きょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画:ムラサメ モンガラ




2001.9.13(木)

 台風で延期になっていた日本ペンクラブ電子メディア研究委員会が開催されました。11月26日の「ペンの日」を期して会館する「電子文藝館」の詳細が検討され、骨子が固りました。会員には会報で報告され、いずれマスコミにも取り上げられて報道されると思います。この場では、会員の皆さん、ご自分の作品は電子化しておいてくださいね、と申し上げておきます。
 梅原猛会長名で出される、おごそかな(^^;開館宣言も決まりました。一足早く紹介しておきましょう。
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日本ペンクラブ電子文藝館を発信する。
 日本ペンクラブは国際的な文筆家団体である。国際ペン憲章は、「藝術作品は、汎く人類の相続財産であり、あらゆる場合に、特に戦時において、国家的あるいは政治的な激情によって損なわれることなく保たれねばならない」とし、また「文藝著作物は、国民的な源に由来するものであるとしても、国境のないものであり、政治的なあるいは国際的な紛糾にかかわりなく諸国間で共有する価値あるものたるベきである」とも宣言している。核実験に反対し、環境問題や人権問題につよく提議し、言論表現の自由を護ろうと闘うのも、その基盤には、会員の文学・文藝の「ちから」がなくてはならない。「ペンのちから」を信じ愛して、世界の平和と言論表現の自由のために尽くしたい。
 今、日本ペンクラブは「ペンの日」を期して、ここに独自の「電子文藝館」を開設し、島崎藤村初代会長以来、あまた物故会員の優作を、また、二千人に及ぼうとする現会員の自愛・自薦の作品ないし発言、加えて簡明な筆者紹介を、努めて網羅展観する事業を通じて、国内外に、メッセージを発信する。大きな支持を得たい。
  2001年11月26日 ペンの日 日本ペンクラブ会長 日本ペンクラブ電子文藝館長 梅原 猛
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 現在、準備ページを作成中です。実際には加藤弘一さんが作ってくれています。今は委員会メンバーしか見ることができませんが、なかなか格調高く仕上がっています。11月26日に公開されますので、それまでしばらくお待ちください。



詩誌『坂道』創刊号
sakamichi 1
2001.8.1 埼玉県さいたま市
坂道の会・竹内輝彦氏発行 非売品

 母の手/ささき ひろし

冬は赤い手
厳寒に兄が獲ったスケソウダラを捌き
幾千ものたらこを取り出し赤く染めた

春は黄色い手
父が輸入したソ連鰊の腹を割き
幾万もの数の子を取出し血抜きをした

夏は黒い手
蛍火のような兄のイカ船が獲る
スルメイカの黒スミで真っ黒く染まった

秋は白い手
小さな旅館を切り盛りし
寝る暇も惜しみ旅人をもてなしてきた

山の娘が海に嫁いで五十年
季節が巡るたびに
乾いた手は色が変わり
ひびわれ ささくれていった
いつも魚の匂いが染み込み
三人の息子を育て上げた母の手
気性の荒い父の手よりも節くれだっていた

いま棺の中で動きをやめた蒼白い手
母 みどり 享年七十二歳
--もう魚の匂いがしなくてよかったね
おふくろ・・・

とめどなく溢れでる涙で
ささくれた手が湿ってゆく

 季節に合わせて変っていく母上の手。「気性の荒い父の手よりも節くれだっていた」というのはよく判ります。昔の母親は本当に働き者だったなと思います。そんな母上が「いま棺の中で動きをやめた蒼白い手」となった悲しみが痛いほど伝わってきます。私も母を亡くしていますので、よく理解できます。
 母上を亡くされたことは無念でしょうが、こういう作品を発表できるご子息がいらっしゃるということは、母上にとっては喜びだったのではなかろうかと思います。子は親にいろいろな形で自然に恩返しをするものですけど、作品で残すということは芸術に携わる者だけが成し得ることです。絵にしろ音楽にしろ、彫刻も小説も、そして詩も。そんな立場に作者は立ってしまったわけです。これからのご精進を願って止みません。



國井世津子氏詩集『寒卵』
kanran
2001.9.20 東京都東村山市
書肆青樹社刊 2200円+税

 刻まれて

振り向いた日々を消し 崩れだす大谷石
歳月が溶けて黒い涙を流している

千両の深紅の実の
弾む風に
背を丸めた老父のような石工が
母の戒名を 刻んでいた

刻まれた墓石は開眼式の朝日に
陰を深くして寒気を鎮める
そのとき

父の骨壷は水が溢れて
骨の汗となり母を迎えた
寡婦を返上したうす桃色の壷が
拭き清められて横に添い
柔らかな大気を漂わせ
優しさがこぼれる
ローソクの炎は
遠い日の彩りを揺らして
線香の紫煙を鮮やかに渦巻いてのぼる

碑文から 生きざまを受け入れ
母を抱くように
石肌の
刻字を幾度もなぞりながら
冬の陽を掬う

 母上の三年忌を迎えて出版された鎮魂の第一詩集です。紹介した作品のように、抑制された表現が著者の深い悲しみを浮き彫りにしています。「寡婦を返上したうす桃色の壷」というようなフレーズに、良質な著者の精神を伺い知ることができます。最終連もよく抑制が効いていて、それだけ読者に訴える力が強いと言えるでしょう。
 これだけ書ける人が今まで詩集を出していなかったことは驚きです。野澤俊雄氏の解説で短歌や俳句には造詣が深いことが判りますが、それらが詩作にうまく作用しているのだろうと思います。新しい詩人の誕生を喜びたいと思います。



詩誌RIVIERE58号
riviere 58
2001.9.15 大阪府堺市
横田英子氏発行 500円

 弥生の昔の物語(十三)/永井ますみ

  山焼き2

山の上から火をつけて
焼きおろしたあの日
私たち家族の列に
繭の兄さんも並んで
あおい松の枝をかざした

火をつけるでぇ
のきないやぁ
野の鳩も
ひばりも雉も
のきないやぁ
うさぎも鹿も
いのししも
のきないやぁ
火をつけるでぇ

呼ばわる男や女の声が
近くの山にこだまして
そして
立ちあがる煙
危機を叫ぶように
駆けのぼる雲雀
焼け残された巣に
たまごの骸が四つ五つ
兄さんの為に残した山繭の木も
葉っぱが半分縮かんで
少し心配

丸い月があがって
祝いの酒に足を取られながら
繭の兄さんが帰って行く
尾根づたいに走る
兄さんの逞しい脚
でも
少し心配

 連作も13になりました。「弥生の昔」を想像しての作品ですが、ご自分の故郷の様子もダブっているのではないかと思います。「山焼き」ではありませんが、私の住んでいる地域では毎年2月に「川焼き」を今でもやっています。名目は河川の清掃。中州の前年から育った草を焼いて、一挙に清掃≠オようというものです。作品中の「山焼き」とは目的が違いますが「祝いの酒」でも呑みたくなる気分は同じだろうと思います。
 「繭の兄さん」に対する甘い思いも作品の中では重要なファクターですね。「少し心配」が二度も出てくるところが何ともほほえましい。なかなか他の人には書けない、おもしろい主題だと思います。



一人詩誌『真昼の家』14号
mahiru no ie 14
2001.9.25 埼玉県三郷市
高田昭子氏発行 非売品

 手を洗う

独り身の姉を看取った
厳寒の朝
わたしはまだ生きていた

死者の短い生涯は語ることをやめない
過去をめくれば
さらに過去が表れる
ぎっしりと堆積された時間の
隙間という隙間から
死者の悲痛な声が溢れ出し
幾重にも聴こえてくる

「わたしは妹の恋人を愛していた」
「けれどもわたしは妹も愛していた」
「妹は愛されていることしか気付かなかった」

その声に囲まれながら
わたしは姉の生きていた日々の後始末をした
ひとの生涯は日常の過密な物品の堆積
そのそれぞれが声を発するのだ
姉の生涯の始末は四ケ月で終わった
それは途方もなく永い時間だった

姉はいつどのあたりで
この日常を抜けていったのだろう

それからわたしは手を洗う
耳を洗い 眼を洗った
なによりも
自分のからだをめぐる血を濯ぎたい

死者のいる向こう岸は見えないが
死者には
わたしの一々が見えるのだろうか
時折りわたしの肩が重い
ひとつの空席が冷たい

それからのわたしは
それまでのわたしのように
過密な物品に囲まれて
日々を洗い続けているわけだが
包丁で指を切るたびに
みずからの血に足がすくむ

眠るときわたしの現身の重さが
尋常ではない夜がある
何故
死んだのは姉で
わたしではなかったのか

 第3連を作品上の事実とすると、最終連がよく理解できます。そしてタイトルにもなっている「手を洗う」という行為が、なぜ必要なのかは「自分のからだをめぐる血を濯ぎたい」というフレーズで理解することができると思います。こういう感情が女性に特有なものなのかは判りませんが、男同士には無いものでしょうね。そういう視点でも作品を鑑賞しましたが、理解できる≠ニいう表現ではくくれないものも感じます。
 「姉の生涯の始末は四ケ月で終わった/それは途方もなく永い時間だった」と語るとき、作者の心境はいかばかりだったのか、私の想像をはるかに越えています。そういう意味でも私の知らない世界を知らしめてくれた作品です。



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