きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
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新井克彦画「モンガラ カワハギ」




2001.8.1(水)

 昨夜、あわただしく今日の出張が決まって、今朝は資料作りでアタフタやってました。東京出張は無事にすんで、やれやれと思う間もなく、今度は市の夏祭りの実行委員会です。私は参加できないのですが、8/5に「金太郎祭り」というのが行われます。過去には子供会や自治会で参加したのですが、今回は青少年健全育成会という立場ですから、以前よりは気楽なんですがね。

 それが終わってようやく家に帰り着いて、手紙を見てうれしかったですね。日本詩人クラブの広報担当理事になって初めての、機関誌「詩界通信」が先日郵送されています。それに対する励ましの手紙が2通入っていました。一人はお会いしたことのない方です。以前いただいたEメールでの励ましを加えると少なからずの人が直接応援してくれています。うれしいですね。担当理事とは言ってもまごついていて、印刷を引き受けてくれている「待望社」さんがほとんどやってくれています。次回は印刷会社にあまり迷惑をかけないようにしようと思っているところに、そんな励ましをいただくと本当にうれしいです。

 しかし、考え込んでいることもあります。連日の報道でご存じの方も多いと思いますが、私の居住する地区にあるお寺の、副住職が殺害されています。7/30のことでした。暴走族風の30人ほどに頭を殴られたそうです。そのお寺には私も年に何度か行っていて、もちろん副住職のことは知っています。住職は私と同年輩で、その息子さんですから、いい後継ぎができてよかったなと思っていたんです。その彼が殺害されるなんて信じられないことです。

 正直なところ、私も誉められた少年時代を送ってきたわけではなく、中学生の頃から徒党を組んで酒・煙草をやっていました。バイクや車の無免許運転なんて当たり前で、夜中に暴走行為もやっていました。しかし、田舎ということもあって、人家の近くではやりません。人のいない霊園に行って、そこで真冬でも裸でバイクを運転する、なんてバカなことをやっていました。自分らが楽しめばいいのであって、関係のない他人には迷惑をかけないという暗黙の了解があったのです。

 おそらく中学生でそんなことをやってしまったからでしょうか、高校生になってからはバカらしくてやる気にもなりませんでした。それよりも文芸部や生徒会活動の方がおもしろくなったんです。我々のリーダーだった番長は、結局、警察官になってしまいました。

 ですから、少年が暴走行為をしたい気も多少は判ります。でも他人には迷惑にならないようにやれよ、ましてや他人に怪我をさせたり殺害するなど論外です。万一そういう事態になったら、逆に自分もやられてもしょうがないという覚悟しておけよ、と言いたい。そこには少年法なんか関係ない、責任の取り方は生半可じゃないぞ、と言っておきたいです。

 
 
 


  港敦子氏詩集キクことば、ミルことば、くにぐにの
  kiku kotoba miru kotoba kuniguni no    
 
 
 
2001.7.30
東京都新宿区
土曜美術社出版販売刊
2000円+税

    飽和するイデオロギーとの結婚、
    または栄養ある別居のために


   朝ごはんは、炊きたての思想と、ランチは思想を焼いたもの
   お茶はイデオロギーで、夜のお酒は思想のボトル

   オンナを抱く時にだけ姿を消す、妖怪じみた、この思想
   、とオトコは暮らしている
   その思想
   、を、我慢できないほど愛している

   愚か者よ!

   もう、美しい地中海のアーモンドにも似た
   両の眼は、思想しか、思想の絵しか
   思想の詩しか
   思想のオンナしか、映さない
   まして詩はニュースヘーパーと同じように
   右手でお尻をふくものだ、と

   おそらく、オトコの意味さえ、そらぞらしく思想は活発で
   善人の、水仙の花の仮面をかぶった香りばかり悠々と放っのであろ
   うか ぴかぴかに磨いた七の上から、高らかに笑うオトコの口ぐせ
   、なぜって、思想さ

   不幸なオンナは、
   心臓がむずがゆく、愛のことばをちりばめた
   赤い唇、と焼きたてのジューシーな太ももと
   甘い南国の果実、とをつかんで吠える、踊りたいのよ
   そろそろ、産卵の季節だというのに
   タマシイも肉体も、ココナッツのソープで洗って欲しいと言うのに

   ・・・オンナの全てを抹殺するは
   思想であり、オトコのくり返す影絵のようなすかすかで薄っぺらい
   ユーレイことば、であるのを、誰も、知らない

   きっと、幻の国に住む猫の、下半身の方が、タイフーンのように魅
   力的な思想を宿しているのだろうよ

   砂漠に埋まる、まだ蒼い、十字架を、見たことがある?
   10本の指をぐるぐると仲ばし、カエルを食べる支那の老人に会っ
   た?それとも、黄色い山を白分で動かしたい、と言った、アラブの
   王様?

   もう、息たえるより前に、干からびそうな世界、の、弱い動物たち
   を含む、オトナたちの、無意識のヘルプやサンキューを、いつだっ
   て整理していない思想に閉じ込めて、後回し、後回し、そして思想
   を慌てて探して見つからず、戦争もはじまろうとするのが
   オトコには、解らない
   キリキリして熱く煮えたぎる、危機というスパイスも感じられない
   ほど、鈍感な、平和なイキモノであることよ

   初めにことばがあったのか
   それさえも、可愛い思想のために、オンナをひりひりとずるずると
   こんにゃくが腐っていくように育てて、笑い続けるのか

   平和とは戦争をしないことではない

   みすぼらしく、さめざめと
   しぼんでゆくパンのひときれを
   やはり見向きもしない、このオトコは
   脂ののった思想を食べ過ぎて
   くたばってしまえ!

 著者の第一詩集だそうです。おめでとうございます。著者略歴を見ると20代の方と判ります。今後の活躍が楽しみです。でも私のように頭の固くなった人間には、なかなか理解できない作品が多くあります。あるいは理解≠ナはなく感じよ、というのかもしれません。そういう意味では非常に感覚的な詩集だと思います。著者は各国の翻訳をやり、舞踏・詩劇などにも造詣が深いようで、私のような平均的(ホントか?)なサラリーマンとはちょっと違う、芸術家の感覚をお持ちのようです。

 それらのかなり高度な作品の中で、どうにか私にも手が届きそうな詩が、紹介した作品です。個々の言葉には決して難しいものはなく、なんとか理解できそうな気になりますが、全体を見るとかなり難しいですね。「思想」と「オンナ」と「オトコ」、あるいは「戦争」と「平和」というキーワードでどうにか自分の手元に引き寄せようとしています。でも、ここには私の知っている、いわゆる思想など無く、著者の個性的な思想がある、と思うのは読みの浅さでしょうか。

 技術的には「、」が行頭にあるのは理解できるような気がします。どこで息をするのか、ということではないでしょうか。従来のように行の最後で息をするのではなく、行頭でする。それによってリズムの改革をやっているのだろうかと思います。こういう試みはどんどんやってもらいたい。固まった頭をほぐしてもらいたいですね。

 ともあれ、非常に個性的な詩人の出現と言えます。詩にいたる病≠ニ言ったのはどなたでしたっけ?そういうとんでもない世界に足を踏み入れてしまったんですから、途中で放棄しないでほしい、新しい感覚を放出してほしい、という思いを強くしています。今後のご活躍を期待して止みません。


 
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