きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
mongara kawahagi.jpg
新井克彦画「モンガラ カワハギ」




2001.7.31(火)

 誰にでも年に一度やってくる日ですから、どうということはないんですが、今日は私の誕生日です。52歳になりました。もうそんな歳かと思う反面、まだそんな歳かとも思います。詩人や作家は年配の方が多くて、50歳代なんてまだまだワカゾーです。そんな現実を知っているからそう思うのかもしれませんね。
 50歳の誕生日は感慨がありました。人生わずか50年≠ニいう言葉が昔から染みついていて、50歳を越えられないのではないかと、漠然とした不安がありました。ですから50歳になったときはうれしかったですね。なぜか長生きできそうな気にもなっちゃいました(^^;;
 まあ、そんな50歳の思いに比べれば、今日は単なる通過点で、特に感慨はありません。昨夜、原稿を書いていて0時を過ぎ、ああ、誕生日だ!と思いましたけど、それだけです。でもね、こうやって書いているということは、やっぱり気にしているのかな?
 誕生日というと車の免許更新を思い出します。今年がそうでした。2回目のゴールドカード。別にイバルほどのことじゃないけど、毎日通勤で使っているわりには捕まらないなと思います。不思議なことですが道交法を完璧に守ろうと思うと、運転なんてできないんですね。だから守らないという気はなくて、守る努力をしている、という程度なんです。



文芸誌『中央文學』455号
cyuo bungaku 455
2001.7.25 東京都品川区
日本中央文学会発行 600円

 このHPでは初登場ですが、実は古いつきあいなんです。私は1980年に同人になっています。小説が主体の同人誌で、ずいぶん勉強させてもらった所です。100枚ほどのものを含めて3編ほどの小説を書かせてもらいました。しかし、1995年頃に事情があって退会しました。それでも編集部は毎月送ってきてくれて、それは今でも感謝しています。
 現在は月刊が維持できなくなり、季刊(だと思う)に変わっています。それでも小説の書き手は実力派が揃っていて中身は濃いですね。1947年創刊ですから、日本の同人誌の中でも草分けの存在で、そんな歴史の重みも感じさせる同人誌です。

 夢さまざま/寺田量子

黙って心配そうに白いコートの亡父がそばに立っている夢を見たあと
坂をころげ落ちるように よくないことが続いた

困ったことが立て続けにあって
目が覚め 夢だったとほっとしながら
どんなことで なぜ困っていたのか 思い出せない

毎日のように そんな夢を見て
夢の中で ボケはじめたのかと気にしていた

「あのことは こうすればいい」と教えてくれたのは
ずっと前になくなったひとだった
目が覚めてから 嬉しくなって
そのとおりしてみよう と思った

 淡々と書かれた中に、人生の重みを感じさせる作品だと思います。「白いコートの亡父」という言葉が際立っていて、でも「目が覚めてから 嬉しくなって」というフレーズでホッとします。「ずっと前になくなったひと」というのは「亡父」とは違う人だと思いますが、それが人的な広がりを見せて、作品を深くさせているとも思います。
 寺田さんらしいなと思ったのは、最後のフレーズです。寺田さんの素直さが出ていますね。決して逆らわず争うこともしない方です。批判精神は詩人には必要なものですが、その反面、素直にならなければならない場面では、あくまでも素直であるべきだと考えています。そんなことを改めて思いました。



 
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