きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
mongara kawahagi.jpg
新井克彦画「モンガラ カワハギ」




2001.8.5(日)

 昨日から私の夏休みが始まっています。初日は『山脈』夏の合宿で箱根に行ってきました。いつもの合宿ですと合評会が主になるんですけど、今回は初の試みとして『山脈』109号の編集会議を持ちました。初めて編集なるものをやった、という人も多く、こうやって雑誌が造られていくのか、という声もあって、それなりに勉強してもらえたんじゃないかと思います。
 今日は茅ケ崎に行ってきました。同人の発案で地ビール工場で昼食を摂りました。「湘南ビール」もうまかったけど、青竹に入った日本酒もうまかったですよ。升酒もうまかった、、、って、ビール工場ではないみたいでしょう。もとは熊澤酒造という日本酒の蔵元だったんです。そこが地ビールを造っているわけですから、日本酒がうまいのは当り前ですね。
 昼食のあとは、近くの同人宅に伺いました。若い夫婦が同人にいて、彼らが家を新築したんです。新築特有の木の香りがして、家も広くて、いい所でしたね。

010805

 写真は新築なった同人宅にて。書斎も拝見しました。両面から取り出せる造りつけ本箱など、ひとつの理想の形だと思います。でも、これから借金返しが大変だな(^^;; がんばってね。



篠崎一心氏詩集『蛍』
hotaru
2001.8.15 東京都文京区
文芸社刊 1000円+税

 蛍橋

橋げたから身を乗り出すようにして 男は投げた 光はきらめいて 宙空
でいったん停まったあと ひらひら羽ばたいて 谷底めがけて 翔んでい
った ながいこと初老の男は 投げていた 時々 箱から男の指から こ
ぼれた光が 足元で 跳ねてはころがった

ホーホーホタル  コイ こっちの水は甘いぞー  ホーホーホタル コイ
男の口から 低い唄が つぶやきが 聞こえてきた そして はずみをつ
けては 男は 力一杯投げた

六月二十八日から ほぼ十日間 午後六時二十三分になると 男はその橋
に必ずやってきた 銀貨の詰まった 重いリュックサックを背負って 口
笛でも吹きたそうな顔をして そして 荷物が空っぽになると いずくと
もなしに 帰っていった

蛍橋という名が いつとはなしについた 地元の人は 橋下の川底をさら
った 噂を聞きつけた人々が 遠くから たくさんやってきては川底をさ
ぐった 水死するものがでて それでも つぎからつぎへと 噂はながれ
物見高い人々がやってきた 川底はえぐられ 深くなり 溺れるものはさ
らに増えた

おぼろ月夜のその日も 深い谷から霧がゆっくり這い上って来て 橋の両
端をぼかし 盛りあがった真ん中の橋梁を ぼんやり映し出した 薄墨を
ひいた橋げた全体が 檜舞台となって 空間にぽっかり浮かんでいた

男は 無造作にリュックの中から 箱を取り出し ずっしり詰まった五百
円銀貨を 鷲づかみにすると 斜め上前方に向かって 投げ始めた くる
くる回転しては 宙空を飛ぶ無数の硬貨が 月の光に照らしだされ 青白
い光を反射し 明滅する蛍となって 華麗に空間を飛翔した そして 一
気に奈落の底へ 落ちていった

ホーホーホタル  コイ こっちの水は甘いぞー  ホーホーホタル コイ
男はつぶやくように唄った 唄っては投げ 投げては唄った

億という単位のお金が 五百円硬貨に替わり そして 蛍となって舞った
資産家だという男の身代も 数年であっという間に底をつき 男は蛍橋へ
は来なくなった

蛍橋がどこにあるか 今では だれも知らない 話題にすらならない 初
老の男の 行方もわからない ただ 男には 妻と三人の子供がいて 無
一文になってからは 絶えずあった争いがなくなり それでも 収拾のつ
けようがなくて 一家は離散したという その後 一度だけ たった一度
だけだったが 蛍橋を 五人が連れだって仲良く翔んでいたと 噂がとん
だことがある

 一見、メルヘン調ですが、もちろんそんなことはありません。怖い、示唆に富んだ作品だと思います。「
川底はえぐられ 深くなり 溺れるものはさらに増えた」という言葉は、人間の煩悩を表しているようで、第一級の示唆だと思います。「それでも 収拾のつけようがなくて 一家は離散したという」ところにも同じ感覚を覚えます。
 しかし「
無一文になってからは 絶えずあった争いがなくなり」という部分には安心感があり、最終の「たった一度だけだったが 蛍橋を 五人が連れだって仲良く翔んでいたと 噂がとんだことがある」という抑えには、作者の人間的なあたたかさを感じます。「蛍」が多く出てくる詩集で、「蛍」の持っている死のイメージの裏側に、生の卓越を感じさせる詩集と言えましょう。



季刊文芸誌『南方手帖』66号
nanpou techo 66
2001.8.10 高知県吾川郡伊野町
南方荘・坂本稔氏発行 800円

 蛇の歌/尾崎驍一

母が
ミクミ山でみたという蛇は
木を撓らせて
母の前から
去ったという

ある日
その蛇が父と私の前に現れた
大人の腕程もあるクロクチナワ一
残光にその肌は
黒く光っていた

この山には昔から大きな
クロクチナワがいると
いわれていたのが
現実となった

南に向かった冬も暖かい山で
そのクロクチナワは
山の主として
どれだけの年月を生きていたのか

ミクミ山に佇ち
祖父の頭に栗の毬を落としたこと
父の炭焼きを手伝ったこと
キンマで芋を運んだこと
などふたたびは皈らぬ
風景を憶いだしながら

ふと想うのである
母と父と私をちらっとみた
あのクロクチナワはいまだに
このミクミ山のどこかに
ひっそりと生き長らえて
この私をみているのでは
なかろうか

 「クロクチワナ」とは黒い「クチワナ」だろうと思って手持ちの辞書で調べましたが、載っていませんでした。動物図鑑あたりで調べないと判らないかもしれません。一応、「クチワナ」という大きな蛇がいるとして鑑賞の材料にしました。

 *後日、閲覧者から指摘を受けて「クチワナ」は私のミスタイプであることが判明。原文の「クチナワ」は「口縄」で、牛馬の口につけて引く縄のことだそうです。お詫びして訂正します。(2001.8.12記)
 *さらに指摘があり、調べたところ「朽縄」、朽縄に似ているから「蛇」、蛇の古名という記述もありました。私のまったくの確認不足でした。再度お詫びして訂正します。(2001.8.13記)

「キンマ」は載っています。蒟醤と書き、コショウ科のつる性半低木だそうです。おそらくそれを使って籠を編み「芋を運んだ」のだろうと想像しています。
 メンバー住所録を見ると、作者は四万十川で有名な中村市にお住まいのようですから、四国の山の生活を描いていると思います。私は2度、四国にいったことがあり、四万十川にも行っています。その時の中村市の様子を思い浮かべながら鑑賞しました。重要な「クロクチワナ」の意味が正確に判らないのは残念なんですが、昔、世間を賑わしたツチノコと同じととってもいいのかもしれません。第3連を拝見するとそのように受け取れます。
 蛇と人間との関係は民話の中にも多く出てきて、昔からいろいろありましたけど、最近は見ませんね。都市ではもちろん、私の居住する箱根外輪山の麓でもほとんど見ません。マムシが多く住んでいる地域なんですが、この10年ほどはまったく見ていません。やはり人間が蛇を追いやったのかもしれません。そんな「ふたたびは皈らぬ/風景」をこの作品は静かな口調で告発しているのではないでしょうか。




 
   [ トップページ ]  [ 8月の部屋へ戻る ]