きょうはこんな日でした ごまめのはぎしり
mongara kawahagi.jpg
新井克彦画「モンガラ カワハギ」




2001.8.18(土)

 横浜−阪神戦を見ていました。3−0が勝つ見通しがたったところで、やおら本箱の整理を思い立ちました。この2年ほどまったく手をつけていなかったんです。書斎のかなりの部分を「積ん読」状態になって見苦しいのと、なにより必要な本がどこにあるのか判らなくなって困っていました。野球をチラチラ見ながら片づけていました。およそ1000冊になるでしょうか、7−0が勝利が決まった今もやってます(^^;;
 明日も休みですし、眠くなるまでやっていようと思います。



水橋晋氏詩集『共棲変夢』
kyosei henmu
2001.8.30 横浜市南区 成巧社刊 2000円

 黒鯛が棲む

黒鯛を銛で突いたのが 運の尽き…
それ以来 ずっと こう…
男はそういって両手を脇につけ
鰭のように手のひらをひらひらさせた
あれはね十年も前の夏
akiyaの海でだったね 岩場で
むこうから悠ゆうと
海面下三十センチぐらいだったか
黒鯛が泳いでくるのが目にはいった
岩礁の陰に身を沈め 銛を構え
海藻のあいだからじっと狙いをつけて…
黒鯛は全身を銀色に光らせてね
ゆったりと近づいてきて射程にはいった
ゴム発条
(ばね)を放す
銛が黒鯛の腹を貫く
男は右手を小刻みに揺すり手応えを再現
突いてみれば
まだ二十センチにもなっていなかった
あんなに美しく堂どうと泳いでいたものを…
こりゃ 悪いことをした
と思ったそのときからだ
黒鯛のやつがわたしのなかに
すらっと はいってきてね
もう 出ていかない
出ていかなくなってしまってね
今も ここにいる
男は両手で胸を指し示す
ほう 今も?
今も…
男は目を大きく見開いて領く
寝てても醒めてても
黒鯛が夏の日射しを海面下に浴びながら
悠ゆうと泳いでいる
もう 突いたりしないから
そう黒鯛に言ってみるのだけれど
なあに
わたしのことなどまったく意に介さないで
泳ぎまわっていてね
ここんところで
男はまたも胸のあたりを差し示す
自分が人問なのか
海なのか もうわからなくなってね

男の目を覗きこむと
たしかに海が見え そして耳を澄ますと
たしかに潮の音が その男の内側から聞こえた

 この詩集の特徴を考える上で、著者自身の「あとがき」が参考になります。次のように書かれていました。
 「人間の自然との共生----せめて共棲への願望。と受けとっていただければ幸い。」
 この言葉通りに、作品はまさに「自然との共生----せめて共棲」を表現したものばかりです。紹介した作品を鑑賞していただければお判りのように「男」と「黒鯛」の共棲がどのようなものか理解できると思います。詩集タイトルの「共棲変夢」も、この作品を通じてお判りいただけるでしょう。
 作品「黒鯛が棲む」のように「銛で突いた」経験はかなりの人がお持ちではないかと思います。私にも経験がありました。中学生の頃までは川遊びが主でしたから、突いても違和感はなく、そのまま川辺で焼いて食べたりしましたけど、ある時、海で突いて神経が逆なでされたような感触を受けたことがあります。それ以来、銛で突くということはできなくなりましたね。
 そのことがあってから今まで何も考えずに過ごしてきましたけど「自分が人問なのか/海なのか もうわからなくなってね」というフレーズで、ハッとしました。自分では気付いていないけれど、実は私の身体の中にも「たしかに海が見え そして耳を澄ますと/たしかに潮の音が その男の内側から聞こえ」ているのではないかと。考えようによっては、怖い詩集だと思います。



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