょっと他では見られない詩と言えるでしょう。



詩歌鑑賞ノート(三)『郷愁の詩人像』
shiika kansyo note 3
2001.7.20 名古屋市名東区 阿部堅磐氏発行 非売品

 著者の國學院時代に巡り合った7名の詩人について、当時の作品を紹介しながら論を進めるというものです。20歳そこそこで書かれた作品を当時を思い出しながら紹介していますから、その時代背景まで読めて、おもしろい試みだと思います。私も高校時代の文芸部の様子を思い出しながら、懐かしく拝見しました。もちろん著者は私よりも先輩で、通っていた学校も違うのですから、同じということは有り得ませんが、同じような時代に青春を送ったんだなと思う次第です。
 著者の紹介した文章をさらに紹介しても、孫引きのようでおもしろくないので、著者が1968年に発表した作品を紹介します。30年前以上の作品で、おそらく著者が20歳頃と思われます。

 落ちてゆくもの/阿部堅磐

風に
無言歌は流れ
湖に
雨が落ち
霧の中
一羽の鳥は消えていった

この往き交う透明なもの
私もまたとどまることを許されず
歩きつづけねばならぬのか

歩りゆくバスの音も
そぞろ悲しい峠道
濡れそぼつ白樺林
投げられた石塊
(いしころ)ひとつ
この白い明るみは
そうだ 私の忘れていた
故郷
(ふるさと)へつづく道なのだ

愛 その重すぎた光の羽交締
(はがいじ)
その陰影が 言い知れぬ
もの憂さとなって
旅へ誘
(いざな)われて来た私の心を
深くつつむ

いま溶けてゆく爽やかな青い雫

煙る山脈
(やまなみ)の果てから
春の香りを押し流して
落ちてゆくもの
足取りもあるかなきかに
遠く運ばれて来た哀れなもの

私の中のこの落ちゆくもの

 私も20歳頃にはすでに詩作らしきことをしていましたが、こうはいきませんでしたね。実力の差を感じさせられます。



 
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