きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
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新井克彦画「モンガラ カワハギ」




2001.8.6(月)

 今日は56回目の広島原爆記念日。犠牲になった方々のご冥福を祈ります。
 それに連動して、13時から日本ペンクラブの「戦争を考える集い」が内幸町の日本記者クラブでありました。勇んで行きましたけど、実はちょっとがっかりしています。
 私が事前に知らされていた内容は、木島始さんなどが提唱している「千鳥が淵戦没者霊苑」の討議とのことでした。しかし実際は「戦争を考える集い」というタイトルが示すように、かなり範囲が広がってしまいました。もちろん木島さんを始め、提唱のお三人の発言はありましたが、全体の主要な流れとはならなかったと思います。しかも、パネラーの話は筋が通っていてそれなりに良かったのに、フロアーの発言にはがっかりさせられるものばかりでした。ご自分の戦争体験の披露が主になっているんですね。
 それはそれで傾聴に値するんですけど、議論をするなら論点をはっきりさせろよ、と言いたくなる場面ばかりでした。いささか腹に据えかねて退席しようかとも思いましたけど、それは大人気無いのでやめました。司会の三好徹さんもさかんに気にしていて気の毒でしたが、もとはと言えば焦点の絞りにくいタイトルにあったんではなかろうかと思います。驚いたことに、今回のメインとなるべき木島さんらの提案は、議事が終わって帰りがけに配られました。これが真っ先に配られていたら、焦点がはっきりしたろうにと悔やまれてなりません。ここに、その提案の全文を紹介します。
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 提案
 シイやカシの自然林にかこまれた国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑(面積約五千坪)には、今次戦争における海外での戦没者の遺骨で、氏名不詳または引取人のないもの三四万柱が、六角堂の地下納骨室に安置されているが、今でも毎年少しづつ旧戦場から持ち帰られる遺骨が加えられている。
 私達は、戦没者の慰霊というと、自国の軍人を対象として考える習慣がある。アメリカのア−リントン墓地もその点例外ではない。しかしこの際発想を改めてひろく敵味方を問わず、また軍人だけでなく民間人までも含めた戦没者を慰霊するための鎮魂の祈念堂を建立したらどうかと考える。そのような戦没者鎮魂祈念堂をもっている国は、世界にまだない。
 わが国には戦没者を慰霊するときに敵味方を問わないという古来からの伝統があった。例えば、元寇の戦いの後鎌倉幕府は、円覚寺に、戦いに敗れて亡くなった元の兵士を手厚く葬っている。
 また今次戦争での民間人の戦没者の比重はアジアの諸国では歴史上例をみない高さに達した。日本でも約一三○万人の民間人が、焼夷爆弾と原子爆弾によって命を失ったのである。以上のような伝統と特異な経験が、日本に世界に類のない戦没者鎮魂祈念堂の建立を求めているように思うのである。
 アジアには、朝鮮半島や台湾その他に冷戦の残り火がくすぶっている。日本が今このような戦没者鎮魂祈念堂を建立することは、「一視同仁」的な精神をもって今後の世界の展望を開こうとしていることを内外に表明する証になるであろう、と私たちは考える。
 日本政府の発表によると今次戦争による民間人を含む日本人の戦没者総数は約三一○万人で、そのうち軍人は一九二万四○○○人である。
 中国人の民間人を含む戦没者総数は約一○○○万人以上とみられている。
 南方の諸民族の人々の戦没者総数は約八六○万人以上である。その内訳は、べトナム二○○万人、ビルマ五万人、モルジブ数千人、ニュージーランド一万一六二五人、インドネシア二○○万人、フィリピン一一○万人以上、シンガポール五○○○人、インド三五○万人となっている。
 朝鮮半島の人々の戦没者数は三○万人以上と一般に云われている。
 真珠湾から沖縄戦に至るアメリカ人の戦没兵士の数は、九万二五四○人で、民間人は六八人となっている。
 以上のような広大なアジア太平洋地域での民間人を含むすべての戦没者の霊を慰め追悼する目的で、銅板浮き彫りの地図の上にそれぞれの戦没者数を記載し、これを戦没者鎮魂祈念堂のなかに納める。先の六角堂と並んで、千鳥が淵は二っの中心的建物をもっことになる。
 そして名称も「国立千鳥ヶ淵戦没者霊苑」と改め八月一五日を「戦没者鎮魂慰霊の日」と定める。
 この日に、天皇と首相ならびに内閣閣僚は霊苑での式典に出席し、すべての戦没者への哀悼の意をあらわす。

 以上のような提案にもとづいた超党派の議員立法を行ってくださるよう、お願いいたします。

  詩人・木島 始/法政大学名誉数授・力石定一/上智大学名誉教授・蝋山道雄
  二○○一年八月六日
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 お三人はペンの会員ではありません。小泉首相の靖国神社参拝に端を発して、具体的な行動として考えたようです。この提案を持って行く先としてペン憲章を読んでみると、日本ペンが最適と判断したようです。それに応える形で今回の「戦争を考える集い」が開催されたと私は理解しています。この提案をなぜ真っ先に配布しなかったのか不思議でなりません。

010806

 写真はパネラーの一部。左から加賀乙彦(副会長)、梅原猛(会長)、三好徹(副会長)、小中陽太郎(専務理事)の各氏。他に井上ひさし(副会長)、下重暁子(常務理事)、辻井喬(常務理事)の出席がありました。
 フロアーの発言として私が注目したのは、京都から来た安森ソノ子会員の言葉です。こういう集りがあると出席者は戦争を体験した人ばかりで、戦後生れはほとんどいない、というものです。これは私も感じていました。私は1949年生れですから、まったくの戦後生れ。他に二人ほどいたかな? 安森さんは我々の世代にどう伝えていくかという論点も必要、と発言していましたけど、その通りだと思います。ご自分の戦争体験を披露してもらうのも結構ですが、例えば、こういう点に気をつけないと時代が逆戻りするよ、というようなことを聞きたいのです。過ちだったと言ってもらうのはいいけど、なぜ過ちを犯すことになったのか、その原因は何だったのか、などを聞いて自分の思考や行動の基準にしたいのです。まあ、今回は時間も少なかったし(3時間!)、論点も定まらなかったきらいがありますから、そこまで求められませんでしたけど、次回は是非そういう視点も欲しいですね。



 
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