きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「モンガラ カワハギ」 |
2001.8.8(水)
小泉首相が靖国神社参拝に迷っているようです。なぜ迷うのかと思います。政教分離を掲げた憲法に明かに違反する行為に、迷いの余地はないでしょう。私人であろうが公人であろうが、政治家が一宗教法人を参拝するのは、憲法という国の最高ルールを守らないことになるのです。
自衛隊も憲法違反です。どんなにうまい言い繕いをしても、違反は違反なんです。お上がそうだから、国民も違反には無頓着です。交通違反に始まって、見つからなければいい、精神異常と認められて言い逃れができれば、人を殺しても構わない、という構図が見えてしかたありません。それなのに若者にルールを守れと言ったって、聞く耳がないのは当り前でしょうね。すべて国が悪い、大人が悪いと言う気はありませんが、少なくとも私たちは選挙権を持って国を信任しているのに対して、少年にはその責任は問えません。
一国の首相が公言してはばからない靖国神社参拝を、どう対応していくのか、内心ハラハラしながら見ています。行くにしろ行かないにしろ、彼の立場は窮地に追い込まれます。軽率な発言として歴史に残るかもしれません。小泉純一郎という政治家は個人的にはおもしろい、いい人間かもしれませんが、国の最高指導者としては適性を欠いているように思えてなりません。
○個人誌『爬虫類』創刊号 |
2001.8.1
千葉県山武郡大網白里町 伊藤ふみ氏発行 非売品 |
いのち2/伊藤ふみ
ひとりを生きてきました
寂しさが淋しさにかわり
生きてきた意味が消えそうになると
産んだ子供を並べてみます
それでも埋めつくせないさびしさが
少しづつ母を狂わしてきたのです
海はきようも時化ています
荒れた海にのまれて
生きてきたことが洗われていきます
洗われて濯われて八十年
あしたは晴れるでしよう
でもつぎの明日はわかりません
母が連発する「疲れた」は
生きることにだろうかと疑います
きようの母は晴れています
あしたの母がわかりません
「寂しさが淋しさにかわり」というフレーズでおやっ?と思い、辞書にあたってみました。私の手持ちの辞書では「寂しさ」と「淋しさ」が区別されておらず、同じ意味に使われていました。作者の感覚的なものと受けとってよさそうです。
「生きてきた意味が消えそうになると/産んだ子供を並べてみます」というフレーズはいいですね。女性としての実感があるように思います。最終連もよく判ります。あしたの母はわかりません≠ナはなく「あしたの母がわかりません」という助詞の使い方も巧みです。淡々とした書き方の中にも、作者の母親への強い思いと、人間の抗う術もない摂理への哀しみも伝わってきて、いい作品だと思います。
○清水恵子氏詩集『あっぷあっぷ』 |
2001.8.1 東京都新宿区 思潮社刊 2400円+税 |
まったく、何という詩集かと思いましたよ。紹介している写真は一冊の詩集の表紙ではありません。左側半分が本体で、右半分は箱なんです。どちらを写真で紹介していいのか迷って、結局両方を載せることにしました。本体も凝っていて、一枚の紙が折り畳まれています。まるで経本ですね。ですから、厚さも2cm以上あります。送られてきたときは羊羹かと思いましたよ(^^;;
中身は一篇の詩です。400行を越える作品で、男と女をうたいあげています。とてもすべては紹介しきれません。最後の部分を載せてみます。
ふ
狂れている
のは 肉体だ 焼け跡に影が二つ映る だから
男は 胸と腕があればいい
女は 指と肩があればいい
おいで
ぷあっ
ぷあっ
二人は 漂っている ひとつのところ
に浮かび上がる寸前に互いのなかに激しく逃
げ込み 胸と腕と指と肩の骨はとうに砕けて
いる ちいさな骨が血のなかでしあわせそう
に溺れる あっぷあっぷ それ ら みんな
命 生まれ
たいね 離れないものに 骨を溶かした血の
一滴に
ぷあっ ぷ
ぷあっ ぷ
凝固を待ってからにしましょう
滴るよりも
墜ちるほうに
確かな結末があるのだから
あっ ぷあっ ぷ
二人とは呼ばれなくなったとき二人はやっと
一つになりました 固まるまでの至福のとき
です
まっさかさまの 男
と
女
どうも平面だと雰囲気が出せません。だいたい5行置きに折られていて、それをめくりながら読む雰囲気を想像してもらえればと思います。もちろん原本は縦書きですから、最後の「男と女」は行の一番下にあって「まっさかさまの」という雰囲気が良く出ているのですが、横書きではサマになりませんね。
まあ、そういう限界はあるものの、アブナイ男と女の感じがよく出ているのではないかと思います。しかしまあ、500行近くもの作品を書かれた男というものは、男冥利に尽きるんでしょうね。実在かどうかは知りませんけど。意欲的な詩集であることは確かです。
○詩誌『さやえんどう』22号 |
2001.7.1
川崎市多摩区 詩の会さやえんどう・堀口精一郎氏発行 500円 |
何処へ/大貫裕司
煤煙で曇った街から
山肌が見える町へ移って
勤務先は遠くなったが
小児喘息の発作はたちまち消えた
くさむらには蜜が光って
蛙の鳴声はうるさいほど
目高を掬って
青大将に悲鳴をあげて
子供達は元気に独り立ちした
あれから四十年
国道とインターチェンジが結ばれ
激しい車の流れが町を寸断して
緑の風は俳気ガスの淀みになって
光化学スモッグ警報が出る
山稜の巨木の立枯れは
酸性雨の故だというが
皮が剥がれた風化のかたちは
曝された墓標だ
汚れていく
毀れていく
行くところはあるのか
小児喘息をかかえる子供のために田舎に引っ込んだけれど、40年経った今は、そこも「煤煙で曇った街」になってしまった、という作品です。作者の現住所は神奈川県厚木市。40年前はおそらく川崎の工場地帯にお住まいだったのではないかと想像しています。川崎から厚木まで約40km。1年1kmの割合で川崎が近づいてきた計算になります。
厚木の作者のお住まいから、南足柄市の私の自宅までは約30kmです。この計算でいくと、あと30年後には私の自宅も40年前の川崎になってしまいますね。ほんとうに「行くところはあるのか」という状態になりそうです。現実には、この夏も何度も「光化学スモッグ警報」が出ています。もっと早いのかもしれません。子孫に私たちはいったい何を残してきたのか、考えさせられる作品です。
○隔月刊詩誌『叢生』115号 |
2001.8.1
大阪府豊中市 叢生詩社・島田陽子氏発行 400円 |
赤い贈りもの/下村和子
二万五千年前のシベリアでは
幼児が死ぬと
赤い顔料で塗った枕を
小さな頭に添えて葬った という
目覚めた時の
生命の復活のために
脈打つ血を誘い出す呼び水でもあろうか
ほんの少ししか使っていない若い生命は
必ずもう一度起き上がる、と信じられていた
知覧から
飛び発っていった勝又青年は
----使い残した僕の年月を おばさんに贈ります。
永生きして下さい
食堂の女主人とめさんに
未来を贈って去っていった
とめさんは約束通り 今も健在と聞く
私の体内を
ひっそりと巡っているもの
ひよっとしたら 早逝した母が
死の床で祈ってくれた時間かもしれない
母の寿命の二倍を生きている
私の中の赤いもの
分らないこと
信じられないことも混えて
きびしく 美しく
組み立てられたこの世の仕組み
問いかける私に 囁く声は
----生きよ
ただ生ききれ
「二万五千年前のシベリア」と「勝又青年」、「早逝した母」がうまく繋がっていて構成に無理がなく、素直に鑑賞することができました。25000年前から連なる壮大な作品、と言えるでしょう。8月というこの時期にタイミングも合っていて、56年前の敗戦記念日に思いいたります(私は戦後生まれで直接知りませんが)。
それにしても「使い残した僕の年月」という言葉は強烈ですね。「勝又青年」の言語感覚に驚き、彼の無念に思いを馳せます。そして「ただ生ききれ」という最終行のフレーズを噛み締めています。
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