きょうはこんな日でしたごまめのはぎしり
murasame mongara
新井克彦画:ムラサメ モンガラ




2001.9.24(月)

 振替休日。3連休というのは、やっぱりいいものですね。終日、いただいた本を読んでいました。ふと、書斎の窓から外を見ると、パラグライダーがテイクオフしたのが見えました。南東の風が吹いていて、そこそこいい条件だったろうなと思います。そんな光景を紹介したくなって、デジカメで撮ってみました。

010924

 ちょっと遠くてすみません。なんとか2機が飛んでいるのが判りますか? 白い機体です。左の丘から飛び出して、風の条件がいいと向うの山より高く揚がれます。今日はそこまで行きませんでした。30分ほど飛行して降りてしまいました。私が飛ばなくなって、もう5年ほど経ちますので、誰が飛んでいるのかは判りません。こうやって見るだけで楽しんでいます。



門林岩雄氏詩集『火の鳥』
hi no tori
2001.9.9 京都府長岡京市 竹林館刊 2000円+税

 くだ
 


おれは管
一本の管
管を巻いて くだくだ言う気は
さらさらない

口から入れて 尻
(しり)から出す
動物はみな こうして生きている
その他のもろもろ 管を守るためのもの

チューブワームなるもの ご存じか
熱湯噴き出す 深海にひそむ
その名の通り 一本の管

つつがなく
管は働き
今日もおれは 生きている

 著者はお医者さんです。だから、というわけではないでしょうが、人体を即物的に表現している点が新鮮だと思います。「管」であり、私は「ドーナツ形状」という言い方もできると思っていましたが、「その他のもろもろ 管を守るためのもの」という発想はありませんでした。ノーマルに「その他のもろもろ」のために「管」があると思っていましたから、この逆転の発想はおもしろいですね。
 それのみか「チューブワームなるもの ご存じか」と問われて、「その名の通り 一本の管」という生物がいることも知り、驚いています。生物には全て存在する理由があると思っていますけど、改めて自然の奥深さを考えさせられた作品でした。



布川鴇氏詩集『さえずり』
saezuri
2001.10.20 東京都東村山市
書肆青樹社刊 2200円+税

 実験

くる日もくる日も
実験は繰り返され
朝がくるたび私の網は選別した
水槽に泳いでいる魚たちを

きらめく光から遠く
目隠しをされたまま
命を絶たれたものたちよ
黙して語ることもなかったものたちよ

正当を誇るための白衣にも
正義ヘと向かって張られた網目にも
消えることないその血がにじんでいる

存在を問うことも問われることもなく
命がありながら
その重さを計量されることもないままに
眼の前から 次々と
消えていった魚たち

さざなみ輝く生が
たちまちにして死へと変換される
この世界
それでいて 死は
二度と生には置換されることのない
この世界

実験というヴェールにおおわれた
朝の目覚め
限りなく重い この朝の目覚め

 著者は自然科学系の研究者のようです。日本詩人クラブの会員で、何度もお話ししていますが詳しいことは知りません。しかし、お話ししていると科学者特有の思考があり、高度な研究に携わっている方だと判ります。そして、この作品からも理解できますように、詩人の領域もちゃんと持っている方です。「私の網」で「選別」され「命を絶たれたものたち」への思いは「限りなく重い」という著者の視線に、純粋な詩人の魂を感じることができます。
 考えさせられる言葉が続きますが、私が最も衝撃を受けているのは第5連です。「輝く生」を「死へと変換される」ことは誰にでもできます。しかし「死は/二度と生には置換されることのない」ものだという事実。不可逆的なこの事実を改めて突きつけられて、「正当を誇るための白衣」の怖さに思い至ります。人間の利益のみを考えてきた科学技術の、発想の転換を求められている作品だと思います。



山田安紀子氏詩集『夕景』
yukei
2001.10.10 東京都東村山市
書肆青樹社刊 2400円+税

 盆祭り

夏の斜面を影のように蝶が舞っている かす
かな羽音が伝わるからだろうか 斜めに咲く
花のまわりでひかりが揺れているのは

これは と 尋ねた指先へ花は茜の色を滲ま
せ 盆花 と答えたひとのくちびるはタ日を
受けひびわれて見えた 滴るほどのみずみず
しい季節は もう過ぎてしまったのだ

灯籠流しの夜が深くなる 日焼けした肌をつ
つむのは 言葉から逸脱した観念の数珠玉
川に溶け流れ去った精霊たちの帰りを待つ
あのひともこのひともざわざわと骨を触れ合
わせ軒をくぐり 香をたき迎える者に寄り添
う 寂しさだけを染めあげた脚絆を引き摺り
ほほえむ死者よ

  漠漠とした霊が灯す道あかり
  死者よ
  彼岸の彼方 永劫に連なる霊の国をさま
   よい歩け
  ひらいてはならぬ黄泉の部屋の扉
  私は
  暗い伝説に向かい川岸の草の葉をちぎっ
   ては投げる

輪廻の定めが与えられ 先にいったひとは禁
                                 きぬぎぬ
断の法則を守り転生する 幽界より後朝の文
などふところに 蝶の姿を装い はかなげな
風情で 復活のよろこびを舞ってみせるのだ

 巻頭の作品です。最初の連に思わず惹かれました。非常に繊細な神経をお持ちの方だと思います。「羽音が伝わ」り「ひかりが揺れ」るというのですから、並の才能とは思えませんね。蝶の羽でわずかな風が起き、花がかすかに揺すられて影が動く、というのが物理現象ですが、詩人はこのように表現するのだと改めて思ってしまいました。
 その蝶で最終連を締めたのも見事だと思います。優美な「後朝の文」という言葉も奏効して、良質な古典文学を読んでいるような気になってしまいました。私の親の年齢に近い女性ですが、蓄積された文学的資質を感じさせる詩集です。



あいはら涼氏詩集
『ひつじが三匹・・・。』
hitsuji ga 3biki
2001.9.28 東京都中央区 夢人館刊 1700円

 キャンプ

ほそくほそく流れる川のほとりで キャンプをしました コウ
モリが ちらちら 舞いはじめています 夕ぐれが近いのです
みんなは わいわい おしゃべりしています みよこちやんの
むねに あかりが ともりました たけしくんのむねにも 薄
あかるい火が かすかに見えてきました おとこのこも おん
なのこも 好きなこがいるこは皆 この時間帯 むねに赤い光
を花のように さしています 星がでるまえの ほんのみじか
い間に 好きよ という気持ちが 照っているのです わたし
の胸の火は 青いのです どうしてだか知リません むかしか
らずっとそう でもだれもそのことに 気づきません その話
はだれともしません 飯ごう炊飯がふきこぼれないように み
まもりながら 火種をたやさぬよう 新しい薪を 少し たし
ておきます

 夢にヒントを得て作品化したとあとがきにあります。紹介した作品もそのひとつだと思います。中学生の頃のキャンプでしょうか、誰にでも「むねに赤い光/を花のように さしてい」たことがあったことを思い出します。しかし「わたし/の胸の火は 青いのです」。これが詩人の詩人たる所以なのでしょうか。他人と同じように光を発しながらも、色は違う。行動は皆に似ていても、意識や視点は違うという詩人の本質がここに現れているように思います。
 そして、それに気づきながらも「火種をたやさぬよう 新しい薪を 少し たし/ておきます」という視線のズラせ方にも、詩人の素質を見るような思いです。そういう、ちょっと違った視線を感じさせる詩集です。



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