きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
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新井克彦画「モンガラ カワハギ」




2001.8.11(土)

 私の夏休みも今日と明日の2日になってしまいました。休み中に裏の畑を耕っておこうと思っていて、午前中に実行しました。鍬を使って、なんて私の体力では無理ですから、初めて耕耘機を使いました。蜜柑畑から野菜畑に転じたとき、嫁さんのおばあさんが買っておいてくれたものです。家庭菜園程度の畑ですから、それでも十分と思っていましたけど、やはり深くは耕せませんね。まあ、鍬でやるよりは楽か、という程度です。
 80坪ほどの小さな畑のうち、50坪ほどを耕いました。2時間ほどかけて何度も何度も繰り返して、なんとか畑らしくなったようです。私の役割はここまで。あとはおばあさんが好きな野菜を植えます。おばあさんは働いていないと気がすまないから植えるので、収穫はうちでやります。新鮮な野菜がこれからも保証されるので、やはり田舎暮しはたまりません。

 夜は地域の夏祭りに出かけてきました。ここ数年、子供会やら自治会役員として出席していましたから、今年は何もないと思っていましたけど、青少年健全育成会のパトロールを命じられてしまいました。でも、伝統的に何も起こらない地域ですから、気楽なもんですがね。もちろん、何事も起こらず無事に終了しました。

010811

 写真は小学生による祭囃子です。女の子もこのくらいが可愛くていいですね。昔、女の子だった主婦が私のパトロールの腕章を見て「あなたが補導されそうね」と言って通り過ぎました。チキシュウメ! この子たちぐらいの年齢に戻ってみろよ、と言い返してやろうかと思いましたけど、やめました。反撃が怖い(^^;;



季刊・詩とエッセイ『焔』58号
honoho 58
2001.7.10 横浜市西区
福田正夫詩の会発行 1000円

 本当の話だった/黒田佳子

あれは本当の話と
気が付いたときは すでに遅い
呪いなど お伽噺と思っていたのに
いまこの国には赤ん坊が産まれない

若者は伴侶にめぐりあえなくて
女は子どもをほしがらない
流れ者の吹く笛の音につられて
子供たちの姿は消えてしまった。
残されたのは老人ばかり

調べてみよう
笛吹きについて行った子の行く先を
もう一度、確かめてみよう
お伽噺のその後の記述を

 現実の社会とお伽噺をうまく組み合せていて、迫ってくるものがありました。お伽噺というのは予言性があるのかもしれませんね。でも、それもあるでしょうが敏感に感じる詩人の感性に驚く、と言った方のがよいのかもしれません。ぼんやりしていたら、こういう見方はできないでしょう。
 そして、最終連の「お伽噺のその後の記述を」というフレーズは素晴らしいと思います。あくまでもお伽噺を中心に据えて、視線がブレていません。しかも書かれていないことへ読者を誘うという手法、素晴らしいの一言ではすまないほどです。いい作品に巡り合いました。



 
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