きょうはこんな日でした 【 ごまめのはぎしり 】 |
新井克彦画「モンガラ カワハギ」 |
2001.8.21(火)
台風11号が上陸しています。紀伊・東海地方を抜けて関東にも近づく気配です。うちの裏山にあたる箱根は、時間あたり53mmの豪雨だったようですが、麓では今のところ静かです。この20年ほど直接台風の被害を受けた記憶がないので、どう準備すればよいか迷っていますが、まあ、なんとかなるでしょう。住宅の強度が昔と比べ物にならないくらい上がっていますから、それを信じるしかないでしょうね。明日のこの頁がアップされていたら、私は無事だったと思ってください(^^;;
○森徳治氏詩集 愚羊・詩通信 No.4 『祖父が少年だった時 戦争があった』 |
2001.9.1 東京都葛飾区 私家版 非売品 |
照準
その寿命四十年
一九O五年(明治三十八年)に生まれたから
三八式歩兵銃という
一九四五年敗戦とともに
日本帝国陸軍歩兵の基幹兵器という役割を終えた
口径六・五ミリ
全長一二八センチ
重量三・九五キログラム
射程三千メートル
装弾数五発
細長くて見栄えがよいとはいえないが
性能と壊れにくいのが自慢
連発式元ごめ銑
いいか 肩にしっかり銃床をつけていろ
発射の衝撃で骨が砕けることがあるからな
初年兵は脅かされる
母ちゃんのオッパイに触るみたいに
そっと引き金を引くんだ
撃鉄を起こし手前に引き元に戻すと
空になった薬莢が外へ飛び出し
押し上げ式になって次ぎの弾丸が
遊底から楽室に装着される仕組
銃身の先端にある凸型が照星
恨元にある凹型が照門
二つを合わせるように狙いをつけることを照準という
その照準の先に何が入ったか 何を入れたか
正式の採用は明冶三十九年だったから
日露戦争では使われていない
一九O九年九月−朝鮮・全羅道を中心とする民族運動弾圧
一九一一年十一月−中国・辛亥革命妨害のため上海出兵
一九一三年十二月−台湾独立運動弾圧
一九一四年十一月−対ドイツ宣戦布告−青島占領
一九一五年一月−対中二十一カ条要求・八月朝鮮独立運動弾圧
一九一八年四月−シべリア出兵
そして一九一九年三月一日
朝鮮知識人三十三人の手になる独立宣言書が発表され
朝鮮独立万歳の声は朝鮮の北から南まで
町と村とあ あらゆる山の峰から津々浦々まで響き渡った
三八式歩兵銃よ
この時君は最も華麗に威力を発揮した
殺害された者七千五百人
負傷一万六千人
検挙された者四万七千人
君の照準に入った最初の人が
アジアの民衆だったことは記憶されなければならない
それからも続くのだ
一九二七−二八年−山東出兵
一九三一年−満州事変
一九三七年−支那事変
一九四一年−大東亜戦争
合わさった照準と火を吐く銃口
君は撃った中国の農民の胸を
君は撃ったマレーシアの婦人の頭を
君は撃って踏みつぶした
草に宿った涙を
家の屋根に湧いた涙を
東アジアから南アジアの
千と万と億の涙を
日本陸軍の兵士は君を担いで歩いた 戦った
北の砂漠も山も
南のジャングルを踏み越えて
国を守るために国を大きくするのだ
一等国になるのだ 強国になるのだ
昭和十四年(一九三九)、君は改良される
弾丸が小さく、殺傷力の低いという埋由で
口径を一・二ミリ広げた
長さも十二センチちぢめた
九九式戦時銃とよばれた銃は
対米英戦争でも歩兵の基幹兵器になる
そのころ世界の軽兵器は
発射ガスの圧力を利用し自動的に給弾できる
自動小銃に移行し
近距離掃射・火力集中とも連発銃は時代遅れになっていた
だが我慢強く勇敢で
味方の百倍の火網の中をひるむことなく突撃した
死ぬことを恐れなかった兵士たち
戦線は北に南に果てしなく拡大し
中国大陸の山の中や
南の国のジャングル
はたまた沖縄・硫黄島で
君を胸に抱いたまま
累々 屍と白骨を重ねた日本陸軍兵士たち
一九四五年八月十五日−敗戦
その日 君は何を叫んだか
君のことを覚えている者は
もう いない
ちょっと長い作品ですが、思い切って紹介してみました。作者は一貫して反戦詩を書いている方ですが「三八式歩兵銃」についてこれだけお書きになったのは初めてではないかと思います。「三八式歩兵銃」という無機質な殺人道具の怖さが充分に描かれていると言えるのではないでしょうか。さらに怖いと私が感じるのは、最終連です。原始爆弾ももちろん怖い存在ですが、それよりも多くの人を殺したのが実は「三八式歩兵銃」ではなかったろうかと、この作品を通して思いました。
作者の意図もこの最終連にあると思います。詩集冒頭の作品「はじめに」の中で「戦争の記憶を保持し/次代の君たちに引き継ぐことが私たちの役目なのだ」と述べられています。覚えておくこと、引き継ぐこと、その強固な意志をこの最終連が見事に表現していると思います。
○中正敏氏詩集『アウシュヴッツの後で』 |
2001.8.15 東京都豊島区 詩人会議刊 2000円 |
えがたい敗戦
乾いた空が日照りに脂汗をかいていた
雑音にさえぎられたとはいえ
玉の音だという声にいのちが救われたと知った
ヘルマーにモノとしてしか扱われなかったノラが
あなたの人形じゃないと目覚めたように
歴史の表が裏に変ると
人は人として蘇ろうとした
飢えていても、すベてが真新しく
空に巣をかける蜘珠が枝から枝へわたり
夢に光る糸を張るのが
ボクらの明日の新居とおもえた
時が流れ、塔が右に傾きはじめる
空に再びリトマス液を注がないでほしい
血の色は空の傷口を縫いつける糸とならない
この詩集の発行日は8月15日です。そんなところにも作者の意図を感じることができます。そして、改めて思い出さなくてはいけないのは、敗戦が「飢えていても、すベてが真新しく」「ボクらの明日の新居とおもえた」日だったことでしょう。もちろん戦後生まれの私には記憶がありませんが、民族の記憶としてとらえています。米軍占領下の自由という問題はあったにしろ、現在の日本の原点となったことは間違いありません。
しかし、それも今となっては怪しいものだ、という忠告が最終連でしょう。「塔が右に傾きはじめる」というのは、もちろん右傾化のことです。「人は人として蘇ろうとした」時から56年、日本はどこへ行くのか考えさせられる作品だと思います。
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