きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「モンガラ カワハギ」 |
2001.8.3(金)
連日の激励に感涙しています、と書くと大げさですが、それに近い思いであることを告白します。日本詩人クラブ機関誌「詩界通信」の、編集責任者になって初めての号が先日出ました。日本詩人クラブ会員の知人、親しい人が激励してくれるのは判りますが、会ったことがない方や手紙のやりとりもしたことがない方からも届いていて、正直なところは驚いている状態です。
おそらく、村山という個人にではなく編集者という立場に対しての激励だろうと思います。前任者に聞いたわけではありませんから、確かなことは言えませんが、そんな風に感じています。私の受け取り方が正解だとしたら、日本詩人クラブというところはすごい組織だなと思いますね。結束力の強さを感じます。激励のすべてに礼状を出している余裕がないのは失礼なことだとは思いますが、とり急ぎHPでお礼申し上げます。お前のHPも見てるよ、と書き添えてくれる方も多いものですから。
で、ここからが私の天邪鬼(^^;;
激励なんてとんでもない、お前がちゃんと仕事をやるか心配だから釘を刺しているんだ、勘違いするな! と言われているのかもしれません。がんばります。
○詩と評論誌『方』116号 |
2001.7.20
仙台市若林区 今入惇氏方「方」の会発行 500円 |
死人罫(しびとけい)/柏木勇一
矢崎市朗、逢坂洋之助、 青木三郎、
吉沢南、大森正恵、チ
ン.コン.ソン、潮谷総一郎、福井直俊、山本栄則、岡倉古
志郎、クリフォード・シャル、藤井清光、川崎稔、高根靖、
植良祐政、大野盛雄、大川義篤、山本マサ、春日とよ福美、
鎌居五朗、藤本俊、足立公一郎、馬場のぼる、津田幸於、並
木路子、土屋雅春、鴨下春明、ラリー・タッカー、鈴木治、
呉永石、中田一次、橋本鉄彦、佐藤武、中平南谿、酒井善隆、
松岡英夫、古沢フミ、ベアトリス・ストレート、デビッド・
グラフ、大林太良、田耕、白尾偕子、瀬藤和寛、鈴木莞二、
藤田未永、堀内正和、ジョージ・ブル、伊地智善継、中込忠
三、田中幸夫、本圧務、関口操、三波春夫、田久保英夫、菅
原安男、勅使河原宏、窪田章一郎、本田桂子、五辻実誠、小
島三児、瀬在良男、真島健、森田健三、吾妻春菊、毛利基宏、
ジョーイ・ラモーン、伊部恭之助、津田一朗.荒木秀一、山
田智彦、印辺義敏、暉峻康隆、稲富マサカ、マイケル・リッ
チー、黒田和雄、大原直美、アンドレ・デュブーシェ、中林
洋子、伊藤直明、ジュゼッペ・シノーポリ、ぺーター・マー
ク、あすなひろし、エディット・ピヒト・アクセンフェルト、
ジャック・へイリー・ジュニア、清水ふぢ、武部文、川崎八
重、久保興朗、野ロ伊織、岡田温、中川真次、高僑杢次、神
部文了、李玉琴、和泉雄三、蔦文也、佐伯清治、古今亭右朝、
出口聖子、竹内柾、山田武司、向笠寿恵子(*)
これらの氏名の横には一本の太めの線が引かれている
死人罫とも亡者罫とも呼ぶ
名のある人の死を伝える罫線である
拝啓 親父殿
あなたが死んだ日は本当はいつだったのですか
本当の場所はどこですか死因は時問は天候は
埋められたのですか捨てられたのですか
満州15236部隊第3機関銃中隊井上隊員として
親父殿
あなたは引き金を引いたのですか逃げたのですか
わたしはあなたのことを何も知りません
名もないあなたのこととを知る人もいません
あなたとわたしの間には非情の大河が流れ
黒龍江、松花江、法別拉、吉林、奉天、旅順、柳條溝
黒々と文字が浮き出てくる古い地図に
わたしはやみくもに線を引いています
(*2001年4月に朝日新問東京本社発行朝・タ刊最終版社会面に掲載された死亡記事氏名〕
「名のある人の死」と「名もないあなたの」死の対比に胸が痛みます。しかも「あなたが死んだ日は本当はいつだったのですか/本当の場所はどこですか死因は時問は天候は/埋められたのですか捨てられたのですか」という基本的なことさえも判らない死に、ご遺族の無念を感じます。私の父親も戦争に行って、幸い帰ってきましたが、作者と同じ境遇になった可能性もあり、他人事ではありません。もっとも私の場合は、父親が戦死していたらこの世に存在しないこしになりますが。
作者は「わたしはあなたのことを何も知りません」と書いていますから、おそらく幼児期に父上を亡くしているのだと思います。「拝啓 親父殿」と書くときの作者の痛みを思わずにはいられません。まもなく広島・長崎原爆記念日、そして敗戦記念日。この半世紀の結末を、作品は問い質しているようにも思います。
○沼津の文化を語る会会報『沼声』254号 |
2001.8.1 静岡県沼津市 望月良夫氏発行 年間購読料5000円 |
本当に心配な今日の日本
明日どころではない、今日の日本が木当に心配だ.株価さえ上昇すれば景気が回復し、日本は自信を取戻す、と主張するノーテンキな評論家と称する人たちもいるようだが、日本という国家の経済が株価だけで運営されているわけではない。現在の日本の経済を含めた仕会全般の病巣はもっと根深く、実に現在の日本人の一人一人の心の中に存在しているのであって、株価とか景気だけが癒せるものでは決してない、と当事者の一人である私は理解している。
現在の日本の病巣は志の低さと規律の欠如である。この二つが機能しないところに良質な社会は存在し得ない。法に違反した者を捕まえ、きちんと罰することすらできない社会が秩序を保てるだろうか。たとえばサリンをまいて多数の無関係な人たちを殺傷したという反社会的な事件の法的決着がいまだについていないのは説明のできない不思議なことだ。暴走族が違法行為を繰返しても、取締りは不充分だし、それを促す声もマスコミには登場しない。国民的キャンペーンもない。結局、さわらぬ神にたたりなし、で彼らの行為は黙過されている。自分の子供を虐殺した親も合めて、殺人者に対する刑罰が甘すぎると感じるのは私だけだろうか。
こんな仕会に誰がした、と言えばそれは現在この国で生きている我々白身をおいて外にはない。私も当然その一人だ。白分の反省として告白すれば、それはこれだけ暖衣飽食の時代になっても、まだゼニゲバの心境から解脱できないでいるからだ。末法の世というつもりはないが、今の日本に大切なのは経済改革よりも精神改革である。それを政府に音頭をとらせれば、歴史の時計の針を逆戻りさせることにつながるから、私たち一人一人が価値観を再点検し、何が本当に大切なのかを確信することが、喫緊の自己課題ではないだろうか。 [河村幹夫]
--------------------
私の住んでいる地区にある寺の副住職が暴走族に殺されるという事件があって、17歳の暴走族リーダーが自首しました。それもあって「暴走族が違法行為を繰返しても、取締りは不充分」というご意見には頷きます。やはり「さわらぬ神にたたりなし、で彼らの行為」が「黙過されて」きた結果だろうと思います。これからどういう展開になるか判りませんが、私も「殺人者に対する刑罰が甘すぎると感じる」事態になるのではないかと予想しています。
筆者も述べているように「現在の日本の病巣は志の低さと規律の欠如である」と私も思います。特に志を高く持つことが重要で、それに向かって努力している限り、悪に走る余裕はないと思っています。もちろん志とは高級官僚や大会社の幹部になることではなく、生き方の志です。私個人の「志の低さ」を棚上げしてのことですが、そう思えてなりません。
それにしても「それを政府に音頭をとらせれば、歴史の時計の針を逆戻りさせることにつながる」という指摘は悲しいですね。私もそう思っていますし、多くの国民がそう感じているのでしょう。しかし現実は「歴史の時計の針を逆戻りさせる」首相がもてはやされ、そういう政府しか我々は持ってこなかったことになります。それは誰でもない、我が国の民意ですからしょうがないことです。「私たち一人一人が価値観を再点検」するしかないのかもしれません。
[ トップページ ] [ 8月の部屋へ戻る ]